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小説

「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ 感想

生存戦略、わたしを離さないで。
きっかけはもちろん『輪るピングドラム』です。


近所の図書館で4ヶ月くらい借りパクされてた本作、ようやく読めました(知るか)。
途中でたびたびうざいピンドラ語りが挟まれます、ご注意下さい。

うーん、こういうテーマは答えも救いもないわで考えると鬱になってくるなー。
臓器提供のために生み出されたクローンの子供たち。この設定自体はSFだけど、現実の様々な事象に当てはまると思う。

私が連想したのは原発問題ですね。
電力に頼りきった日々の生活、その大部分(?)を原子力発電所が賄ってきました。しかし、原発のリスクを背負わされている人たちがいることを、私たちは普段意識などしません。
発電所の近隣に住まう住民たちが危険を強いられているのを見て見ぬふりをし、その恩恵だけを享受しているのです。

だれだって自分の住まいの近くに原発なんか建てて欲しくないですからね。
マイケル・サンデル教授の番組で原発問題について討論していたとき、原発賛成論の人たちが「原発の近くに住む危険を冒せるか?」と問われて皆一様に歯切れが悪くなっていたのが印象的でした。

原発の建設が決められてしまえば、近隣の住民には事実上拒否権などありません。訴訟を起こそうが鉄壁の行政訴訟法に阻まれてしまいます。まあ世論が傾けば分からないですが、真っ当な議論よりも利権や脊髄反射の原発不要論が横行するようじゃ難しいでしょうね。

自分たちの生活が、誰かの犠牲の上に成り立っている可能性を私たちは考えません。

都合の悪いことには頭が働かないようにできてるし、実際そんなことばかり考えている人がもしいれば、生き辛い事このうえないでしょう。
今こうして分かったようなことを書いている自分だって、だからどうするわけでもないですし、客観視ぶって大した感情もこめてません。日常生活の中ですぐに忘れてしまうでしょうね、はーやだやだ。


救いなのは、この設定があくまで舞台装置であって主題ではないことか。
運命の子たちだとか、呪われた子らだとか、氷の世界とかこどもブロイラーだとかの言葉が容易に浮かんでくるあたり、ピンドラのモチーフに使われたことに非常に納得の行く作劇。

あらかじめ運命が決められ、自分たちはきっと何者にもなれないのだと、へールシャムでの生活の中でぼんやりとそういうものだと自分を納得させて(あるいは諦念か)生きる子供たち。
この作品世界における世間では、クローンを単なる臓器提供者として見る為に「自分達とは違うナニカ」と認識しているらしい。自分たちとは精神構造が異なり、およそ感情のない別の生き物なのだと。彼らにとって臓器はどこからかやってくるものであって、提供者としての実態は目に映らない、透明な存在だ。

いずれ提供者となる自分たちの人生は、なんのためにあるのか?
それを『無意味なもの』と思わせないための場所、ヘールシャム。そこでの思い出が、しっかりとキャシーたちクローン人間に根付いているのが描写からよく分かります。子供の頃、彼女たちの世界はそこにしかなかったし、そこでの経験や情緒性がしっかりと彼女たちそれぞれの人格を形作っている。
これだけでも、エミリー先生たちの運動が決して無駄ではなかったと言えるでしょう。ヘールシャムでの待遇はむしろ例外中の例外であって、世界中のクローンの子供たちはもっとひどい扱いを受けているそうです。この辺は大した説明もないので比較しようがないですけど。


面白いのは、クローンたちの人権尊重を謳うエミリー先生やマダムたちでさえ、クローンを色眼鏡で見ているという点ですね。
彼女たちにとってクローンたちはあくまで庇護対象。彼らが普通の人間となんら変わらない精神構造を持っている生きた人間であると主張しているのに、彼女たち自身が畏怖を感じています。
もちろん本気でクローンのために行動する彼女たちの意志は否定できないけど、どこか自己満足的な面があるのも否めないんですよね。というか、エミリー先生の言動からしてそういう風に描いていると思うけど。
なんというか、「クローンたち」を十把一絡げにしていて結局個人の人格を見ていないんですよね。ピンドラでは剣山がそんな感じだったけど、使命感に燃える人って全体をどうにかしようとするあまり個人に対しては目が行かなくなるような傾向があるように思えます。

多分、そんなエミリー先生に反発して個人個人を尊重しようと考えたのがルーシー先生なんじゃないかな。彼女はあくまでヘールシャムの子供たちに誠実であろうとしました。
ただ、エミリー先生が言う様に子供たちに真実を本当の意味で教えることが必ずしも彼らのためになるとは限らないんですよね。
トミーはルーシー先生が正しかったと言いましたが、それだって彼個人の意見でしかないはずだし、何も知らないまま提供という役目を終えた方が幸せだと考える者もいるでしょう。クローンの扱いが現状不変である以上、この問題に正解はないのです。
このどん詰まりな状況が、本作の無常感を演出してると思います。キャシーたちが完全に救われる道などなかった、そんな世界で彼女たちはどうすればよかったのでしょうか?


キャシーとトミーは、子供の頃から惹かれ合いながらも運命の悪戯でなかなか結ばれなかった。それが、ルーシーの罪滅ぼしで、ひとつの小さな希望を抱いて愛を交わすことになります。
希望といっても根拠も何もないただの噂で、本来なら縋るようなものでもない。たとえ本当に提供が延長されたって、具体的になにか目的があるわけでもない。
それでもそこに光を見出さずにはいられなかった、それだけ彼女たちの人生にはなにもありませんでした。


彼らの希望は儚くも打ち砕かれてしまう。
ご都合主義のハッピーエンドなど用意されていない物語。そこで登場人物たちが求めるのは、できる限りのベターなエンドです。
彼らの運命は何一つ変わらず、あらかじめ決められた通りに終りを迎えます。

ただ、そんな彼らの人生がまったくの無意味かと言えばそうでもないわけで。
主人公キャシーは、分かりやすく描かれているもので言えばカセットテープや、ルーシーとの友情、そしてトミーとの愛を得たわけです。もちろんそれだけでなく、ヘールシャムでの生活で感じたこと、経験したこと、出合った人々、その一つ一つが彼女にとっての宝物になっている。

彼らは特殊な状況に置かれていはいますが、諸行無常という観点からすれば私たちの人生もそう変わりはないのかもしれません。何者かになれるか、そんな保証はどこにもない。

ただ、たとえ何者にもなれないような人生でも、無駄なことなど一つもない。

ヘールシャムでの、そしてトミーとルーシーとの、愛の記憶があればこそ、それだけでキャシーの人生に意味は生じるのです。

まあ、ピンドラを見た後だとどうしてもこんな理解になっちゃいますね。
愛の話なんだよ。

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生存戦略、わたしを離さないで。きっかけはもちろん『輪るピングドラム』です。
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