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小説

「スロウハイツの神様」 辻村深月 感想

小説でも、映画でもアニメでもなんでもいい。一つの作品に強い影響を受けたことがある人にはきっと届く、そんな物語だったという印象。


「冷たい校舎の時は止まる」「凍りのくじら」と辻村氏の作品を読んできたが、どうもこの作者独特のイタさ(必ずしもマイナスイメージではなくクセに近い意味)が肌に合わなくて面白いんだけど…となることが多かった。
しかしこの作品は、扱ってるテーマがピタリと自分にハマッたのか、純粋に傑作として楽しめた。

出来すぎなくらい積み重ねられた伏線で出来上がった物語ではあるが、あえて断言するとこの作品の魅力はそんな所にはなく、どこまでも傲慢で、繊細で、優しくて、残酷で、それでいて温かな登場人物達を通して「作品を作ること」を描いたことだと思う。


「鞭こそ才能のうちなのだ。自らを鞭打つ」 ――トルーマン・カポーティ

 この作品の人物達はある者は生活を極限まで切り詰め、ある者は自らのスティグマをエネルギーの源泉として吐き出し続け、またある者は感情を殺して作品に投影する。宝石は削られて初めて価値を持つ。創作活動とは自らを削り取る作業なのだ、という一つの側面がこの作品では描かれていたように思う。

 キャラクターも小説としては過剰なくらい立っているのだが、中でも一番のくせ者は児童漫画家を目指す狩野である。物語の舞台であるスロウハイツの住民は仲が良いながらも一定の距離感を保っていて、その関係性の潤滑油として人知れず奔走していたのが彼だったという印象を受けた。住民の中で最も優しく気を遣っているのは作家の千代田なのだが、狩野は相手に意識させずに飄々と周りを調整していく、ある意味での狂言回しだったのではないかと思う。その事は一度ハイツを離れたスーが彼には相談をしていたり、環も彼に自分が去った後のことを頼んだことから分かる。そんな彼の作品が環を泣かせ、彼が自身の方向性の正しさを確信するシーンは最も気に入ってるエピソードの一つである。

 作中で「チヨダ・コーキの作品はいつか抜ける」という表現が何度か登場する。彼の作品が与える影響は一過性のもので、ある時期を過ごしたら読者は自然と離れていく。それはあらゆる作品に当てはまる一つの真実でもあり、また、間違いでもある。面白いと思う作品は数あれど、大抵はその場限りで自分の中で完結し、そこで終わり。所詮は消耗品、一過性の娯楽でしかないのかもしれない。しかし、そうでない場合が、少なくとも自分にはある。一つの作品によってもたらされた熱が、今でも残り続ける。もしも人生でそんな作品に出会えて、それが自分の原動力になれたのなら、それはとても素敵なことではないか。ご都合主義でいいのだ。だってこれは一つの奇跡の話なのだから。

知らずの内に互いに影響を超えて生きる意味を与え合った環とコウちゃんの関係、そんなロマンチズムに溢れた臭いぐらいの奇跡が、自分の胸に響いたのは心に残り続ける幾つかの作品があるという、幸福な事実によるものだろう。

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