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映画

映画 クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん 感想

 甦る劇しん。


 劇場版クレヨンしんちゃん、通称『劇しん』は私の少年時代を彩ってくれたとても思い入れのあるシリーズです。ドラえもんも好きでしたが、それ以上に劇しんが好きで何度も何度も擦り切れるまでビデオテープを回して繰り返し見た思い出。今でも、当時の劇しんはエンタメ作品として最高品質にあると信じているし、一般受けしてる『オトナ帝国』や『アッパレ戦国』以外も名作揃いだと思っています。アニメの素晴らしさをこれで学んだと言っても過言ではなく、自分にとってのバイブルの一つとして心の中に大切に仕舞ってあります。
 でもそれは過去の話。カスカベボーイズまでは間違いなく最高のシリーズだったのに、そこから先の、本郷みつるも原恵一も水島務もいなくなった(正確には違うが)劇場作品は自分の期待に沿うことはなくなり、毎年欠かさず劇場へ運んでいた足はそちらを向かなくなっていた。まあ、中学生にもなって、という精神が働いていた感も否めないですが、それでも過去作品は時折見返してその面白さを再確認してたからなぁ。
 その後は、本郷みつるが帰ってきたと胸を躍らせた『金矛』も期待外れ。たまたまテレビでやっていた『オラの花嫁』に至ってはダレにダレた映像作りと無理に良い事言わせようとして全部上滑りしてる脚本に絶望しました。いや、カスカベボーイズから先の作品は見てない作品の方が多い身で後期劇しん全体を否定するのは筋が通ってないのは分かってるんですが、勝手にそんな気分になってたんですよ。
 しかし、先日テレビで放送された2013年公開の『B級グルメ』という作品、監督が『TARI TARI』の橋本昌和さんだと言うので気になって見てみたら、これがしっかりと面白い。表現規制に対する風刺を交えつつ、そんな争いとは無縁な場所で自由に動き回るカスカベ防衛隊の姿。ちゃんと笑えるし、展開自体は淡々としてるけど無闇に泣かせよう泣かせようと力むあまり顔が変になるよりはずっといい。
 少しは劇しんに対して前向きになれた2014年。事前に発表されてたので既に知ってはいたけれど、今年の劇しんの脚本を勤めるのは『グレンラガン』『キルラキル』の中島かずき。無条件で信頼できるほど好きな作家というわけではないけれど、評判が良かったら見に行こうかな、くらいの気持ちは湧いてきた。監督を務める高橋渉さんも、私の一番好きな『ブタのヒヅメ』から劇しんの制作進行を努めてて、演出もやるようになっていた方。シンエイの若手、と言っていいのかどうか、ともかく原・水島監督作品両方に関わっていたという実績も後押しするファクターとなりました。
そして今日、Twitter上からぽつぽつと聞こえる好評の声に誘われ、10数年ぶりに劇しんを見るために映画館へ。笑いました、泣きました。『映画クレヨンしんちゃん』で、大好きだったシリーズで、またこんな素晴らしい作品が見られた。それだけで幸せです。
 あえて言いますが、『ロボとーちゃん』は傑作です。

 
 ここからようやく本編の話。
 アバンからいきなりのサービス展開。クレしんの劇中劇の一つである『カンタムロボ』の劇場版という体で、カンタムJr.とジョン青年の姿が映し出されます。TVシリーズで3部作として放送された『カンタムロボ』は知る人ぞ知る名エピソードですが、最終回で生まれたJr.が大人になったジョン青年と共に戦う姿は感慨深いものがあります。続編は『雲黒斎』でも描かれてたけどね!
 かつてのカンタムとジョン少年、そしてカンタムJr.とジョン青年と、時は流れても変わらずにある『人間-ロボット』そして『子供-大人』というバディの構図が『カンタムロボ』という作品の根幹であることが示されていて、それが本作のストーリー展開をも示唆している、という構造。ファンサービスとテーマの先行提示を両立させるという妙技をいきなり見せ付けてくる、これだけで中島さんのクレしんに対する愛と本気度が分かりますね。というか臼井先生の編集やってたんだから私なんかが偉そうに言うことじゃないんですけど(笑)

