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キャプテン・アース

キャプテン・アース 11話 「セツナの窓辺」 感想

 いつでも出て行ける世界として眺める窓辺からの景色は、昔とは全然違う、嬉しい光景なのです。



  ついに第1話から名前だけは出ていたデザイナーズチャイルド・セツナが登場。ピンクのピッツ、ラッパを引き連れる彼女だけど、思ってたのとは全然違っててハナのように無垢な存在として描かれてたなー。最も、他のキルトガングたちから『様』付けで呼ばれるセイレーンに覚醒したら一気にキャラ格を上げてきそうだけど。

 さて、今回は予想通り2部からのミッドサマーズナイツと遊星歯車装置の争いを描くフォーマットからは少し外れて裏で動く大人たちやデザイナーズチャイルドと神田事件の過去、そして水面下で進行している陰謀劇の断片が描かれた。
 すごいのは、この構成自体が2部の「鬱屈した人生を過ごすアバターが、キルトガングに覚醒して『本当の自分』になる」という基本フォーマットの裏に潜むテーゼを示唆してる所なんだけど、その辺はあとで。

 描かれた過去は、基本的にマクベス社がデザイナーズチャイルドを実験していた背景。
 事件の顛末、当時の社長神田自殺の裏にはやはりパックの存在があり、多分デザイナーズチャイルドにキルトガングの因子を埋め込んだのもコイツなんじゃないかという疑惑が。
 さすがにパックに対し疑念を抱いている様子の久部社長。彼はパックの策謀の果てに『偶然』社長の座に着いた存在で、だからこそ選民思想にいっそうの拘りがあるのかもしれないな。与えられた優位に固執しているという点では、彼とキルトガングの立ち位置にはそんなに違いはないのかも。
 パックの暗躍は現在にも続く。ロビンを名乗りセツナを匿う毬村のスポンサーをしていたということは、とっくに彼女の所在は掴んでいたわけで、手綱を握られていることに気付かない哀れなアマラとモコ。パックが毬村に資金援助をしていたのは、彼女が開発していた『人の意識を器たるデザイナーズチャイルドにインストールする』装置が目的だろう。意識を生物にインストールする、ということは人工知能であるパック自身が人間、そしてキルトガングにまで成れる可能性があるということで、今の時点ではそれくらいしか狙いが掴めない。でもセツナはともかく、キルトガングに覚醒してしまったらせっかくインストールした自分の意識がセイレーンに塗り潰されるんじゃないのか、という疑問も。とはいえ、今までの描写を見るに人間だった頃の記憶や人格もかなり影響しているみたいだし、融合すると言った方が正しいかも。なんにせよ、今は予想の域を出ない。

 
 そして今回はセツナの話でもある。
 彼女は咲いた花に目を輝かせ、水中を泳ぎ、自由な外の世界を眺められる窓辺を愛する少女だ。花と言えば、キレイな花を咲かせるけれどいつかは必ず枯れる、有限性を象徴するモチーフですよね。ハイビスカスなのは、南の島の花だからかな。今の舞台は都内だけど。
 セツナを始めとして、実験体だったデザイナーズチャイルドは籠の中の鳥で、大人たちに管理され自由を束縛された存在。アマラは過去でキルトガングから脱却することで、セツナは神田事件の後に毬村と暮らすことで、それぞれ抑圧からの脱却を果たしたわけだ。少なくとも表面的には。
 抑圧や束縛といったしがらみから解き放たれ、外の世界に飛び出すという物語構造は、ウテナやスタドラではクライマックスとして描かれており、本作ではそのシークエンスが序盤から繰り返し描かれている、というのはこれまでも触れてきたと思う。
 1部ではダイチたちが外の世界に飛び出す話、2部では逆にキルトガングが覚醒によって抑圧から解き放たれる、という構図。しかしながら、自らの決断によって明日を掴み取るダイチたちとは違って、誰かに与えられた、あるいは偶然手にした何かによって果たされる脱却は、決して肯定されてはいないことに留意したい。
 いつでも外に出て行けるのだと、自由を謳歌していたはずのセツナは、毬村が腹の底で自身を器として利用していたのだと知る。そして先述した通り、アマラやモコも目的に向かって邁進しているように見えて、その実は誰かの手の平で踊らされているに過ぎない。
 窓の外に出た、その先は自由などではなく、もっと大きな単位での『誰か』の手の中でしかない。どこまで行っても、枠組みからは逃れられない。
 物語の背景に潜む陰謀が片鱗を見せたことで、その構図が明らかになるのがいいよね。無限の生命という優越性に起因する万能感と、有限の時を生きるがゆえの生命の輝きを放つ万能感を戦わせる少年少女、という対立構図が俯瞰してみると作品世界の表層に過ぎないのが分かる。だからこそ、ミッドサマーズナイツと遊星歯車装置のチキンレースは現実に存在する場所を舞台としつつも、虚構性の強い舞台劇的な作劇で描かれているのだろう。
 彼らの青春を飲み込むような形で、真の絶対捕食者たる社会構造の闇が広がっている。今の所、ミッドサマーズナイツは陰謀劇から浮いた場所に立っているのだけど、その構図だって怪しいよな。狂言回したるピッツの目的が見えないし。何よりまだ1クール目すら終わってない。

 キルトガングたちの物語は、社会の重圧やしがらみに飲まれた冴えない自分は『本当の自分』ではない!、という都合の良い妄想を現実にインストールしたものだけど、降って沸いた優越感や万能感は『何も持たない人間』によってあっさりと打ち破られる。安易な自意識の発露を潰していく容赦のない作劇なんだけど、今後はむしろ決断によってしか生まれない希望を掴み取っていかねばならないダイチたちの方に試練が待ち構えているんだろうなー、と思うと色々な意味で楽しみだ。


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