アニメを中心に、漫画や映画、小説など創作物の感想を載せるブログです。

境界線上のホライゾン

境界線上のホライゾン 1巻 感想

ラノベなんて買うの十二国記以来だからレジ行く時ちょっと緊張しました。


読んだのはアニメ1期に当たる分ですね。2巻は2期が終わってから読みます。まずは映像でのドライブ感を楽しみたいので。おそらく大分端折られるであろうアニメでどれだけ理解できるか、というある意味腕試し的な側面が無きにしも非ず。

一期の感想も一応書いてるのですが、原作を読んだことで新たな観点を得たりもして。この作品をアニメ化する上で、スタッフがあらゆる場面での取捨選択を迫られたであろうことが容易に想像できますね。多く削られてたのはやはりキャラ同士の掛け合い・ギャグシーンでしょうか。確かに必要というわけではないんですけど、アニメから入ると一部のキャラで「え、こいつこんな性格だったの?」とギャップを味わうことが多かったりで。浅間とか思った以上に愉快なキャラだったし、他にも外道風味がアニメで薄れているキャラが多かったりで。骨太なストーリーと綿密壮大な世界感がウリの癖に、キャラ小説としても楽しめるからいいですね。群像劇大好きですよ。

ごった煮闇鍋状態だから取っ付きづらさは間違いなくあるんだけど、裏を返せばそれだけ引っかかり得る要素があるということ。「分からないことがある」ということが「まだ面白く感じられる余地がある」に繋がるだけのしっかりとした土台がある作品だと思います。ひたすらに濃いが、ちゃんとライトでエンターテインメントしてるからストレスなく読み進められました。確かに人には勧め辛いけど、分からないことを許容して楽しめる人なら多分イケると思います。

この作品の大きなテーマに、「平行線を隔てた者同士が共に前に進む為に境界線を探す」というものがありますが、他にも様々なテーマが内包されていてアニメで見た時とはまた違った楽しみ方ができました。

歴史再現という義務が課された世界において、極東という籠の中に押し込まれた武蔵の面々はその立場ゆえ自由な権利を奪われている。
そんな中でイエスマンと称されていた元信公が三河を消滅させたことから物語は動き出します。この元信先生の授業が物語全体の方向性を指し示しているようで意味深ですね。

迫り来る巨大な危険、「末世」を前に人々がやらなければいけないのは考え続けること。彼なりに考えた結果が創世計画であり、その発端が三河消失なわけですね。
「考えなければ死ぬ」というのは聖連の行動理念、歴史再現に対するアンチテーゼ的な側面があると思います。
歴史再現ということは、つまり一度先人が辿った道を無理矢理な「解釈」を当てはめたりして歩むということであり、ある意味で自分たちで未来を切り開く努力を放棄した「思考停止」行為であるのではないかなと。
聖譜の記述がないその先には世界が滅ぶという「末世」があるという。それは聖譜に縋り続けてきた彼らが自らの手で未来を掴む時がきたのだと、そういうことに思えました。
まあ合ってるにしても間違っているにしても、現在の体制を打破して自ら未来への道を切り開くというのはテーマとしてあると思います。まさに武蔵側の、ホライゾンの感情を取り戻し世界征服するというトーリの行動は現状打破のための一歩であり、それが武蔵側の人間の未来そのものを創ることに繋がっている。
彼らが未来へ希望を繋ぐ道を創るために、やるべき事をやりきった元信公と忠勝の責任ある者としての在り方がカッコイイ。父の真意を知らないながらも、着実に「忠勝」(=ただ、勝つ)を継承しつつある二代の戦いの熱さはアニメを見ただけじゃ伝わらなかったなあ。


もう一つ、気になったのは葵・トーリの「王道」ですね。まあ立場的には副王なわけですが、事実上武蔵の大将である彼の王としての在り方もまた注目ポイントです。
彼自身には何の能力もないただのバカであり、何も出来ない「不可能男」。まさに「裸の王様」なわけです。だからって全裸にしなくても(笑)

で、何も出来ない彼だからこそできること、それは全力で他人を信頼し、支持すること。不可能を一身に背負い、臣下たちに可能の力しか残さない。それこそが彼の「王道」であると。
「武蔵の不可能男」のシーンがまさにその象徴ですけど、それ以前にもこういった彼の行動理念は端々に現れているんですよね。
特に正純とインノケンティウス討論シーン。正純が女だということを隠している事実を指摘され、周囲の人々の疑念を買い元々自信のなかった彼女が追い詰められるシーン。そこでトーリは彼女を絶対に「支持する」と表明します。
何があっても自分を信じてくれる人がいること。能力がある者が、その力を存分に発揮する為には自分を肯定してくれる存在が必要なのだと。だからこそ、不可能男が唯一できるのがバカみたいに、それこそ命を賭けてまで仲間を信頼することなんですね。
彼の能力は力の伝播であり、それは王としての力=「権限」を武蔵の民全員に委譲するということ。武蔵の民の行動が、トーリの目的と一致する限り、それを全力で肯定しサポートするのが彼の王としての在り方なわけです。
この「王道」もまた作品世界にとっては今までのそれを覆すものであり、未来を切り開く者としての新たな可能性を示すものですね。そういえば2期の舞台である英国は絶対王政の国家ですから、平行線としての両陣営の対比に期待が持てるかもです。

今までの体制とは違う新たな在り方ということで、正純の政治家としての素質に関する描写も気になりました。あの辺の彼女の父、正信たちの会話はアニメではカットされてるんですよね。正信は正純には自分たちのような暫定議会としての政治家の資質はないと指摘しつつも、その一方で王に正当性を与える「宰相」としての才能を見出しました。これもまた、今までの武蔵には必要のなかった才能であり、現状打破のための新たな力として描かれていると思います。

「王道」の話に戻ります。ここではトーリを武蔵の王として語ってきましたが、元々の王であるヨシナオもまた間違いなく武蔵の王なんですね。彼はトーリたちと比べればずっと保守的ではあるけど、常に彼なりに民のためを思って行動してきた。
彼の性質として、すべてを自分ひとりで背負いすぎるというものがありますね。これは「全力の他人任せ」であるトーリとは対照的で、平行線です。
しかし、武蔵の権限の半分をトーリたちに委譲するという彼の決断がなければあの場での正当性は得られなかった。彼の王道もまた、保守的であるがゆえに武蔵に必要だったし、革新性だけが取り立たされているわけではないのです。
そもそも平行線の物語ですから、どちらか一方だけを持ち上げ他方を否定する物語展開にはできない構造になってますね。この縛りで物語を組むってめちゃくちゃ大変な気がしますが、この点を徹底していける自信があるのでしょう。

とまあ大小様々な、それこそ私だってまだまだ気付いていないテーマがあって、それらが根底に流れている作品だからこその骨太なストーリーが楽しめる作品なわけです。
今後の展開で気になる点としては、武蔵のもう一人の王であるホライゾンが感情を取り戻していくにつれまた違った王としての在り方を示してくれるんじゃないか、という所ですね。設定的に、話が進むにつれ彼女のキャラは確立していくわけですから最も成長が期待できるキャラクターと言えるでしょう。

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