 次に、怪しげなエステに連れ込まれてひろしがロボになったシーン。ひろしが家に帰るまでずっと「うひょー背動スゲー!さすが劇しん!」とテンション上がるシークエンスなんだけど、ここでひろしの主観カメラになってるのがね、変わり果てた自分の姿に本人だけが気付かないまま周りの反応を描くためのものなんだけど、ラストシーンでも再び主観カメラにすることによってロボットが目覚めと喪失のコントラストを強める演出にまで昇華されてんのね。コンテは高橋監督だけでなく水島務作品に縁深い池端さんやクレしんではお馴染みの人で今期『ピンポン』の監督もやってる湯浅さんもいるから、誰のアイディアか分からないけどすごい上手いと思います。それとも湯浅さん、ラストのロボ戦だけなのかな。ロボ戦と言えば、最近スペダン9話やピンポンEDで活躍してたEunYoung Choiさんはやはりすごい。ドラッグ作画をギャグ演出に使うなと(笑) 
作画と言えば、原画に多分劇画シーンを担当してる末吉さんや丸っこいキャラ作画の日常芝居で魅せる林静香さんといったお馴染みの面子がいて嬉しかったけど、やはりアクションの要である安藤真裕さんがいないのは淋しいなと。でもまだ名前も知らない若手だって育ってるよね、ほぼ全編すごかったし。

 盛大に逸れた話を戻すと、ロボとーちゃんの登場によって焦点が当たったのはひろしよりもむしろ妻であるみさえだったように思います。自分の父親が得たいの知れない風体になっても、しんのすけは無邪気に大喜び。この、しんのすけがロボットと人間の垣根を全く気にしないというのが、子供が理屈をすっ飛ばして核心を突くという劇しんに大体共通する構造をなぞっていていいんですよね。一方でみさえはロボットになってしまった夫を受け入れがたい様子で、痛んでいるであろう内心を滲ませつつも、ロボとーちゃんを家には入れてくれない。
 それに対してロボとーちゃんひろしは、自分が一家の父であることを証明するために溜まっていた家の仕事を完璧にこなしてみせるんですね。自分だってやればできる、役割を果たしているからここが自分の居場所なんだと、そう張り切るひろしの姿を見て明らかに気を遣った風なみさえの表情が印象的です。ひろしの内面も全て見抜いてるんだよなぁ、それで夫を立ててあげるみさえはイイ女だ。ロボットの万能性を手にして『役割』を果たすことで父親としての威厳を保つ、というのは逆説的に果たすべき役割を全うしないと家庭に居場所をもてないのか?、という問題定義にも繋がるんですよね。そういや去年、役割を終え去ろうとする父親に「居るだけじゃいかんのか?」と問いかけたアニメがありましたね。
 その辺の危うさを表現するかのように、家族のために振るわれるロボとーちゃんの力は下手すれば家族を傷付けることになるかも、という可能性をロケットパンチの一幕で示します。空回り気味なひろしと、揺れるみさえの溝を埋めるのが、建設現場でピンチに陥ったしんのすけたちをロボとーちゃんが救い出すエピソードですね。虚栄を張るために力を振るうのではなく、家族を守るために今ある全力を出す、それこそが野原ひろしなのだと。手段と目的を履き違えかけたひろしと、姿形を越えて心で彼を受け入れたみさえが抱き合うシーンでまず1回泣きました。いや、自分でもチョロ過ぎると思いますけどね(笑)
 でも本作の一番の特徴として挙げられるのって、やはり「ひとりの女」としてのみさえが描かれている点だと思うんですよね。今までもみさえに焦点が当てられることはあったけど、どれも『母の強さ』という文脈上での描写だったと思うんです。
だから今作において、ロボットになってしまった夫を受け入れる姿、そして2人になってしまった夫に戸惑う姿と、揺れる心を描いた後最終的にどちらも選べなかった(=どちらも愛する夫と認めた)みさえは間違いなくヒロインでした。

 一方、居場所を失った父親たちが立ち上がって革命組織を立ち上げる件は、カリカチュアライズされた風刺描写としてはそろそろ目新しさもなくなってきた頃なんだけど、そこは主題じゃなくてあくまでもスパイスだから別にいいんですよね。その上で、素晴らしいのは操られたロボとーちゃんにしんのすけが大嫌いなピーマンを無理矢理食べさせられそうになるシーン。ひろしが「躾は押し付けることじゃない」と言ってたように、体系化された亭主関白主義を掲げる敵組織がやってるのは抑圧支配以外の何物でもないんですが、ここですごいのがただ嫌がるしんのすけの姿にロボとーちゃんが正気を取り戻すだけじゃない所です。
 「自分から食べなければ意味がない」というひろしの言葉通り、しんのすけはここで自らの意志でピーマンを食べて見せるのですね。自分が親と子のあるべき姿をロールして見せたのだから、お前もちゃんとしろと言わんばかりにピーマンを無理して平らげ、「ごちそうさま!」と言い放って見せるしんのすけが超カッコよくてここでも泣きました。まあ、しんのすけがイケメンなのは10年以上前から知ってますけどね!
 一般的な本作の名シーンは間違いなくラストのアレだろうし私も依存はないですが、個人的な名シーンを挙げるならここですね。あんなにカッコいい「ごちそうさま」は多分もう二度と見れない。

