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映画

思い出のマーニー 感想

 ガツンとは来ないが、沁みるもののある作品。人によっては刺される。

 固定された場面で繰り返される夢と現の狭間での邂逅。
 全体的にゴシックホラーというか、幻想小説のような味わいがあった。
 湿地帯に現れる金髪美少女、というシチュエーションがいいよね。妖精っぽい。
 水位が上がると幻想が現実を侵食する、というシンプルなギミックが映像的にも映えてていたと思う。

 舞台は日本のはずで、実際に日本的な風景が描かれてはいる。田舎の風景はジブリではお馴染みだけど、駅周辺の現実に馴染みのある光景は何気にジブリではあまり見ない。
 一方で、杏奈とマーニーが出会うその空間にはどこか異国の情緒がある。この、日本の中にある異国の風景、というチグハグさが、杏奈が感じる『輪の外』という孤独感にリンクしていたような気がする。彼女自身、目の色を指摘されたように実際に異国の血が入ったクォーター(コメントで指摘がありましたが、マーニーがハーフっぽいので杏奈はクォーターではなく1/8ですね)だし、「本当の子供じゃない」というファクターも彼女が自身を異物だと感じる理由の一つ。自分が本当の子供じゃないからお金をもらっているのが嫌だ、というのは自身が他の子とは明白に違うことを告げる事実で、それを育ての親への不信に転嫁させるメンタリティは彼女の自己防衛本能によるものとも言える。
 しかし、彼女が目を奪われ惹かれたマーニーは完全に異国人の姿をしている。要は、杏奈の疎外感は皆と同じ「日本人」「子供」でありながら、少しだけでも確かに違っている、という状況によって産まれたものであり、まるで異質な存在であるマーニーはそれだけで個の輝きを放つ。放っているように見える、だからマーニーは杏奈の憧れであり、彼女を救う存在なのだ。

 さて、この杏奈という主人公の造詣が妙に現実味がある、というのがジブリ作品としても本作の特徴であるように思えた。
 彼女は所謂コミュ障で感情を表に出すのが苦手であり、人の輪からも自然とはじき出される(あるいは自分から離れる)ような女の子。つまりはぼっちである。
 最近だと『俺ガイル』『わたモテ』などぼっちを題材にした作品がアニメ化されたけど、基本的にぼっちあるあるネタとして昇華されるから笑って見てられるんだよね。
 しかしこの作品、実に淡々とコミュ障ぼっちの生態を描き出していきます。本作最大の特徴はむしろここにあると言っても過言ではない。あるか。
 たとえば冒頭、学校の課外授業で独り絵を描いている杏奈の下に先生がやってきて、今書いている絵をちょっと見せてみろと言うんですよ。杏奈は最初渋るんですけど、先生がちょっと押すとその気になっちゃうんだよね。で、見せようとする杏奈の顔にちょっと期待が浮かんでるんですよ。そう、失敗したと言いつつ自分の絵には結構自信があって、本当は見せて褒められることを期待してるんですよこの子。この、表面上嫌がってやたらもったいぶるけど実は密かにプライドが高い感じが実にぼっちである。いや、これ経験談とかじゃなく一般論なんですけどね!
 次。杏奈は同世代の子達とはろくに話さないし、それどころか視界に彼女等が入ってくると露骨に避けるんだよね。でも、大人とは馬鹿丁寧ではあっても普通に話せるんですよ。で、「杏奈ちゃんは礼儀正しいね」って大人からやたら高評価(大人はあくまで子供として見てる。でも子供の方は背伸びが成功してる感覚に)で褒められる。これあるわー、めっちゃあるわー。まあ、これも一般論ですけど。
 もひとつおまけに、杏奈がスケッチをしに行って出かける時、ある良い事があって、やたらご機嫌で帰路に着くシーンがあって、そこで彼女なんと鼻歌を歌ってんですよ。でも、正面からチャリに乗った女の子が来ると慌てて黙る。自分の脳内であれこれ考えをめぐらせて勝手に上機嫌になる、テンションが上がって鼻歌も歌っちゃう、他の人が通りかかると慌てて誤魔化す。これもぼっちあるある。一般論です。
 とまあこのように、コミュ障ぼっちの在り様を変に戯画化せずにナチュラルに描がかれてるのが杏奈という少女。見てたら不意にこっちがダメージを食らう、恐ろしいヒロイン。思わずシンパシー感じちまったよ!

 んで、これはそんなどうしようもない杏奈ちゃんが救われるお話。
 でも、実際問題これってほとんど彼女自身の内側にある問題なんだよね。周りの言葉を、好意を、投げかけを素直に受け取れない少女。彼女の周りには実質的に障害があるわけではない。一方で、マーニーが語る境遇には彼女の幸せを阻む要因がいくつもある。
 自身の内面に問題を持つ少女と、外部環境に問題を持つ少女。一方は本人が持て余しているだけで彼女を案じ愛する者がおり、一方は快活明朗な人格と華やかな出自を持っている。お互いに持っていないものを持っているから、互いを「恵まれている」と称する関係性に。
 互いへの憧憬が他者への幻想であり、それを突きつけられると裏切りに感じる。期待が裏切りを、誤解がすれ違いを産むのが人間関係における摂理だ。だからこそ、まず『赦す』ことでしか他者を受け入れる術はないのである。杏奈はマーニーを許し、母を許すことで自らの檻から外に出ることができた。ふとっちょブタの信子ちゃんに許されるシーンも描かれたのが何よりの成長の証である。余談だが、結局娘と喧嘩別れする形となったマーニーは、孫との不思議な邂逅を果たすことで擬似的に娘からの許しを得たのかもしれない。

 杏奈が少女マーニーへの『許し』を経て、祖母マーニーからの『愛』を思い出すことができた、というのがとてもピングドラムですね。愛を見出すには記憶を掘り返さねばならず、そこにある幻想の中から真実を見つけ出さねばならない。幻想的な出会いからの、マーニーの人生の追体験を通じて、徐々に夢から覚めていくかのような作劇。そして残ったのは、それぞれの『思い出のマーニー』。美しい作品でした。

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