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キャプテン・アース

キャプテン・アース 3話 「アルビオンの虹」 感想

 でも僕は――神様なんて見たことないけどね。

 夜祭アカリも種子島に到着し、いよいよ主役4人が一堂に揃った。
 しかしまず目が行くのはやはり大人の描写。今回は4人の少年少女たちの保護者を買って出たGlobe種子島基地司令官西久保ツトムの赤裸々な事情が開示された。妻と別れ、娘とも5年も会わず、あまつさえ部下のメガネっ娘とのデートを優先する、どうにも情けない印象の拭えない冴えないおっさん。どこか頼りないのはGlobe内での彼の立場も同様で、司令官なのに2回連続でペガサスロケットの無断発射を許してしまっている。
 そもそもGlobeという組織自体が、内部に迎撃派・箱舟派という派閥を孕んでおり、種子島基地内でも箱舟派の尖兵として広末レイトが引っ掻き回す始末。「ここの責任者は私だ」と西久保は言うが、その責任に足る権限が果たして彼にあるのかも分からない、地盤がガタガタで指揮系統もズタズタ、現状でGlobeに対して持てる認識はそんなところだ。
 でも、そんな一辺倒ではない複雑な情勢描写がリアルというか、閉じた世界の先にあるものって感じがするよね。今回テッペイがキルトガングであることが発覚したのもそうだし、他にも色々種を撒いているのは分かるから、今後もこの世界の情勢はどんどん錯綜していくんじゃないかな。そんな中で、少年少女たちが何を決断してどう生きていくのか、というのがテーマの一つなんだろう。
 話を戻して、西久保のダメ大人描写だけど、彼のそれは暁生やヘッドのような『言い訳の似合う昔の話に縋る大人』には見えない。むしろ、だらしのない恋愛事情や組織内のしがらみに振り回される等身大の大人として肯定も否定もせずありのままに描かれているように思う。理想化されたカッコよさも、概念化されたモラトリアムの残滓もない、どこにでもいる普通の大人。もちろんそれは、普通の大人の一類型でしかなくて、だからこそこの作品には様々な大人が登場して世界観を構成しているのだけど。
 一方で、暁生やヘッドとの共通点もあって、それが万能感を持った子供たちとの対比という形で現れている。前述した通り西久保はほとんど無力に近い大人であり、今回などは実の娘であるアカリの類稀なる才能を目にして驚愕する姿が描かれた。この対比構造は何も能力的な強さに限られるものではなく、今回彼が『ダイチに教えられて』子供たちを自分の手元に保護する決意をしたように、精神的な強さ(あるいは決断力?)も彼らに遅れを取っているように見える。西久保の意志や行動が悉く組織内部の確執という名の壁によって遮られるのに対して、思うままに行動し決断する子供たちの描写は明快。ダイチはロケットに乗り、アカリは勝手にインパクターをハッキングし、ハナはテッペイを連れて歌い、テッペイは本当の姿を見せる。段階を踏まないと行動できない上、その過程においてあらゆる手段で足の引っ張り合いが起こる、大人の無力さとはつまり、世界の歯車に組み込まれてしまったがゆえにそこから抜け出せない自由の喪失に起因するのではないか。

 しかして、ただ子供の持つ万能感を肯定するだけではないのが榎戸さん。
 4人の少年少女たちの描写も表面的には非常に分かりやすいようでいて、その実二面性が見え隠れしている。主人公のダイチは学校にいた時の抑圧された少年像と、種子島での純粋な少年性の提示、そして死んだ父へ抱いているであろう(そこだけはまだはっきりと見せない)感情と、性格はストレートながらも内側には彼にしか分からない強い信念があるはずだ。今回、父の仇のキルトガングと対峙しても、復讐心ではなく「父さんの死を無駄にしない」という意志を見せたのは、1話で見せた唐突でさえある使命感と重なる部分もある。多分、ダイチに関しては過度な自意識の問題は描かないんじゃないかなぁ。自己完結で済む問題よりも、他者や世界との関わりによるあれこれの方が重要。
 マツリに関しても、魔法少女を自称するなど突飛な言動が目立つものの、誰に対しても分け隔てなく接するコミュニケーション能力の高さは見て取れるし、2話でのダイチとのやり取りを見るに、あの4人の中では常識人のポジションにいるんじゃないかと思う。主役4人の中で彼女だけが両親共に健在であり、彼女自身にも思う所があるようだしで、一番(SFファンタジーとの対比としての)リアル寄りに描かれたりするのかも。
 で、今回最大のポイントはやはりテッペイ。注目すべきは、星空の下でダイチに再び虹を見せるシーン。これもやはり過去のやり取りの反復だけど、注目すべきはその表情。昔はどこか得意気な顔で虹を見せていたのに、今回虹を出してみせる彼の表情はどこか悲しげですらあった。この『虹』は黄金期の象徴だそうで、子供の頃の自己を最大限に表すアイデンティティのようなものだとすると(ダイチの場合はブーメラン)、テッペイはもうそれを以前のように無邪気に誇ることはできなくなったということ。何も『虹』に限ったことじゃなく、少年期に得意だと自負できるようなことは、あやとりでも射的でも昼寝でも、大人に近付いて価値観が均一化されていくにつれその効力を失っていく。テッペイの場合、彼の特性が異物扱いされるだけでなく、それがために様々な抑圧を受けていたであろうことが窺える。この構図自体が一種のモラトリアムのメタファーになってるわけだ。だからこそ、それを無邪気に肯定してくれるダイチがテッペイにとっての救いになるし、その逆もまた然り。
 それでも、テッペイにとって『本来の姿』であるはずのキルトガングを見せる行為は決して誇るべきようなことではなくて、自らの正体がそのまま彼の『神様を信じる気にとてもなれないような』瑕なのだろう。それが分かってるからこそ、あの浮世離れしたハナが繰り返す「味方だよ」というセリフ。2回目の「味方だよ」はいつになく真剣な表情で、訴えかけるような声音で告げられる。彼女もまた、常識は知らなくても繊細な人の心の機微にまで疎いわけではないという、上っ面に留まらない立体的なキャラ造形。
 どうでもいいけど、遊星歯車装置がキルトガングになるのに高濃縮リビドーが必要なら、テッペイがアルビオンとなるのにも当然必要ということですよね。ということは、ハナが歌によって注入したのは彼女のリビドー…………ごくり。

 様々な思惑が交差してにっちもさっちもいかなくなってる大人の社会を描いているからこそ際立つ、少年少女の眩しいまでの青春とのコントラスト。これは榎戸洋司の『その先』に相応しい傑作になる予感がひしひしとしてきますね。

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