その他
話数単位で選ぶ、2013年TVアニメ10選
今年はちゃんと新米小僧の見習い日記様のフォーマットでやらせていただきますよー。
ルール
・2013年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない
候補は色々あったんですが、各クールごとにバランスよく、自分の好みを優先して選んだ結果こうなりました。
それでは始めます。
戦姫絶唱シンフォギアG 10話 「喪失までのカウントダウン」
脚本:金子彰史 絵コンテ:稲江仁 演出:いわもとやすお
作画監督:下條祐未、高橋優也、中山祐也、普津澤時ヱ門、畑智司、渡部貴善、式地幸喜(アクション)、大河広行(メカニック)
総作画監督:沼田誠也、今西亨、杉本功、藤本さとる
なんだかんだで今年一番熱くなれたのはシンフォギア。
カウントダウン、OTONAたちの支え、師匠への意趣返しと、燃え要素のオンパレード。さらには未来を助ける時にかかる新曲、未来を助けに向かう時に初めて使ったパワージャッキ、そしてかつて未来を助けた時と同じように彼女を力強く抱きしめるシークエンスと、1期8話との対比になっていることが分かる。ヒーローである響にとっていの一番に守り、助ける対象は未来に他ならないのだと、声高に証明するような絶唱には涙を禁じえない。
響の必死な顔は、自身の命の危機を知った時でさえ見られなかったもので、迷った時に目の前の人を助けたいという原点を思い出させてくれるのはいつだって小日向未来なのだ。
二人の歪みが臨界点を越えた時、一直線な想いが奇跡を起こす。強過ぎる二人の想いが確執を生み、そしてすれ違ったはずの想いが互いを救う。ロジックを想いの力で越える、『愛』、ですよ!
悠木碧さんによる『Rainbow Flower』の叫ぶような熱唱、ラストサビの歌詞である「また会うその日まで笑顔のサヨナラだ」を「離さないッ! もう二度とッ! 離さないッ!」というセリフで塗り潰し、「絶対に 絶対に」と繋ぐ演出もシンフォギアならではで、一連のシークエンスの熱量は今年度ベストです。
サムライフラメンコ 10話 「決戦! 敵の基地」
脚本:倉田英之 絵コンテ:寺東克己 演出:青柳宏宣
作画監督:川村敏江、仁井学、平野絵美、北條直明、梅津茜、鵜池一馬、長谷川亨雄
序盤、サムライフラメンコは大衆を相手に奮闘し、その構造は正義が戦うべき悪は日常の中に潜んでいることを浮き彫りにする。しかし悪の組織という分かりやすい「悪役」が表れた途端、正義と悪の対立軸は単純化され大衆は第三者としての立場を得る。日常の中に出現したフィクションという構図は、我々が普段から世間の中に善悪の構図を見出し、安全圏から当事者性を排して囃し立てている構図を可視化したものに過ぎない。そしてそれこそが、日常の連続性を守る社会のセーフティネットであり、普段からその社会を守っている大衆こそが悪であると同時に正義なのだという逆説も同時に描いているのだ。
上記のようなメタ構造を象徴する存在が、フラメンコガールこと真野まりである。彼女はヒーローの仮面=匿名性を盾に悪を見つけては正義を以って叩きのめす、この作品が想定する大衆の悪しき側面を象徴化した存在だ。この構造に気付いた時、無思慮に彼女を糾弾する言葉は自らをも傷付ける諸刃の剣へと変わるだろう。
悪役に選ばれなかった彼女は偽物のヒーローであり、自らの内にある醜さに直面させられる。だからこそ、そんな彼女がスポットライトの光に晒される中で素顔を晒す行為にはサムライフラメンコとは別の意味合いを生じさせ、「ヒーローになれた狂人」と「ヒーローになれなかった凡人」との対比を明確にする『涙星』が特殊EDとして機能するのだ。
最近気付いたんだけど、どうも自分は女の子が自分は『偽物』でしかないのだと気付かされるシチュエーションが好物らしくて、このエピソードはそんな真野まりの配置が絶妙でシビレっぱなしでした。
のんのんびより 4話 「夏休みがはじまった」
脚本:吉田玲子 コンテ:川面真也 演出:阿部栞士
作画監督:手島典子、佐藤綾子
6話と10話もよかったけど、やっぱりストレートに感情を揺さぶられたこのエピソードで。
蝉の音、コップから滴る雫、日差しに照らされる草木。克明に描き出される夏の風景は、卓越した背景美術が織り成すこの作品の真骨頂で、登場人物たちが生きる世界へと没入させてくれる。
