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映画

劇場版 花咲くいろは HOME SWEET HOME 感想

 EDで女の子が走り出すアニメは名作。

 正直あんまり期待してなかったけど、すごく良い映画を観た気分。
 TVシリーズの記憶が曖昧だったけれど、この劇場作品を見ていかに喜翠荘という舞台が夢と現実に満ちていたか、そこで縦横無尽に動き回るキャラクターたちがいかに魅力的だったか、そして「花咲くいろは」という作品がどれだけ素晴らしいアニメだったかに気付かされた。我ながら調子のいい事言ってるなぁ。
 ちなみに色紙はみんちでした。結名かなこちがよかったけどこれはこれで。
 
 今モーレツに新作アニメをほっぽって本作を全編レンタルして通しで見たい衝動に駆られてます。というか多分そうする。
 特に13話がすごく見たくなるんだよなぁ、ビールでも飲みながら。
 ニコ生で一挙放送やってたの知らなくて、すごく後悔してます。

 本作は喜翠荘の女将・スイ、その娘でフリーライターの皐月、さらにその娘で主人公でもある緒花という三世代に渡る四十万の血を持った女たちの生き様を描いた作品である。
 劇場版では少女時代の皐月に焦点が当てられ、豆じいが毎日つけている日誌を通して母の青春時代の1ページを緒花が知ることになる。
 ある特定の「場」(この作品の場合は喜翠荘)を軸に、そこで生きてきた人々の人生を描く作劇と言えば、つい最近「たまこまーけっと」で観たばかりなので個人的にはタイムリーだった。
 たまこまーけっとが直接の描写を避け、「隠すこと」で人生の余白を想像させ日常を拡張する作品だったとすれば、花咲くいろははあけすけに「隠さないこと」でそこで生きる人たちが何を思い、どんな想いを胸に生きて今に繋がっているかを描く作品だったといえるだろう。
 こと女性キャラクターの言動における「隠さなさ」、言い換えれば下世話なほどの赤裸々っぷりはアニメに女のリアルを持ち込むマリーさんこと岡田磨里脚本の特徴である。浴場で巴さんが足の角質取ってるシーンで無駄毛剃ってんのかとマジでビビッたのは私だけじゃないはず。
 とにかく岡田さんの描く女性キャラクターは良くも悪くも夢がなくて、特に皐月なんかは今回夫との馴れ初めが描かれて彼との死別に一層リアリティが増したにも関わらず本編では男遊びに勤しんでいるという。ここ、普通のアニメなら死んだ夫に操を捧げるか、あるいは一人の男と全うな恋愛をする所ですよね。しかし、この不真面目ながらも一本芯が通っている所が皐月の魅力になっていて、TVシリーズでは不明瞭だったその「芯」がこの劇場版で明らかになった形になってますね。

 皐月の「芯」が描かれることで、やはり形は違うだけで四十万の女は皆似た者同士だというのがはっきりした。彼女たちは皆どこか頑固な所があって、周りを振り回したりしているのだけれどその強靭な意志が輝かしく見える。そして彼女たちに惚れる男たちは皆薄幸に(笑)
 TVシリーズを見た時は、世代を一つ越えてスイから緒花への継承を描く話だと思っていたし、今でもそれは間違っていないとは思うけれどやはり間に皐月が入っていたとしてもおかしくはないのだなと。皐月の夢は喜翠荘にはなかったというだけで、一途さは変わらないんだよなぁ。何気に「ここではないどこか」で自分の夢を見つけるという構図、場所が見事に反転した上で緒花も母と同じ道を辿ってるんだよね。スイさんもそうだったのだろうか。

 人々の価値観の相違と、それを越えた共感性というのがこの作品を通して描かれたテーマの一つである。上記の話もそういうことだしね。
 喜翠荘では様々な世代、価値観の人々が噛み合ってんのかいないのか良く分からない共同生活を送っていて、そこから笑いに発展したり様々なドラマが発生したりしていた。
 さらに劇場版では、なんだっけ、研修?を目的として結名が一時的に喜翠荘の仲居になることで、意識の違いがより明確に。
 時系列的には喜翠荘畳むすぐ前だから、結名が旅館経営の勉強をしたいという夢を語った後になるのかな? しかしながら、旅館の跡継ぎという緒花と似た立場にありながら彼女はずっと「軽い」。実際仲居の仕事をする彼女は文句たらたらで仕事も雑であり、どう見ても足手纏いであった。ウザ可愛い。
 個人的に結名が最も輝くのは高校や街中などでJKをやっている時であり、JKよりも旅館の従業員寄りな緒花・みんち・なこちを引っ張ったりフォローをしたりする姿が好きだったのでその点が描かれないことにちょっと不満を感じました。(結名が緒花からずっと「さん」付けされていたのも、意識の違いがあったからかも)。
 一方で、ふとんの皺の寄せ方や伐採時に無邪気な喜びを見せたりできる素直さは彼女の強みであると思う。自分が見向きもしなかった世界で、新しい喜びを見つけるというのは本編最終話にも繋がる流れであるし、そこに価値観を越えた共感性のヒントがあるんだよね。映画のラストで停電が長引いた喜翠荘を救ったアイデアがまさにそれ。キャンドルナイトという発想は、やや価値観の古い喜翠荘の面々にはとうてい思い付かないものだ。それを為したのは今時のJKの感性を持った結名だからこそであり、価値観は違うながらもろうそくの灯に照らされた喜翠荘の美しさは誰もが認めるところであっただろう。

 なぜか結名中心の話になってしまった……。
 緒花を軸に語ると、彼女は母をどこか理解できない存在と感じていて、複雑な感情を抱いていた。しかし豆じいの日誌を読んだことで、母にも自分と同じくもがき苦しんだ青春時代があり、夢への衝動や恋への焦がれといった当たり前の感情を抱いていたことを知る。
 また、なこちの妹の境遇を聞いて自分の過去と重ね合わせるシーンも挟まれるなど、価値観や世代の断絶はあってもどこかしらに共感できる要素があることが示された。それは突き詰めれば人生において誰もが大なり小なり感じるものであり、たとえ個々の見える景色は違ってもどこかで共感できる境界線があるのだ。
 みんちのエピソードも共感の重要性を説いたものだったし、劇場版のテーマと言っていいでしょう。

 まあ小難しい話は抜きにしても、美しく綿密な取材と時代考証に基づいた背景美術の素晴らしさ。金沢を舞台にとにかくひた走るキャラクターたちの活き活きとした姿。TVシリーズでも走りまくってましたが、もちろん劇場版でもそれは健在だ。
 各キャラクターにも大体見せ場があって、蓮さんと巴さんは完全にネタ要因だったけどこの上なく美味しかったな(笑)。次郎丸は相変わらずの厄介者っぷり。
 今回特に株を上げたのがなこちで、家で弟や妹の面倒を見てる姿は母性が溢れまくっていてひたすらに魅力的。そして母との電話で見せた、「子ども」としての彼女。あのギャップにはすっかりやられました。
 
 この作品といい、「絶園のテンペスト」といい、安藤真裕監督と岡田磨理脚本って物凄く相性いいんじゃないか? 「CANNAN」は観てないけど、今の所安藤監督が手がけたTVアニメは全て彼女とのコンビだし、心なしか安藤作品ではマリーさんのパッションが暴走しがちな作劇がいい感じに抑制されているような気がする。
 とにかく、素晴らしい作品をありがとうございました。

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