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輪るピングドラム

輪るピングドラム あるいは倫理を越えた原罪の話

 誰も彼もリアリティ 昨日までを忘れて 優しさに憧れて また空を見て
 虹を見た事があったのを 無理矢理掻き消していく

 2013年のクリスマス、私には『輪るピングドラム』を一から見直すという大事な用事がありました。もちろん各話単位では普段から何度も見返しているのだけど、一気に全話となると意識的に時間を作らないとできないですからね。
 さて、根底に流れる確かなテーマ性を軸に抽象性の高い作劇を繰り広げたこの作品、その性質ゆえにあらゆる解釈を許容する万華鏡のような多面性があります。もちろん、ともすれば矛盾すらも孕んでいるのですが、まあ世界ってそんなもんだよねと。
 私も今回の再見の中で以前までとはまた違った観点から見ることができたと思うので、この機会にざっとまとめてみようと思います。
 実はこれ2014年最初の記事にする予定だったんだけど、どうしてこうなった。
 というか本当なら今日3月20日の0時に公開されて(ry


『輪るピングドラム』のテーマの一つとして、「過去の清算」というものがある。ここで言う「過去」とは、人間社会の構成員が半ば無意識的に忘れている決して遠くない過去であり、あるいは個々人がその人生の中で積み上げてきた過去でもある。
 私たちは過去に立脚した現在を生きている。しかし、いざ過去を振返ってみようとすると、それは完全なものではないことに容易に気付くはずだ。忘れてしまった記憶、おぼろげな思い出、そして失くしてしまった想い。記憶は整理され、思い出は美化される。その過程において、零れ落ちるものがある。無意識に、あるいは意図的に封じ込めた過去があるのだ。それは目の前の平穏、あるいは自意識を守るために必要なプログラムだ。
 それは社会においても同じ事。凄惨な事件や大規模な事故があって、大なり小なり誰もが様々な感情を抱いたことだろう。しかしそれも歴史の一つとして記録され、人々の意識にも単純化した情報だけが残り、本来そこから考えなければならなかったはずの本質的な問題は形骸化する。日々流れる日常の中で、忘れられ埋もれていってしまう。
 過去に囚われてはいけない。だが一方で、全てなかったことにして未来への希望を語り合うことは、本当に建設的なことなのだろうか。受け止めるべきことを受け止めず、問題を棚上げにした展望は無責任な理想論にしかならないのではないか。昨日のツケを忘れたフリして、明日へ向かうと言い訳してるだけである。
 だからこそ、「過去の清算」が必要になるのだ。忘れていたこと、都合の悪いことを思い出して、綺麗事ですり潰さずに向き合うことが必要なのだ。


1.忘却によって作られた平穏

 『輪るピングドラム』では、ペンギンマークの球によって他者の記憶を消し、あるいは思い出させる、といったように忘却のギミックが分かりやすく可視化されている。
 作中の登場人物たち、とりわけ主人公である高倉家の面々は特にそうで、彼らは彼らの日常を守るために半ばそれぞれの役割を演じながら、都合の悪い過去から目を背けて生きている。この構造が明示されるのは、第12話で16年前の事件の顛末が明かされてから。つまり、1クール目で描かれた日常は、まさに彼らが真実から目を背けることで守ってきた平穏の日々に他ならない。
 それを示すように、2クール目に入ってからは主要人物達が秘めた過去を晒し、その内にある激情を迸らせる様が描かれた。そして最後には高倉家の虚像が暴かれ、偽物の家族として離れ離れになってしまうのである。
 この構造を端的に示す描写が本作における日常の象徴でもある、高倉家の食卓のシーンにある。第1話、一時的に退院した陽毬が晶馬・冠葉の兄弟と朝食の席に着き、みそ汁を飲んでしみじみと言う。

 「晶ちゃんのお味噌汁は、お母さんと同じ味がするね」
 
 このセリフは、第20話において全く同じシチュエーション上で反復される。しかしこれを聞いた晶馬の反応は、感激していた前者とは打って変わり、露骨に不機嫌を示すものだった。晶馬のこの変化は、当然ながら忘れて暮らしていたはずの両親の呪いを嫌というほど思い出させるような出来事が間にあったからであり、取り繕った生活が崩壊を迎えていることを暗に示すサインとなっている。