夏休みにれんげが出会った一人の少女、ほのか。これ自体はありきたりの話だが、だからこそ自身の記憶が刺激される。別に田舎生活に限らずとも、ひと夏限りの出会いと別れといったものは普遍的にあるもので、毎日のように遊び、かけがえのない時間を共有していく彼女たちの姿にはえもいわれぬノスタルジーが溢れていた。
そして白眉はもちろんれんげが突然の別れを告げられるシーン。元々時間の使い方が贅沢な作品ではあったが、呆然としてから徐々に事実を飲み込んでいくれんげの感情を視聴者と同期させていくかのような長回しは衝撃的だった。その後のほのかと遊んだ場所を順に写し、出会いの場所をとぼとぼと歩くれんげのシーンでゆっくりと暗転するまでの一連の流れも含め、川面監督の演出力をまざまざと見せ付けられた。
惡の華 第7回
作画統轄:川崎逸朗、平川哲生
作画監督:藤原未来夫、宮本佐和子、加藤真人、島沢ノリコ、広尾佳奈子、藤木奈々、室田恵梨、野道佳代、いがりたかし、佐藤浩一、そ〜とめこういちろう、北川大輔、長屋誠志郎
総作画監督:谷津美弥子
衝動はどうしようもなくネガティヴで先がないもののはずなのに――いや、だからこそ爽快なまでのカタルシスを得られた。
クソムシの海でもがき苦しむ仲村さんと、そんな彼女に共感し理解してしまった春日くん。行き場のない彼らの感情は、夜の教室を一つの芸術作品に変える。このシーンの音楽、映像、シークエンスの素晴らしさは間違いなくロトスコープだからこそ生まれたもので、刹那的な美しさに溢れていた。
仲村さんは春日くんを振り回しているようで、その実は彼が取る行動を眺めているだけ。「ここではないどこか」に連れて行ってくれる王子様を待つお姫様の構図、そんな彼女が最後に呟いた「変態」は、今までに聞いたどんな「変態」も敵わない、極上の熱が籠っていた。
銀河機攻隊 マジェスティックプリンス 8話 「ケレス大戦」
脚本:鈴木貴昭 絵コンテ:元永慶太郎 演出:元永慶太郎
作画監督:ふくだのりゆき
純粋にエンターテインメントとしての満足度が高かったエピソード。
1話丸々の戦闘回で、花開き始めたザンネン5のチームワーク、二転三転する戦局の推移、そしてイズルとジアートの一騎打ちと、一つ一つの要素が無理なく1話にまとまっていた。
機体ごとの役割が明確で、それぞれの個性と見事にオーバーラップする各シークエンス。キャラクター同士の軽妙なやり取りが、少なくとも作品内のこの時点ではまだ戦争映画を想起させるような小気味良さに抑えられ、活躍を痛快なものに見せていたように思う。
個人的に好きなのが、チームドーベルマンを加えたアッシュパイロットたちが並んで移動しているシーンで、それぞれの機体の軌道の細かな差が窺える俯瞰的なカメラワークが冴えていた。
リトルバスターズ! 14話 「だからぼくは君に手をのばす」
脚本:島田満 絵コンテ:島津裕行、山川吉樹 演出:櫻井親良
作画監督:西川絵奈、萩原弘光 総作画監督:飯塚晴子
Refrainも合わせて、この作品で一番好きだったエピソード。
作品全体の特徴でもある白と青とのコントラストが最もよく活きているエピソードで、「鳥=空」と「魚=海」の対比を中心として孤独に憧れる少女を描く。
人は忘れゆく生き物で、それは大切な人であっても例外ではない。誰からも認識されなければ、自己は存在しないも同じ。影を失った西園美魚は、白鳥のような孤高の存在になることで自己を確立しようとする。
しかし、孤独を知る主人公・理樹は言うのだ。
「君が望むまでもなく、僕らは孤独なんだ。人の心なんて分からない。だからこそ触れ合って、分かりあおうとするんだよ。僕らは誰かを共にあることで、自分自身を知るんだ。君は僕達と触れ合うことで、他の誰でもない西園美魚になるんだ」
人は始めから孤独である。だからこそ、自己の確立は他者の存在=光があってこそで、照らされることで影を手にしてはじめて存在が輪郭を帯びる。他者と触れ合う心=彼女の半身である美鳥と同化した時、彼女は空と海の間に浮かぶ、白鳥として西園美魚の存在を確立させた。日傘を手放すことで、光――つまりは他者を受け入れたラストのカットも含め、寓意が上手く機能していた。
