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革命機ヴァルヴレイヴ 感想

 ニンゲンシンジマスカ?

 神様が憑いている、悪魔に呪われる。
 ヴァルヴレイヴというロボットを通じて、呪いを祝福に変えようと戦う少年少女の物語。

 まずは本作を「クソアニメ」の代名詞的存在だと信じて疑わない方はブラウザをバックしてどうぞ。そのものを楽しむのではなく良いにせよ悪いにせよ一過性のネタとして作品を消費する昨今の空気によって過剰に扱われているという印象を拭えないのですが、アクの強い作劇をしているのも確か。
 全体的にかなり情報が圧縮されている作劇で、場面の繋ぎが飛び飛びな印象を受けるし、キャラクター描写ひとつ取ってみても大体原因と結果しか提示されないので「間にどういう考えがあってその言動をするのか」がただ見てる分には掴み取れない。そのため個々の場面が唐突に映る。また、意図的に伏せられた情報が早まった誤解を誘発するように仕組まれてもいて、ある意味では悪意のある作劇である。あとは、「ハムエッグ」やピースサインに代表される印象的なシーンがキャッチーというよりはシュール寄りで、そこに関してはおかしく見えるのも不思議はない。まあ、ハルト・エルエルフ・ショーコ三者三様の価値観やスタンスを見せる描写としては端的でネタに留まらない寓意のある描写でもありますが。
 こういった段取りを排した作劇自体が必ずしも悪いわけではなく究極的には単なる好みの問題でしかないというのが私のスタンスなので、慣れるまで4,5話掛かりましたが、ちょっと俯瞰して見ればツギハギに見える個々の描写がちゃんと一貫した物語を象っているのがなんとなく分かってきました。
 
 SNS描写が一番端的に本作の在り方を表してると思います。
 WIREDというSNSツール。咲森学園を中心に展開される物語に対して、世界中(実はこの認識からして既に危険なのですが)のリアクションがこのガジェットによって描かれます。この作品のSNS描写は大分一面的ではあるのですが、事象の一部を垣間見ただけで物事に何らかのリアクションをする人々、という構図は現実にも見られるものではあります。応援したり非難したり、手の平をくるくると返す彼らの反応に一貫したものがあるとすれば、それは好意にせよ悪意にせよ結局は無責任なものでしかないということ。
 そして作中の「彼ら」ほど断片的なものを見ているわけではないのですが、視聴者もまた同じ立場に置かれてるのですね。理由や経緯をいちいち説明しないためどうしても突飛に見えてしまうシーンの数々。その場その場の印象だけで判断すると、次々とピースが零れ落ちていってしまう。そうやって誤解や短慮が積み重ねられると、結果として挽回不可能なレベルにまで印象が塗り固められてしまう。
 この構造がメインとなる登場人物たちにすら適用されていて、ハルトたちのコミュニケーションは秘密や嘘、誤解によってすれ違い、勝手な認識を持ったまま個人の中で昇華される。これはベクトルに微細な変化は見られるものの最後の最後まで一貫して描かれます。

 以上の特徴を踏まえるとこの作品のテーマらしきものが見えてきて、シームレスにも思える1期と2期がちゃんと段階的に構成されていることが分かります。
 咲森学園の生徒達がドルシアの強襲を受けて、実質少年少女たちだけで独立国家を立ち上げようとするのが前半部のストーリー。望まぬままに世界の脅威に晒され、蹂躙されそうになる彼らが「偶然」得た力がヴァルヴレイヴ。力だけなら、ただの子供たちが世界に対抗できるはずがないのですが、彼らの下には知恵を司るエルエルフが。まるで魔法が掛かったように無茶を押し通す咲森学園は新生ジオールを名乗り、「個」と「世界」の対立軸が成立してしまう。
 余談として、悲惨な状況から虚勢染みていてもがむしゃらに立ち回る咲森学園の図がおそらくは震災を踏まえた描写ではあると思うのですが、その後の展開を鑑みるに単なるエールではなく当時の状況から現在に至るまでの流れを風刺的に切り取っていると考えるのが妥当か。実情を知らずに断片的な情報だけで真実を規定する世界と、勝手な感情に晒されつつも生きるしかない個々の存在、という構図が決して虚構の世界だけの話だけではないと示すための構造。
「繋がり過ぎている」世界の中では、あらゆる場所から個人が特定されてしまう。ハルトはまさにいの一番に時の人となり、好奇の視線に晒されるわけですね。ヴァルヴレイヴの呪いとは、物語前半部ではこういった世界の矢面に立つ事を指している、という側面が強いという印象。
 サキの「私は世界に、殺されない!」は象徴的ですね。サキはかつてアイドルとして世界の眼前で歌い、今は学園という箱庭の中に埋没した少女だった。自己犠牲的なハルトとどこか自棄になっているサキは似て非なる存在で、それは2人のヴァルヴレイヴに対する反応にも表れています。サキは自分の機体に「カーミラ」と名付け、自己表現の手段として活用するのですね。呪いだとは捉えていない。
 世界へのコミットに対する積極性はハルトにはないもので、その辺の意識の差が同じ境遇にありながらもハルトと「ふたりぼっち」になれない実情の主な原因だと思います。
 
