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キャプテン・アース

キャプテン・アース 2話 「銃の名はライブラスター」 感想

 だって、ブーメラン見たいんだもん!


 いきなり他作品の話になるが、同じく榎戸洋司脚本作品である『少女革命ウテナ』と『STAR DRIVER 輝きのタクト』において、「閉ざされた世界から開かれた世界に踏み出す」というシークエンスは物語のクライマックスとして描かれてきた。
 ところが、本作では2話目にして既に主要キャラたちが外の世界へ飛び出していくシークエンスを明らかに見せ場として描いてきている。
 1話では冒頭からダイチが成層圏を突き抜けるロケットの発射を見るシーンが描かれ、彼が学校や苦手な風の吹く街に閉塞感を覚えていることが示された。そして彼はそこから飛び出して、種子島へ行きアースエンジンに乗って宇宙へと飛び立つ。姫宮アンシーを連想させるヒロイン・ハナも、「ずっと眠ったまま」の状態からダイチによって呼び覚まされ、外に出る様が描かれている。
 2話ではまさに籠の中の鳥といった感じでGlobeの施設内で管理されるテッペイとハナが、ダイチによって解放され外に出る。
 早い段階で、外の世界への志向性が描かれる。榎戸脚本として考えると余計に、これが重大な意味を持っているように思えるんだよなぁ。明らかに外に出た、その先をやるつもりだもん。余談だけど、自分はまだセーラームーンもトップ2も忘却の旋律もホスト部も見てないのであんまり榎戸榎戸言うのは憚られないでもないけど、まあツッコまれるのを承知で書きたいことを書きます。

 その外に出るためのメソッドもまた重要。
 まずダイチとテッペイの2人に絞って言えば、彼らが外の世界に踏み出すシークエンスは幼少期のやり取りの反復になっている。ペンダントを交換し合うあのやり取り、ダイチがブーメランを見せれば、テッペイは虹を見せる。これらは、2人がそれぞれ自分が最も自信を持っている特技で、個性の象徴。だから、それらを褒めあう2人の関係は、相互承認という形で絆を育むようになっているわけだ。
 そして現在、ダイチが街を出て島に行くきっかけになったのは、種子島の上空の虹の輪を見たから。まあこの虹がテッペイが出したものと決まったわけではないけど、少なくともダイチはそう考えたはず。ブーメランを持っていったのも、当然テッペイに見せるため。で、テッペイがダイチに連れ出されたのはそのブーメランを見るという、ただそれだけの理由なんだよね。図らずも、2人はそれぞれの少年期を象徴するモチーフによって、お互いを外に連れ出した。これが、お互いを驚かせてペンダントを交換し合ったあの時から繋がる彼らの相互的な関係性で、おそらくはこれからも繰り返される重要なメソッドだと思う。
 一方で、ハナに関してはまだダイチと出会った時に交わした「ブーメランを見せる」という約束をようやく果たしたばかり。この2人の関係性はここから始まるので、そこで何を見せてくれるのか、というのは今後の注目ポイントとして意識しておきたいところ。

 話を少し戻して、閉ざされた世界から抜け出た先に何があるか、というのもウテナやスタドラと比較した世界観の違いによって少しは見えたかな、と感じる。
 先の2作に対して本作がより地に足の着いた感覚がある、というのは実在の地名が出るというのはもちろんだが、それ以上に大人が偏在するというのが大きい。ウテナやスタドラでは、鳳暁生やヘッドといった1人の登場人物に『大人』というモチーフを集約させてきた。ところが、本作では大人たちが多数登場する、というよりはむしろ、大人の世界で戦う少年少女の姿が描かれるような、そんな印象すら受ける。つまり、この作品の世界は大人たちによって回っているのだ、という感覚がこの作品の現実感を補強しているのだ。
 その大人の描写も、子供たちを頭から抑え付けるワカメこと西園寺を彷彿とさせる偏執的なメガネもいれば、シンフォギアの司令を連想させる指揮官と保護者の間で悩みそうな力ちゃんもいる。大人の描写に多様性があり、少年少女たちの脇をしっかりと固める位置にいる、というのは大きな特徴になっていると思う。
 多様性と言えば、キルトガングに対する迎撃派と箱舟派という対立軸が提示されたり、遊星歯車装置とマクベス社との間にも一筋縄ではいかない関係性が窺えたりと、単純に敵味方には分かれない、どの陣営も一枚岩ではないという錯綜した構図が今の時点で既にはっきりと描かれている。多分この辺が、外に出た先の開かれた世界への、一つの解答になるんじゃないかなぁ。

 もう一つ、忘れてはならないのがサブタイにもなっているライブラスター。
 自我があるってことはこれもう明らかにあの幼女の正体なんだろうけど、生命力を放つというこのガジェットはやはり若者の万能感そのものかな。榎戸さんだし。
 どうでもいいけど、ダイチとアカリのやり取りで、アカリがリードするからダイチは『生命力』を握っているだけでいいってあれ、明らかに性的なアレだよね。榎戸さんだし。
 この、若者の持つ万能感で大人の鳥籠を破壊するというシークエンスを挟むのが、ジュブナイルって感じでいいよね。ブーメランの持つ映像的パワーも合わせて、素晴らしい爽快感。
 一方で、ライブラスターは『銃』でもある。銃は典型的な力の象徴で、ロボットもその延長線上にあるのかなぁ? ぶっちゃけロボットの精神性についてはまだ余り理解してないんで、この切り口から考える土壌がないのがネックと言えばネック。まあ、ロボットに関しては脇に置いておきます。
 ダイチがライブラスターを握る手を振るわせるシーンが挟まれたり、アカリとの会話からも分かるように、彼に戦場の最前線にいる自覚又は命を賭けて戦う意志、なんてものはない。キルトガングを止めなくてはならないと感じたし、そのために自分に何ができるかと問うたけど、それは戦士としての自覚とは別問題。銃という力を持って、それを振るうということは危険に晒されるということ。この辺の2面性が、開かれた世界で直面すべき決断の問題であり、キャプテンという言葉にも繋がるテーマになってるんじゃないかと推測。
 ダイチが奮起したのは、死ぬのが嫌だから。死にたくないというのは、生きて帰りたいということであり、そこで彼が連想した『帰らなかった父』タイヨウとの対比。これを踏まえると、ブーメランもまた『行って、帰ってくる』モチーフであり、またロボットも行ったきりのロケットとは違い帰って来ることのできるガジェットとして対比になってるのかもしれない。
 そして、それが意味するのはOPの歌詞にもあるように『明日がある』ってことなんだと思う。タイヨウが命を賭けて地球を守ったのも『素晴らしい明日』のためだし、その点で言えばここまで真逆のように書いてきたダイチとの共通点にもなるんだよな。OPで、ロケットの上で『朝日=明日を待つ』ダイチが、ブーメランを投げる。繰り返し来る明日と、飛んで戻ってくるブーメラン、ダイチとテッペイの反復的な関係性と、この辺をつなげてみると一貫性が見えてくる気がする。
 今日よりももっと凄い空を見るために戦う、それは多分『生きて帰りたい』でも『未来を紡ぎたい』でも成立するから、ダイチとタイヨウの対比が一本の線になって繋がるんだと思う。タイヨウには何よりも息子がいるから、そのために命を捨てることが明日を紡ぐ行為になるんだよな。


 まだ2話なのに情報密度が凄まじくて、書きたいことが色々あって苦戦しました。の割りには、全然まとまってない記事しか書けないんだけど、正直じっくりと構成練るような時間的体力的精神的余裕は今の生活では持てそうにないので、多分毎回このくらいのクオリティが限界になると思います。
 

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