2.子供たちを呪う過去の亡霊

 「家族というのは一種の幻想、呪いのようなものだとは思わない?」

 高倉一家に限らず、本作の登場人物は皆なんらかの形で家族からの影響を受け、それが一つの『呪い』となってそれぞれを縛り付ける。子は親を選べない。生まれてくる子供たちにとって決して避けることのできない、運命の象徴である。
 ここで一つ留意しておきたいのが、作中において子供たちを縛る『家族』が現在における実像というよりも、むしろ過去の亡霊としての性質が強いという点である。実際に幽霊として登場する高倉剣山・千江美夫妻や夏芽左兵衛などは分かりやすいが、両親共に顕在である荻野目家に関してもそれは変わらない。物語当初、荻野目苹果は離婚により別たれてしまった家族を取り戻すために、姉桃果への同一化のために邁進していた。つまり、過去にあった家族像を求めての行動であるわけだが、現在彼女と暮らしている母親は決して苹果をないがしろにしているわけではない。荻野目母は確かに桃果を失った悲しみに暮れていた頃とは違ってしまったかもしれないが、晶馬との会話をみるに年頃の女の子の母親として特に問題があるようには見えない。荻野目母はとっくに桃果への妄執からの脱却を果たしており、しかし苹果は過去に両親が残した呪いに一人囚われたままになってしまっていたのだ。再婚を考えていた苹果の父もまた前に進む姿勢を示していた。となれば、第13話において苹果が現在の家族を受け入れることで呪いからの脱却を果たすのは至極当然の流れだろう。
 余談だが、苹果が桃果との同一化を願う強迫観念から解放されたのは、桃果の運命の人である多蕗ではなく、自分自身の運命の人を見出したからで、総じて先んじて描かれる彼女の顛末はその後の物語の布石になっていると言える。

 話を戻すと、作中で子供たちを縛るのは彼らが心の中に描く『家族』の虚像であり、高倉兄妹たちはその虚像を必死で取り繕っているパターンだと言える。多蕗やゆり、大人たちにとっても子供の頃の家族の記憶はトラウマとなり、呪いとして彼らを縛り続ける。
 しかし、徹底的に家族による呪いが描かれた本作ではあるが、その一面を以って親による遺産を否定しているかといえば、決してそうではない。
 たとえば、夏芽真砂子は祖父左兵衛の理念に支配される幼少期を送り、何度も彼を殺す夢を見るくらいに追い詰められていた。しかし、祖父の死後も弟マリオの中に彼の姿を見出すなど、彼女は今でもその影に怯えている。だが、真砂子の言動を追えば分かるように皮肉にも最も祖父の理念を継いでいるのは真砂子であり、半ば同化した彼の哲学や生き方が今の夏芽家を支えていると言っても過言ではない。
 また、高倉家に関しても、晶馬は母親の味を受け継いでいるし、冠葉はその行動理念を父親から学んだことは第5話において描かれている。そしてこれらは、彼らがそれぞれ内外から高倉家を維持するための確かな礎となっている、確かな財産なのだ。
 作劇上ではおそらく意図的に『家族』というモチーフの負の側面が強調されており、キャラクターたちもそれに囚われている、実際の影響と登場人物たちの思い込みが組み合わさって初めてそれは『呪い』としての効力を発揮しているのだ。しかし、先述したように彼らは自覚の有無に関わらずそれぞれの持つ美徳と個性において『家族』の恩恵を賜っている。『呪い』だと思っていたものが、実は同時に『祝い』でもあった。この表裏一体性の自覚こそが、最終的にこの作品が導き出した解答にも繋がる重要なファクターなのだ。


3.僕たちの愛と罰

 高倉家の離散を以って激化する晶馬と冠葉の対立構造は、『理性』と『本能』あるいは『モラル』と『エゴ』の対比であり、陽毬のために一線を越えてしまった冠葉を晶馬が連れ戻すという形に集約される。この構図を静観する眞悧の発言はこうだ。

 「真に純粋な生命の世界は利己的なルールだけが支配している。そこに人の善悪は関与出来ない」

 ここで語られるのはその場における前提条件だ。そこからの愛と罰を問う物語展開において、人の善悪つまりは社会的倫理や正義の問題は範疇外であり、ただ彼ら自身の存在にのみ関わりのあるものだというエクスキューズである。それが証拠に、晶馬の目的は冠葉の犯した社会的な罪悪を追求するものではなく、むしろ彼自身を救う方向に第23話において軌道修正されている。この辺を理解していないと、高倉家の言う罪と罰がなんのことなのか分からなくなるので、ここで説明しておく。ちなみに社会的倫理の問題を超えた先に愛と罰の話がある、というのは実は第22話において冠葉のテロ行為を必死で止めようとする真砂子が、最終的には愛と義のためにマリオを切り捨てて社会悪である冠葉を庇うことを選択する、という過程によって先んじて描かれていた。

