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2013年冬アニメ 感想④

 「新世界より」と「絶園のテンペスト」の感想。

 新世界より

 A-1は最近粗製濫造のイメージがあったけど、そんな中でこれは中々の意欲作だったと思う。広大な世界観を描く美しい背景画に、久保田誓さんによる動かすことを意識したキャラデザ。制作陣の体力が追いついていない感はあったけれど、時折見せるアニメーションの魅力を楽しめる作品だった。

 物語としても、管理された未来社会を少年少女たちの幼年期・青春時代を通して描くことで説明に頼りすぎず世界を描き、終盤のカタストロフに繋げる構成が2クールアニメならではで見応えがあった。
 幼い子どもの視点から社会の歪みを恐怖として描き、そして少年少女となった彼らに社会の仕組みが明かされる。それは呪力という強大な力を持った人間たちが平穏に暮らすために異端を排斥するシステムだった。
 そのシステムに追い出された守と彼を追う真理亜の逃避行が、残された早季と覚が感じる孤独感と相まって現代にも通ずるモラトリアムの痛みに繋がるようで印象的。

 そして早季たちの半生と並行して進行するバケネズミ・スクィーラの野望。彼を筆頭に終盤バケネズミは人間に反逆し、革命を起こそうとする。
 これまで社会システムの被害者として描かれたきた早季たち、そんな彼女が大人になりシステムに組み込まれた後に真の被害者が明らかになるという構図が皮肉だなぁ。彼らは人間の気分一つに生殺与奪の権利を左右されており、省みられることはない。なぜなら彼らは獣であって、人間ではないから。
 最終話でバケネズミが元々は奴隷だった人間たちであることが発覚するのだけれど、早季がそれを知っても愧死機構を発動することなくスクィーラを楽にしたように、もはや彼らを人間と認識することは叶わない。
 それでもスクィーラは自らを人間だと言う。彼の野望が種族全体のためというのが本音か方便かは分からないけれど、その言葉だけは心からのものだったことだろう。実際に、変革を求めるに当たってその際の犠牲を認め、あらゆる手段を駆使して目的を達成しようとする姿は人間そのものだ。その点では奇狼丸も同じ。
 しかし、この世界の人間はすでに「犠牲を最小限に」すること、すなわち力も暮らしも社会も全て制限し管理することで生き続ける事を選択した「新世界」の住人であり、最早我々が共感し得る人間らしさは過去の遺物なのだ。
 そんな中で、社会のシステムに迎合しながらもそれよりも大切なものがあると感じている早季が富子様の後継者とされていることそのものが、未来への希望になっている。
 バケネズミに憎しみではない、もっと複雑な感情を抱いている彼女が、スクィーラが望んだものではないにしろ今よりももっと素敵な世界を想像し創造することができるかもしれない。
 多分人それぞれ思う所は違うと思うけれど、何かを考えずにはいられない余韻の残る物語だったと思う。面白かった。