ゲームとアニメ、媒体の壁を感じずにはいられない本作において、最もアニメーションに落とし込むことに成功していたエピソードなんじゃないかと勝手に思っています。
私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 10話 「モテないし、二学期が始まる」
脚本:吉岡たかを コンテ:西田正義 演出:徳本善信
作画監督:空流辺広子
日常系アニメのアンチテーゼにもなり得る、「本当に何も起こらない日常」のエピソード。
この作品は元々もこっちのひとり相撲を描く作品だが、孤独で悲惨な彼女の毎日を笑って見ていられるのは、基本的に彼女の言動がクズで大抵の場合は自業自得で片付けられるようなエピソードが多かったからである。
しかしこのエピソードでは、もこっちは少なくとも何も悪い事はしていない。そして彼女の周囲もまた、彼女に対して働きかけることはない。本当に何も起こらないのだ。「もこっちの悪意」というバイアスが外されても、彼女の日常は好転することはない。
そんな中で、彼女が一縷の望みをかけたのが部活動の併設である。それは、昨今のラノベをはじめとした作品群に見られる「男女入り混じって適当に駄弁ったりしながら青春を過ごす」タイプの部活を夢見ての行動だった。しかし現実は非常、活動内容の不明確な部活は生徒会に認められず、もこっちの願いは無に帰すのだった。
何が悲しいって、それまでのもこっちの妄想が自らを最大限美化したものだったのに対して、この回で妄想される架空の部室内には等身大のもこっちがいたこと。あまりの切実さに、現実にも居場所のない少年少女がアニメ等に憧れて一度はああいう部活動を夢見てたのかなと、そんなセンチメンタルな気持ちに浸ったエピソードでした。
たまこまーけっと 2話 「恋の花咲くバレンタイン」
脚本:吉田玲子 絵コンテ:山田尚子 演出:三好一郎
作画監督:西屋太志
浮ついたバレンタインの空気の中で揺れ動くある一人の乙女の心。
言葉の切れ端に過剰に反応し、ちょっとしたスキンシップにドキっとする、そんなみどりの表情・演技の一つ一つが見所で、彼女の視線の先を直接は映さない構図の数々に想いの曖昧さが表れている。
陽気に叫ばれる「エブリバディ・ラブズ・サムバディ」。その瞬間、彼女の気持ちが浮き立つかのようなカメラワーク。不安定な気持ちを持て余すかのような縁石を歩くカット。あらゆる描写にセンスが溢れていて、不思議な浮遊感を味わえた回です。
「誰が誰を好きになってもいいんだよ」
WHITE ALBUM2 11話 「雪が解け、そして雪が降るまで(後編)」
脚本:丸戸史明 絵コンテ・演出:ヤマトナオミチ
作画監督:佐野陽子、石井ゆみこ
総作画監督:水上ろんど、藤本さとる、塩川貴史
物語が始まる以前、出会いの時から順を追って語られる、かずさと春希の恋の軌跡。
少しずつ恋心を育んでいったのに、少しずつ距離を縮めていったのに、ボタンを掛け違えてしまった悲恋に心が抉られる。当初は対等に近いヒロインレースに見えただけに、このタイミングで真に結ばれるべきは誰と誰だったかを見せる構成の意地の悪さが光る。
特筆すべきは「キス」を用いた演出で、かずさはこのエピソードの中で3回(1回は未遂)春希とキスをする。
一度目は文化祭の後、3人でいることの喜びを最大限味わった日に、彼女は涙を流しながら寝ている春希の唇を奪う。二度目は温泉旅行の帰り、再び寝ている春希にキスしようとするが、今や親友雪菜の彼氏であり、後ろに当人がいるその場で彼女は自分の気持ちを押し止める。そして3度目は、秘めた想いを春希に打ち明けた雪菜の誕生日の夜。
春希がかずさを抱きしめてキスするんですが、このキスが!、切ないのにエロくてたまらない。個人的に『C』最終回以来の名キスシーンです。
エロいってのはこのエピソードにおいては重要で、だからこそ「雪菜と……何回キスしたんだよっ……!」って台詞も活きてくる。何もかもが遅すぎた、だけど止まれない想い。かずさに感情移入せずにはいられないし、春希の行動も否定しきれない、この作品の真価をようやく垣間見れたエピソードだったんじゃないかなーと思います。
有頂天家族 6話 「紅葉狩り」
脚本:管正太郎 絵コンテ:吉原正行 演出:倉川英揚
作画監督:大東百合恵
「今の弁天に、昔日の面影はない」 本当に?