 さて、冠葉を救うシークエンスにおいて描かれるのは、今までの家族としての思い出を振返り、傷付きながらも彼に近付く陽毬の姿。生まれたままの姿で、全身傷だらけになりながらも陽毬は冠葉を抱きしめ、彼の身体からは罪の象徴である赤い血が迸る。しかしそれは、赤い果実に姿を変えるのだ。
 罪の象徴である血と、愛の象徴である実りの果実、それらが実質的には同一の存在であるという描写。今まで幸せだった高倉家の思い出も、その裏で冠葉が犯してきた罪も、両方を肯定し抱き締めることで初めて冠葉の心に届くことができた。そして、「はじめから全部罰だった」「生きる事は罰」と言う通り、ここで言われる罰は社会的な悪に留まらず人が生きる上で避けては通れない誰もが犯す原罪のことである。それは犯罪から日常における他愛のないケンカ、望む望まないに関わらず他人に起こす影響に至るまで、全てを内包した生きる事それ自体に付随する罪であり、だからこそ人は罰を受け続ける。しかしそれは人が人に与え与えられる愛そのものでもあり、表裏一体を為す『僕たちの愛と罰』こそがピングドラムの正体なのである。
 先程の『家族』の話でも書いたように、この表裏一体の観念こそが要である。たとえば、第9話にて眞悧が陽毬に見せた彼女自身の記憶も、今はもう失ってしまった夢や、そのために犯した小さな罪と罰を思い出させるものであったが、同時に今も続くトリプルHへの友情も描かれており、それが最終話でのキーとして効果を発揮したのは知っての通りだ。余談だが、『家族』の話に関しては、小説版において「晶馬が家族としての父と母を肯定する」というアニメでは描かれなかったシークエンスが追加されており、この点が強調されている。
 さて、ここで最初に書いた『忘却』の話が活きてくる。
 この物語の登場人物たちは皆なんらかの形で過去に負い目を抱き、それらを否定したり忘却の彼方に送ることで、表面的な平穏を保っていた。しかしそれは、物語の後半において様々な手段で登場人物ひいては視聴者の目前に曝け出される。忘れたい、思い出したくない過去、それは彼らを縛り苦しめるけれど、本当はその中にこそ愛の記憶があり、それを掴むためには決して目を逸らしてはいけない。過去に向き合い、運命を受け入れ、未来へ繋ぐ、すなわち清算である。ここまでくれば、回想を多用し、95年というモチーフを強調し、目に見える真実を二転三転させていった作劇の意図がどこまでもテーマに沿ったものであることが分かるだろう。


4.使い古されたヒーロー

 この作品を語る上で外せないのが、やはり眞悧と桃果の存在である。
 物語上で多大な影響を及ぼす2人ではあるが、最終話における彼らの立ち位置はあくまで『傍観者』である。
 それぞれ『呪い』と『祝い』のメタファーである2人の二項対立構造は、それらが実は表裏一体の存在であるというテーゼに真っ向から反する。だから彼らは既に死んだ幽霊であり、過去の存在なのである。
 桃果は特に、世が世なら主人公でもおかしくない、人を愛し救ってみせるヒーローのような存在だった。しかし作中ではむしろ、舞台上から姿を消したことで彼女に救われた多蕗やゆりが孤独を抱えたまま大人になってしまうという、一方的な救いの果てにある負の側面を強調する形で描かれている。他にも、『愛』の裏に潜む排他性が桃果を通して描かれており、多蕗を救う過程でその他の子供たちは容赦なく透明にされ、『美しい世界』を破壊しようとする眞悧を容赦なく葬ろうとした。しかしそういった往年の救済行動を『使い古されたヒーロー』として扱うこの作品は全面肯定はせず、桃果と眞悧の直接対決は相打ちという結果に終わった。眞悧が言うように、彼女は世界を半分しか救えないのである。
 高倉家の結末は、眞悧と桃果が対立するステージとは別の次元にあった。それを知る桃果は、「列車は行ってしまった」と残し、舞台から退場する。一方の眞悧は、社会の残酷さと人と人は分かり合えないという真実が改善されない世界を認められず、その場に取り残されることになる。
 『呪い』も『祝い』も変わらず世界には存在していて、しかしそれは人が生きる上で切り離せない愛と罰のように表裏一体のものである。それにも関わらず、人々はほんの弾みで白黒の概念を単純化して二項対立に分けてしまう。使い古されたヒーローたちは、それでも幽霊のようにいつにでもどこにでも現れ、現実に生きる人々を振り回すだろう。揺れる世界の中でどう生きていけばいいのか、あえて今この時代にその答の一つを真摯に描き出した作品、それが『輪るピングドラム』である。
 
 3月20日、呪われたその日に産まれた運命の子供たちへ――誕生日おめでとう!
 


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アニバタ Vol.6アニバタ Vol.9に寄稿しました。よろしくです。


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