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漫画

ねじまきカギュー 9巻 感想

 皆のために。一人のために。


 満を持して登場した主人公・カギューちゃん。
 その圧倒的な強さで遅い来る生徒会メンバーをなぎ倒し、カモ先生への可愛らしすぎる態度で見る人を魅了する。一瞬で衿沙のお株を奪う天然のヒーロー。
 彼女には周囲を魅了する気も扇動する気もなく、ただ思うままに生きているだけである。しかしその姿が自然と人を惹き付け、影響を与えていく。作中の言葉で言えば「求心力」というその力は、カギューちゃんが「本物」のヒーローであるということを如実に示しているのだろう。

 8巻の富江・朱羽VS走・小鹿戦では感想にも書いたが、「本当」と「嘘」の相対化が徹底されており、その決着が大将戦に帰結するように構成されていた。
 そしてこの巻でついに始まったカギューちゃんと衿沙の御前死合。カギューちゃんを「本物」そのものとするならば、衿沙は「偽物」として描かれているように思う。
 作中で何度か指摘されているように、「生徒会長」としての衿沙の言は真実味がなく、カモ先生は彼女の声が聞こえないと言っていた。彼女の本当の目的は隠されており、生徒会として掲げる大義名分はそのための手段なのだろう。
 いくつもの顔を使い分け、扇動し命令し、全てを自分を引き立たせるの「ショー」に飾り立てる。衿沙はどうやら「視られること」を望んでいるようであり、特にある一人の視線を気にしているようだけど……。
 で、さらにその能力も自己暗示で自分の身体を騙し、反偽薬効果で周囲の人間の脳を騙すという「無」を「有」と錯覚させるもの。
 あらゆる手段を用いて作り上げた「虚像」としてのヒーロー。衿沙がそれを求めるのは一体誰のためなのか?

 誰のために強く在れるか。この点についても、両者の間での対比がされている。
 相変わらずこの作者、印象的な構図とセリフで相対関係を強調するのが抜群に上手いんだよなぁ。
 一万人の期待を背負い、その重圧が故に敗けられないという衿沙。
 たった一人でも、大切な人が応援してくれるから自分は敗けないというカギューちゃん。

 「観衆が多ければ多いほどヒーローの拳は重くなるんだよ!!!」
 「一人の大切な人が 己を見てくれるだけでいい… それだけで己は一生頑張れる!!!!」

 不特定多数の大衆のため、大切な誰かのため、なるほどどちらもヒーローの戦う意義としては間違っていない。この二つの動機、普通なら1人の人間に内包されていて、ヒーロー物ではしばしばジレンマを引き起こしてますね。
 それが本作では2人の人間の信念として描かれている。演じている衿沙はヒーローとしての「責務」を、カギューちゃんは自然体でヒーローとしての「衝動」を主張しているわけですね。
 衿沙はカギューちゃんを周囲の迷惑を省みない「自分勝手なロマンチスト」として糾弾する。生徒一万人の期待を背負う自分こそが正義と言う衿沙。対してカギューちゃんは、たとえ少なくても身近な人を守ることでヒーローになると宣言する。

 「キミの大切な一人は ボクの一万人より重いのか?」
 「この手の届く人のためになら 己は誰にも敗けないヒーローになれる」

 このセリフのシーン。構図まで対比されていてシビレます。
 私見を述べれば、大衆のために戦うというのは皆からチヤホヤされるし、「視線」を集めたがっている衿沙には適したやり方なんですね。ただ、それで得られる人気っていうのは水物で、カギューちゃんの登場で揺れる生徒たちの姿が描かれている。結局衿沙の作り上げた「ヒーロー」というのは偶像であり、大衆が彼女に本当に何かを与えることはないんですね。大衆というのは何かの拍子ですぐに手のひらを返す。そこを強調したのが所謂ダークヒーロー物と言えるのかも。
 やっぱりカギューちゃんのように、誰と真正面から向き合わないと絆というのは生まれなくて、根っこの所の強靭さがないから多分衿沙はカギューちゃんには勝てない。
 しかしながら、衿沙には「個」も「命」すらも捨てる覚悟の部下がいて、その絆は嘘からできたものでも真実のものだと思います。信じ切れば、それが現実。ただ、衿沙は多分目的に盲目的で、その辺が見えてないんだろうなぁ。

 「皆」と「一人」という対比は、「全校生徒を愛する」というカモ先生と「人の愛は有限」というマブ姉の対立軸と通ずるものがある。
 「一人のために戦う」というカギューちゃんが、「皆」を対象とするカモ先生を絶対的に支持しているのが面白い。自分は不器用だからできないけど、カモ先生にはそれができる。異なる信念を否定せず、全面的に信頼できる。相手の仮面をぶち壊し、本当の顔を引き出してみせる。カギューちゃんの純粋さは、その生き様そのものがあらゆる「個性」を肯定していて、この点ではカモ先生の信念と一致しているという構図が素晴らしい。
 カモ先生と衿沙の違いは、本音か方便か、なんだろうなぁ。まあ実際「無償の愛」の行き着く先なんて「自己犠牲」でしかないわけだし、欺瞞として口にする衿沙の方がある意味マトモなんだけど。だからこそマブ姉はカモ先生を認めつつも受け入れないわけで。
 しかし理事長に衿沙のことを教えてくれと頼むカモ先生に助太刀(?)したのは、自分を陥れようとした敵すらも愛そうとする彼の資質を測ろうとしているのだろうか。
 ともあれ、来月の10巻が今から楽しみである。

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