 絶園のテンペスト

 誰かがシナリオを起こした悲劇はハッピーエンドを向かえ、そしてそれぞれの物語が始まる。過去と未来の境界線上で舞台は幕を閉じた。希望に満ちた清々しいラスト。

 安藤真宏監督×ボンズ制作ということで最初はアクションを期待していたのだけれど、中二ファンタジーをやっていたのは序盤だけで、富士山麓編から城平節全開の舌戦が始まったようにむしろ舞台劇を思わせる会話劇がメインの作品となった。
 それを象徴するのが鎖部左門というキャラクターで、最初はキャラと全然合っていないように思えた力ちゃんボイスが富士編で見せたオーバーアクションな身振り手振りとアニメ界屈指のリアクション芸によって見事に昇華され、輝きを放ち始めたのが印象的である。
 城平さんはスパイラルやヴァンパイア十字界を呼んだ限りではロジックの人で、今作でもプロットの練りこみを感じさせる完成度の高いシナリオが組まれていた。
 しかしながら、ロジックそのものを必要以上に信奉しているわけではなくて、作中でも屁理屈をこね回して状況を二転三転させていたように、理屈の「どうとでも言える感」を理解しそれを駆使して物語に活かしているように思う。彼にとってロジックはあくまで「手段」であり、「目的」ではないのだ。
 本作の主人公の一人である真広は「不合理だ」「辻褄を合わせる」と繰り返し口にしており、合理性を重んずるキャラクターとして描かれてきた。そんな彼が、物語を通して最終的に「合理的に死んだ」愛花の判断を間違っていると言う構成に、城平さんのロジックに対するスタンスが表れていると思う。
 今作の「愛花の死」を中心とする悲劇は、登場人物たちの過ちが産んだものではなく、むしろ最善を尽くした結果として引き起こされたものだ。この構図は多分城平作品に共通するもの。
正しいけれども、決定的に間違っている。彼の描く悲劇はとても合理的で、だからこそ人間的な苦悩に満ちていて素敵です。

 途上での作風の変化も印象的な作品。
 1クール目はそれこそ「彼氏」という非常に個人的な事情が世界の命運を左右するという「セカイ系」の構図となっていた本作。しかし2クール目からは、はじまりと絶園という二本の樹を巡る議論にメインキャラではなく世界の人々が参加するようになり、世論の動きや各国の情勢まで考えて未来を模索する登場人物たちの闘いが描かれた。
 正直「セカイ系」やら「決断主義」やらの話はよく分からないけれど、意識的に閉じた世界から開かれた世界へのシフトをやっている辺りメタ視点の入ったストーリーだったと思う、

 あとはキャラクターか。
共通の問題を前にして敵対していた各陣営が協力関係に発展する、という構図もまた城平さん原作の漫画作品に共通している。
 彼らは互いを利用したり牽制したり腹の探り合いをしながらも、いつしか奇妙な絆が芽生えて仲間と呼べる存在に。こういうベタベタし過ぎない人間関係もまた魅力ですよね。
 そして不破愛花というキャラがまた素晴らしいヒロインだった。城平ヒロインは強すぎるくらい強い女であるのが魅力的で、その中でも彼女はスパイラルの「結崎ひよの」に次ぐくらい好きなキャラクターです。
 愛花は幼い頃から絶園の魔法使いとしての自覚があったが故に、自らの役割に逆らわず運命のままに生きる女だった。そして死者となることで真広と吉野、二人の男の行動原理であり続けるという、二重の意味での「運命の女」。浮世離れするほどの覚悟の中に、二人の男の幸せを願う少女の一面が隠されていて、21話は何度観ても泣けます。 
 葉風ははじまりの樹を倒すことでやっと普通の女の子になれたけど、愛花は二人のおかげで絶園の魔法使いのままで普通の女の子でいられたんですね。
 いかん、涙が……。
 「運命の女」から解放され、自分の物語を生きる真広と吉野。それはきっと、シェイクスピアの悲劇じゃない、彼女自身が思い描いたハッピーエンドだったんだと思います。

 原作はまだ単行本既刊分までしか読めてないので、最後らへんはどうか分からないんだけれどちょくちょくオリジナルシーンやら改変があって、それらが上手い具合に機能して物語を膨らませていたと思います。少ないながらもどれも印象的なアクションシーン。キャラの活きた演技や飽きさせない演出、荘厳な音楽で魅せる会話劇。どれをとっても水準以上で、原作付きアニメとして見事な出来栄えだったと思います。
 今期の作品で制作陣が流れ仕事をしているようにしか思えないくらい残念な原作付き作品があったもので、なおさらこういうスタッフの気概を感じる作品をありがたく思える。
 とにかく安藤監督とスタッフの皆さん、ありがとうございました。

 今映画に触発されて「花咲くいろは」見直してるけど、すげぇ面白いなこれ。
 今2011年アニメTOP10作ったら確実に5位以内に入る作品だと思います。


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アニバタ Vol.6アニバタ Vol.9に寄稿しました。よろしくです。


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