アバンで描かれる弁天こと鈴木聡美と赤玉先生の出会い、当時どこにでもいる可愛い少女だった彼女は、今や京都最強の女性になった。
周囲には彼女が成り上がり、怪物へと変貌したかのように見えるだろう。しかしつまるところ、彼女もまた周囲を化かしているだけなのではないか。
鮮やかな紅葉の中で、淀川と矢三郎、そして弁天が語らうシーン。この回で個人的に好きなのはタバコの演出で、淀川が語る自身のセンチメンタルな一面を否定する弁天は、はぐらかしながらその身を文字通り煙に巻いて立ち去る。
秘められた彼女の想い、子供のように流す涙を見られるのは、大海を知らない蛙だけである。
矢三郎と淀川との語らいでは、食物連鎖に根ざす種族間の断絶を浮き彫りにしつつも、そこには奇妙な絆の誕生が見られる。身勝手な哲学を語る淀川の愛すべき人間性に、阿呆の血がうずくのも仕方がないと思える、帰り際に名詞を手渡し握手をするカットが単純だけど沁みます。
※追記
阿呆な勘違いがあったので修正しときます。
あー恥ずかしい。
他には、
進撃の巨人 1話
THE UNLIMITED -兵部京介- 8話
京騒戯画 5話
ラブライブ! 3話
キルラキル 3話
ファンタジスタドール 7話
などが候補としてあったので、次点として挙げておきます。
それでは。
・2013年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない
候補は色々あったんですが、各クールごとにバランスよく、自分の好みを優先して選んだ結果こうなりました。
それでは始めます。
戦姫絶唱シンフォギアG 10話 「喪失までのカウントダウン」
脚本:金子彰史 絵コンテ:稲江仁 演出:いわもとやすお
作画監督:下條祐未、高橋優也、中山祐也、普津澤時ヱ門、畑智司、渡部貴善、式地幸喜(アクション)、大河広行(メカニック)
総作画監督:沼田誠也、今西亨、杉本功、藤本さとる
なんだかんだで今年一番熱くなれたのはシンフォギア。
カウントダウン、OTONAたちの支え、師匠への意趣返しと、燃え要素のオンパレード。さらには未来を助ける時にかかる新曲、未来を助けに向かう時に初めて使ったパワージャッキ、そしてかつて未来を助けた時と同じように彼女を力強く抱きしめるシークエンスと、1期8話との対比になっていることが分かる。ヒーローである響にとっていの一番に守り、助ける対象は未来に他ならないのだと、声高に証明するような絶唱には涙を禁じえない。
響の必死な顔は、自身の命の危機を知った時でさえ見られなかったもので、迷った時に目の前の人を助けたいという原点を思い出させてくれるのはいつだって小日向未来なのだ。
二人の歪みが臨界点を越えた時、一直線な想いが奇跡を起こす。強過ぎる二人の想いが確執を生み、そしてすれ違ったはずの想いが互いを救う。ロジックを想いの力で越える、『愛』、ですよ!