 家族の一員であるためのロール、というのはロボとーちゃんが認められるために空回ったり、しんのすけが意趣返しをして見せたり、と本作で重要なテーゼになっていると思う。ロボとーちゃんは自らのアイデンティティとして何でもできる、便利屋と化していたのは、理想の父親像をロールしてたと言える。でも役割に特化した存在はちょっとしたきっかけでその存在意義を失ってしまうのだ。それを示すかのように、ロボとーちゃんは役割を終えたら捨てられるだけの機械と一緒にスクラップにされかける。そこを救うのはやはり、そういった欺瞞や虚勢に縛られないしんのすけなんですね。
 しかしながら、そのままの流れで本物のひろしが見付かったことで、ロボットであり偽物でしかない自分の居場所はなくなる。みさえが彼をスルーして生身のひろしを抱き締めるカットは分かっていても辛い。居場所をなくした彼は、やはり本物よりも役立てる自分の『力』を誇示するのだけど、ひまわりの泣き声が象徴するように異形である自分の存在が強調されるだけ。
 そんな彼が、再び家族として、父親として認められるのはやはりただ純粋に家族を守ろうと奮闘するシークエンスにおいてなんですよね。虚勢を張るのも、認められたいのも、家族を愛しているからこそで、役に立ってるからとかそんな事じゃないんだ。五木ひろしロボとの対決で、しんのすけの「いつもの」という呼び声にロボとーちゃんは応えるけどひろしは何のことだか分かってない、というカットがあって、そこにはもうコピーされたものではないロボとーちゃんとしんのすけだけの絆があるんですよ。それは機能がどうとかどれだけ役割を果たせるかといった表層じゃなくて、ただ積み重ねた時間だけが肯定するもので、それがあるから家族なんですよ!

 そして最後の超絶名シーンね。
 夕日の中でロボとーちゃんがドラム缶を持ち上げた時は「なんだ?」と思ったんですけど、「腕相撲だ!」と気付いた瞬間に涙腺が崩壊しました。腕相撲は、まずは父と子の微笑ましい一幕として描かれ(EDでも反復される)、さらに本物ひろしに自分の方が野原家の父親として相応しいのだと力を誇示する目的で描かれてます。
 最後の腕相撲はもちろん、自分が停まってしまう前に、本物のひろし(=自分の分身)に父親としての覚悟と意志を見せ付けさせるために挑んだものです。それに応えて本気で勝負をするひろしもまた、やっぱりカッコいいんですよ。腹が出てるし、力んだ顔はギャグかと見紛うほどの変顔だしで、情けないことこの上ないんですが、それでもカッコいいんです。どんなにカッコ悪くても、逃げずに自分の持てる力を振り絞って挑んでいく。本作の黒幕がしんのすけにひたすら「カッコ悪い」とディスられてたのも、彼が身代わりを立てて安全圏から事態を操っていた卑怯者だからなんですね。カッコよくなくても、全力でぶつかっていくカッコよさ。子供から見たらギャグにしか思えない(実際に劇場で子供は笑ってました。私は号泣)ようなみっともない顔を、ギリギリのバランスで真面目な物語に絡めて描ける土壌があるのって、『クレしん』ぐらいだと思うんですよね。贔屓目に。
 そして己の存在を賭けて必死に戦う二人の父親を両方とも応援する子と、妻の声援。ロボだろうが人間だろうが二人いようが関係なくて、どっちも最高の父親で夫なのだと。父親の強さって、やっぱり力があるとか役割を持てるかではなくて、家族のために日々を頑張ってる、それだけで肯定されるべきなんですよね。
 敗れたロボとーちゃん、映像は再び彼の主観カメラに。家族を主張しても認められない最初とは対照的に、自分は偽物だと言っても家族に認められる最期。最高に熱くて、切ない腕相撲。これってロボット物、というよりは人工知能物のそれに近いんだけど、古典SF的なテーマを真正面から描いてるんですよね。本当に素晴らしかった。

 というわけで、『ロボとーちゃん』は傑作です。願わくば、ここから劇しんの復刻が始まらんことを。
 
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アニバタ Vol.6アニバタ Vol.9に寄稿しました。よろしくです。


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