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漫画

ねじまきカギュー 10巻 感想

 「嘘」と「誠」の話は最終的に「愛」の話に収束する。ああ、もう最高だ。

 本当にこの生徒会編、全てが一点に収束するように構成されていたんだなとつくづく思う。脱帽です。
 生徒会長・二知恵衿沙が強権を振るい、あらゆる欺瞞で飾り立て、学園の頂点に君臨しようとしたその目的はただ一つ、父親からの愛を得ることだった。
 その父親である理事長は、生まれつき「感情がない」という個性の持ち主で、人の様を真似てそれらしく振舞うことはできるけど、ただ一つ「愛」だけを理解することができない。
 誰よりも欲している物が絶対に手に入らない。この、親の「愛情」を受け取れずに苦悩し続ける子供、というのはTVアニメ「輪るピングドラム」で徹底的に描かれた構図である。

※知らない方には申し訳ありませんが、ちょくちょくピンドラとの比較が入ります。私のバイブル的作品なので、最大級の賛辞と思ってください。


 理事長のキャラ設定がめちゃくちゃクセモノで、彼自身はどうやら「愛」を理解したいと思っているらしいんだけど、そのためにクローンまで用意して育ててきた衿沙すらあっさりとカギューちゃん(最強の個性候補)の踏み台に据えたりと頭おかしい。
 ピンドラでは親から愛されなかった子供たちが、どうやって「愛」を得て氷の世界を生き残るかを描いたものだけど、愛を与えられない親がどうするのかという視点はなかった。多分理事長に愛を理解させるのかが、今見えてる範囲ではこの作品の最終目標になるんじゃないかと踏んでいるので、ピンドラとは違う地平での「愛」を見せてくれるのではないかと期待してます。
 
 そして何よりも衿沙の破滅描写がね、エグイのよ……。
 父の視線を得るために誰よりも輝く存在としてヒーローを目指した衿沙。それは手段でしかなかったのに、段々とヒーローになることそれ自体が目的になるほど切実な願い。歩みを進める度に足元の本当の自分が見えなくなっていって、衿沙が頑張れば頑張るほどに理事長の求める個性からは遠ざかっていくという皮肉。多分ここら辺から理事長は衿沙を見限りはじめてたんだろうな……。
 そんな彼女の目の前に現れたのは天性のヒーローであるカギューちゃん。彼女は天然で本物のヒーローで、その輝きを前に衿沙が築き上げてきた砂の城は脆くも崩れ去っていく。どうしようもなく自分が偽物であるという事実を突きつけられた衿沙。
 
 生徒会編全体を通じて、カリスマを演じていた彼女の化けの皮が一枚一枚剥がされていく様が丁寧に描かれてきた。そしてついに暴かれた彼女の本性が「無」だなんて! 
 もうこの辺の流れは加速的に演出力が上昇していくかのような圧巻の描写力で凄まじかった。

 しかもここから、心身共にボロボロな衿沙にさらなる追い討ちがかけられるというね。理事長が改心するわけないってのは分かってたよ! 分かっていたけどさ、まさか文字通り上げて落とすような真似するとは思わないじゃない!
 やっと手に入れたと思った愛が「偽物」だった。その事実に衿沙は絶望する。ここでね、おそらくは彼女の最も根源的な願いを象徴するロリ衿沙が身体から抜け出て堕ちていく演出がマジで神懸かっててヤバイ。人の心が死ぬ瞬間を絵で完璧に表現してる。全身から鳥肌が立ったわ!
 

 この衿沙の「愛に飢えた子供」の問題はどう解決すればいいのか? 
 ピンドラメソッドで言えば、まず彼女自身が誰かを愛さなければならないって所かな。貞鳥と亜鳥はもちろん、生徒会メンバーとだって彼女は愛を分かち合えるはず。父親の愛に固執してしまったのが彼女の間違い、と断じるのは残酷だけどね。理屈はそうでも感情は追い付かないだろうし。ただ、親のいないカモ先生だってあの先生に救われたわけで、代替不可能とも思わない。
 欲しいのが「家族の愛」なら、それは彼女自身が築いていけるもののはずだから。