悠木碧さんによる『Rainbow Flower』の叫ぶような熱唱、ラストサビの歌詞である「また会うその日まで笑顔のサヨナラだ」を「離さないッ! もう二度とッ! 離さないッ!」というセリフで塗り潰し、「絶対に 絶対に」と繋ぐ演出もシンフォギアならではで、一連のシークエンスの熱量は今年度ベストです。
サムライフラメンコ 10話 「決戦! 敵の基地」
脚本:倉田英之 絵コンテ:寺東克己 演出:青柳宏宣
作画監督:川村敏江、仁井学、平野絵美、北條直明、梅津茜、鵜池一馬、長谷川亨雄
序盤、サムライフラメンコは大衆を相手に奮闘し、その構造は正義が戦うべき悪は日常の中に潜んでいることを浮き彫りにする。しかし悪の組織という分かりやすい「悪役」が表れた途端、正義と悪の対立軸は単純化され大衆は第三者としての立場を得る。日常の中に出現したフィクションという構図は、我々が普段から世間の中に善悪の構図を見出し、安全圏から当事者性を排して囃し立てている構図を可視化したものに過ぎない。そしてそれこそが、日常の連続性を守る社会のセーフティネットであり、普段からその社会を守っている大衆こそが悪であると同時に正義なのだという逆説も同時に描いているのだ。
上記のようなメタ構造を象徴する存在が、フラメンコガールこと真野まりである。彼女はヒーローの仮面=匿名性を盾に悪を見つけては正義を以って叩きのめす、この作品が想定する大衆の悪しき側面を象徴化した存在だ。この構造に気付いた時、無思慮に彼女を糾弾する言葉は自らをも傷付ける諸刃の剣へと変わるだろう。
悪役に選ばれなかった彼女は偽物のヒーローであり、自らの内にある醜さに直面させられる。だからこそ、そんな彼女がスポットライトの光に晒される中で素顔を晒す行為にはサムライフラメンコとは別の意味合いを生じさせ、「ヒーローになれた狂人」と「ヒーローになれなかった凡人」との対比を明確にする『涙星』が特殊EDとして機能するのだ。
最近気付いたんだけど、どうも自分は女の子が自分は『偽物』でしかないのだと気付かされるシチュエーションが好物らしくて、このエピソードはそんな真野まりの配置が絶妙でシビレっぱなしでした。
のんのんびより 4話 「夏休みがはじまった」
脚本:吉田玲子 コンテ:川面真也 演出:阿部栞士
作画監督:手島典子、佐藤綾子
6話と10話もよかったけど、やっぱりストレートに感情を揺さぶられたこのエピソードで。
蝉の音、コップから滴る雫、日差しに照らされる草木。克明に描き出される夏の風景は、卓越した背景美術が織り成すこの作品の真骨頂で、登場人物たちが生きる世界へと没入させてくれる。
夏休みにれんげが出会った一人の少女、ほのか。これ自体はありきたりの話だが、だからこそ自身の記憶が刺激される。別に田舎生活に限らずとも、ひと夏限りの出会いと別れといったものは普遍的にあるもので、毎日のように遊び、かけがえのない時間を共有していく彼女たちの姿にはえもいわれぬノスタルジーが溢れていた。
そして白眉はもちろんれんげが突然の別れを告げられるシーン。元々時間の使い方が贅沢な作品ではあったが、呆然としてから徐々に事実を飲み込んでいくれんげの感情を視聴者と同期させていくかのような長回しは衝撃的だった。その後のほのかと遊んだ場所を順に写し、出会いの場所をとぼとぼと歩くれんげのシーンでゆっくりと暗転するまでの一連の流れも含め、川面監督の演出力をまざまざと見せ付けられた。
惡の華 第7回
作画統轄:川崎逸朗、平川哲生
作画監督:藤原未来夫、宮本佐和子、加藤真人、島沢ノリコ、広尾佳奈子、藤木奈々、室田恵梨、野道佳代、いがりたかし、佐藤浩一、そ〜とめこういちろう、北川大輔、長屋誠志郎
総作画監督:谷津美弥子
衝動はどうしようもなくネガティヴで先がないもののはずなのに――いや、だからこそ爽快なまでのカタルシスを得られた。
クソムシの海でもがき苦しむ仲村さんと、そんな彼女に共感し理解してしまった春日くん。行き場のない彼らの感情は、夜の教室を一つの芸術作品に変える。このシーンの音楽、映像、シークエンスの素晴らしさは間違いなくロトスコープだからこそ生まれたもので、刹那的な美しさに溢れていた。