 ひたすらに愛を求めるだけの衿沙と対比するかのように、ひたすらに周囲に愛を振りまいていくカギューちゃんの姿が描かれている。それはそのまま、家族に愛されて育った子供と愛されなかった子供の対比と言えるだろう。
 それだけじゃないんだろうけど、「本物」と「偽物」の差はここに表れてるかもしれない。
 この「真実」と「嘘」の対比というのは生徒会編を通じてずっと描かれていたこと。周囲を騙し、自分さえも騙し続けてきた衿沙。愚直なまでに自分の本心に従い、真っ直ぐな心で周りを惹き付けてきたカギューちゃん。
 かと言って、「本物だから正しい」「偽物だから間違い」ということではないはず。この作品は「嘘」そのものを否定しているわけではない。否定しているのは「自分に吐く嘘」だけ。

「自分に吐く嘘は辛いでしょう!?」


 さらに富江が走との戦いの中で見出した、たとえ虚構でも自分が信じさえすればそれは真実になるという答え。カモ先生がやり場のない激情を振り回す窈を諭した「カギューちゃんへの気持ちが疚しいものかどうか、決めるのは君自身」という言葉。

 衿沙が築き上げてきたものは「嘘」によってできたものかもしれないけど、彼女を慕う人々の気持ちまで否定できるものではない。彼女には父親以外見えていないから、それ以外の視線を顧みない。自分を擁立する者たちのことをちゃんと視ているかどうか。才能云々じゃなく、カギューちゃんとの違いなんて、本当はたったそれだけだったのだと思う。
 自分の信念すらもなく、ただただヒーローという不明瞭な偶像に縋ってしまったから、彼女は己の個性を見失ってしまった。だから彼女が救われるには、自分がこれまで積み上げてきた、目に見えない不確かなものを認めて信じることが必要なんだ。カモ先生が衿沙に何かしてあげられるとしたら、その事を教えてあげることくらいだと思うんだけど、まあ下手な予想はやめとこう。
 というか衿沙、そのことに気付きかけてたはずなんだけど、絶妙なタイミングで理事長の横槍が入ったよね。なんなのあの悪魔。


 「愛とはなにか」というのは哲学的な問いだ。理事長がぐるぐると考えているように見返りを求めた行動なのか、自己犠牲による自己満足なのか。たとえば今回の窈の行動は、自分の想いに反していても大好きなカギューちゃんに笑っていてほしいと、自分の苦しみと引き換えにした自己犠牲的な愛の一種と言える。
 カモ先生は生徒全員を大切にするという、破滅的な愛を示し続けてきたキャラクターだけど、今回で一歩先へ進んだように感じるな。ラストの、まだ意図は分からないけど自分を「敗北者」だと偽るのは多分現在の衿沙の地位を守るためでしょうね。自分は悪役のままの、自己犠牲的な行動。
 しかし今までと違うのは、それにカギューちゃんたちを巻き込んだこと。つまり始めて彼は生徒を頼った。ただ生徒たちに傷付いてほしくないと考えていた彼が、理事長との対話の中で彼らには「痛み」もまた必要なのだと理解し、そしてカギューちゃんたちを信頼することを覚えた。一方的に庇護するのではなく、相互的に愛と罰を分かち合う。完全にピンドラですねこれ。その文脈でいくと、生徒は家族も同然という言葉が現実味を帯びてくる。

 この転換は、実は紫乃の「逃避」に加担していた織筆が共に闘うことを決意する展開で先んじて描かれてるんだよなー。まあ、その後の織筆の自己陶酔的な有様を見てると上手くいってるとは言い切れないんだけど(笑)
 とにかく、衿沙も生徒会メンバーとピングドラムを手に入れて家族になればいいんだよ!(最近ピングドラムがマジックワードになってきてる気がするんでちょっと反省します)


 圧倒的な演出力で綴られることで重みを増す言葉の数々。外面と本性だなんて安易な区分に留まらず、「嘘」を肯定し「真実」に変える誠実な人物描写。「愛」とは何かを、適度な批評性を保ちつつ様々な視点から描いてくるテーマ性。そしてそれらを明瞭に提示してみせるシンプルな作劇。
 この漫画の、中山敦支先生の持つポテンシャルの高さが凝縮された素晴らしい巻でした。

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