仲村さんは春日くんを振り回しているようで、その実は彼が取る行動を眺めているだけ。「ここではないどこか」に連れて行ってくれる王子様を待つお姫様の構図、そんな彼女が最後に呟いた「変態」は、今までに聞いたどんな「変態」も敵わない、極上の熱が籠っていた。
銀河機攻隊 マジェスティックプリンス 8話 「ケレス大戦」
脚本:鈴木貴昭 絵コンテ:元永慶太郎 演出:元永慶太郎
作画監督:ふくだのりゆき
純粋にエンターテインメントとしての満足度が高かったエピソード。
1話丸々の戦闘回で、花開き始めたザンネン5のチームワーク、二転三転する戦局の推移、そしてイズルとジアートの一騎打ちと、一つ一つの要素が無理なく1話にまとまっていた。
機体ごとの役割が明確で、それぞれの個性と見事にオーバーラップする各シークエンス。キャラクター同士の軽妙なやり取りが、少なくとも作品内のこの時点ではまだ戦争映画を想起させるような小気味良さに抑えられ、活躍を痛快なものに見せていたように思う。
個人的に好きなのが、チームドーベルマンを加えたアッシュパイロットたちが並んで移動しているシーンで、それぞれの機体の軌道の細かな差が窺える俯瞰的なカメラワークが冴えていた。
リトルバスターズ! 14話 「だからぼくは君に手をのばす」
脚本:島田満 絵コンテ:島津裕行、山川吉樹 演出:櫻井親良
作画監督:西川絵奈、萩原弘光 総作画監督:飯塚晴子
Refrainも合わせて、この作品で一番好きだったエピソード。
作品全体の特徴でもある白と青とのコントラストが最もよく活きているエピソードで、「鳥=空」と「魚=海」の対比を中心として孤独に憧れる少女を描く。
人は忘れゆく生き物で、それは大切な人であっても例外ではない。誰からも認識されなければ、自己は存在しないも同じ。影を失った西園美魚は、白鳥のような孤高の存在になることで自己を確立しようとする。
しかし、孤独を知る主人公・理樹は言うのだ。
「君が望むまでもなく、僕らは孤独なんだ。人の心なんて分からない。だからこそ触れ合って、分かりあおうとするんだよ。僕らは誰かを共にあることで、自分自身を知るんだ。君は僕達と触れ合うことで、他の誰でもない西園美魚になるんだ」
人は始めから孤独である。だからこそ、自己の確立は他者の存在=光があってこそで、照らされることで影を手にしてはじめて存在が輪郭を帯びる。他者と触れ合う心=彼女の半身である美鳥と同化した時、彼女は空と海の間に浮かぶ、白鳥として西園美魚の存在を確立させた。日傘を手放すことで、光――つまりは他者を受け入れたラストのカットも含め、寓意が上手く機能していた。
ゲームとアニメ、媒体の壁を感じずにはいられない本作において、最もアニメーションに落とし込むことに成功していたエピソードなんじゃないかと勝手に思っています。
私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 10話 「モテないし、二学期が始まる」
脚本:吉岡たかを コンテ:西田正義 演出:徳本善信
作画監督:空流辺広子
日常系アニメのアンチテーゼにもなり得る、「本当に何も起こらない日常」のエピソード。
この作品は元々もこっちのひとり相撲を描く作品だが、孤独で悲惨な彼女の毎日を笑って見ていられるのは、基本的に彼女の言動がクズで大抵の場合は自業自得で片付けられるようなエピソードが多かったからである。
しかしこのエピソードでは、もこっちは少なくとも何も悪い事はしていない。そして彼女の周囲もまた、彼女に対して働きかけることはない。本当に何も起こらないのだ。「もこっちの悪意」というバイアスが外されても、彼女の日常は好転することはない。
そんな中で、彼女が一縷の望みをかけたのが部活動の併設である。それは、昨今のラノベをはじめとした作品群に見られる「男女入り混じって適当に駄弁ったりしながら青春を過ごす」タイプの部活を夢見ての行動だった。しかし現実は非常、活動内容の不明確な部活は生徒会に認められず、もこっちの願いは無に帰すのだった。
何が悲しいって、それまでのもこっちの妄想が自らを最大限美化したものだったのに対して、この回で妄想される架空の部室内には等身大のもこっちがいたこと。あまりの切実さに、現実にも居場所のない少年少女がアニメ等に憧れて一度はああいう部活動を夢見てたのかなと、そんなセンチメンタルな気持ちに浸ったエピソードでした。
たまこまーけっと 2話 「恋の花咲くバレンタイン」
脚本:吉田玲子 絵コンテ:山田尚子 演出:三好一郎
作画監督:西屋太志
浮ついたバレンタインの空気の中で揺れ動くある一人の乙女の心。
言葉の切れ端に過剰に反応し、ちょっとしたスキンシップにドキっとする、そんなみどりの表情・演技の一つ一つが見所で、彼女の視線の先を直接は映さない構図の数々に想いの曖昧さが表れている。
陽気に叫ばれる「エブリバディ・ラブズ・サムバディ」。その瞬間、彼女の気持ちが浮き立つかのようなカメラワーク。不安定な気持ちを持て余すかのような縁石を歩くカット。あらゆる描写にセンスが溢れていて、不思議な浮遊感を味わえた回です。
「誰が誰を好きになってもいいんだよ」
WHITE ALBUM2 11話 「雪が解け、そして雪が降るまで(後編)」
脚本:丸戸史明 絵コンテ・演出:ヤマトナオミチ
作画監督:佐野陽子、石井ゆみこ
総作画監督:水上ろんど、藤本さとる、塩川貴史
物語が始まる以前、出会いの時から順を追って語られる、かずさと春希の恋の軌跡。
少しずつ恋心を育んでいったのに、少しずつ距離を縮めていったのに、ボタンを掛け違えてしまった悲恋に心が抉られる。当初は対等に近いヒロインレースに見えただけに、このタイミングで真に結ばれるべきは誰と誰だったかを見せる構成の意地の悪さが光る。
特筆すべきは「キス」を用いた演出で、かずさはこのエピソードの中で3回(1回は未遂)春希とキスをする。
一度目は文化祭の後、3人でいることの喜びを最大限味わった日に、彼女は涙を流しながら寝ている春希の唇を奪う。二度目は温泉旅行の帰り、再び寝ている春希にキスしようとするが、今や親友雪菜の彼氏であり、後ろに当人がいるその場で彼女は自分の気持ちを押し止める。そして3度目は、秘めた想いを春希に打ち明けた雪菜の誕生日の夜。
春希がかずさを抱きしめてキスするんですが、このキスが!、切ないのにエロくてたまらない。個人的に『C』最終回以来の名キスシーンです。
エロいってのはこのエピソードにおいては重要で、だからこそ「雪菜と……何回キスしたんだよっ……!」って台詞も活きてくる。何もかもが遅すぎた、だけど止まれない想い。かずさに感情移入せずにはいられないし、春希の行動も否定しきれない、この作品の真価をようやく垣間見れたエピソードだったんじゃないかなーと思います。
有頂天家族 6話 「紅葉狩り」
脚本:管正太郎 絵コンテ:吉原正行 演出:倉川英揚
作画監督:大東百合恵
「今の弁天に、昔日の面影はない」 本当に?
アバンで描かれる弁天こと鈴木聡美と赤玉先生の出会い、当時どこにでもいる可愛い少女だった彼女は、今や京都最強の女性になった。
周囲には彼女が成り上がり、怪物へと変貌したかのように見えるだろう。しかしつまるところ、彼女もまた周囲を化かしているだけなのではないか。
鮮やかな紅葉の中で、淀川と矢三郎、そして弁天が語らうシーン。この回で個人的に好きなのはタバコの演出で、淀川が語る自身のセンチメンタルな一面を否定する弁天は、はぐらかしながらその身を文字通り煙に巻いて立ち去る。
秘められた彼女の想い、子供のように流す涙を見られるのは、大海を知らない蛙だけである。
矢三郎と淀川との語らいでは、食物連鎖に根ざす種族間の断絶を浮き彫りにしつつも、そこには奇妙な絆の誕生が見られる。身勝手な哲学を語る淀川の愛すべき人間性に、阿呆の血がうずくのも仕方がないと思える、帰り際に名詞を手渡し握手をするカットが単純だけど沁みます。
※追記
阿呆な勘違いがあったので修正しときます。
あー恥ずかしい。
他には、
進撃の巨人 1話
THE UNLIMITED -兵部京介- 8話
京騒戯画 5話
ラブライブ! 3話
キルラキル 3話
ファンタジスタドール 7話
などが候補としてあったので、次点として挙げておきます。
それでは。
- 関連記事
-
- 2013年ベストアニメ10選&今年のまとめ
- 話数単位で選ぶ、2013年TVアニメ10選
- 「今期終了アニメ(9月終了作品)の評価をしてみないかい?22」に参加します。
スポンサーサイト