 「個」と「世界」はあくまでマクロな構図であり、作中ではよりミクロな「自分」と「皆」の対立軸における葛藤が何度も何度も反復して描かれます。前半で繰り返される「ドルシア軍をヴァルヴレイヴが追い返す」シークエンスは、大体いつも安堵し喜ぶ「皆」と誰かの死を嘆き悲しむ「自分」という構図とセットとして描写されています。
 「皆のために自分が先頭に立って戦う」という行動理念を持つのが、英雄としてヴァルヴレイヴを駆るハルトと、総理大臣として皆の代表を務めるショーコの二人。図らぬまでも互いが互いにしかできない形で咲森学園を守るという「はんぶんこ」を体現してしまった二人が、肉体的にハルトと繋がったはずのサキが決して到達できない精神的な絆を有している、というのが面白いですね。もっとも、その関係性はサキが唯一持っているショーコが共有し得ない秘密によって破綻してしまう、という皮肉な展開が後に待ち受けているのですが(上位に位置付けられた絆も絶対ではないというのがミソ)、この流れひとつ取ってみても前半と後半で分かたれた構成の意図が理解ります。詳しくは後で。
 話が盛大に逸れましたが、ハルトとショーコが「自分」より「皆」を優先するのなら、犬塚先輩や山田は「皆」よりも「自分」のために戦うことを選ぶ形で世界と対峙するキャラクター。
「自分が入ってない皆なんて、クソだろーが!」と山田が叫んでいたのがクリティカルで、自身の欲望を「皆」の中に埋没させないために、ヴァルヴレイヴに搭乗するのですね。
 サキはやっぱり特殊で、「皆」の眼前に再び身を投じるという意味合いを持った登場シーケンスでもって世界へのコミットが描かれています。
 実際、それ以降は広報大臣としてPV撮影とかノリノリでやってましたからね。

 一端まとめると、WIREDを使った双方向に作用しているようでその実一方通行でしかないコミュニケーションや、「皆」の中から突出して自身を矢面に立たせるシーケンスを描き、それに付随する様々な喪失や負荷をヴァルヴレイヴの「呪い」としているのですね。まず個人が世界に対峙するまでを描いたのが1クール目。
 だからこそ、WIREDというシステムの創始者である連坊小路アキラが卵の殻を破壊し革命を果たす場面が1クール目のクライマックスとして描かれるのですね。
 作中で最も他者とのコミュニケーションを嫌っていた彼女が、「外に出る」=「ヴァルヴレイヴの呪いを受ける」という構図がそれまでの総括として昇華されていて、素晴らしいカタルシスを産み出していました。

 そして2クール目の転換点に、カインがその正体を明かすと共に世界の裏に潜み続けてきたマギウスが舞台上に姿を表すのです。主人公たちが世界にコミットすることで、その裏側を暴く物語に変質していく。こう見れば、1クール目から2クール目に移行するに当たって明らかにステージが変わったことが分かると思います。
 世界が暴かれるその物語性に連動するように、よりミクロな個々人が抱える秘密もまた、失われた記憶も優しい嘘も愚かしい誤解もすべて白日の下に晒されていく作劇が実にヴァルヴレイヴらしい。世界が見た目通り小奇麗にはできていないように、人の裏側にもどんな化け物が潜んでいるか分からない。物語が終盤に行くに連れて、裏切られてもその相手を許せるか、信じきれるかという問いかけが迫真性を帯びてきます。
 ショーコとハルトの一幕がやはり最も印象的ですね。誰も傷付けないために人間を止めたことを最も大切な人にさえ隠し続けたハルト。しかし、たとえ相手を想った行動だろうと、ショーコには裏切りと映ってしまう。決定打は二人の絆たる思い出をハルトが忘れてしまったことだとは思いますが、ヴァルヴレイヴのエネルギー源としてルーン、すなわち記憶が消費されてしまう設定というのがまたイヤらしいんですよね。
 別に設定上のものだけではなく、犬塚先輩がアイナの記憶を糧に咲森学園サイドの裏切りを乗り越えたように、人が困難や理不尽に立ち向かっていくための力の源泉として個々人の記憶は欠かせないファクター。逆説的に、ヴァルヴレイヴを駆るごとにその搭乗者は人間である意味を喪っていくわけです。それに対して、「思い出はまた作れる」と未来に希望を見出し戦い続ける回答を示したのがマリエであり、さらには喪失の恐怖と戦いながらも未来を切り開いたハルトの姿が描かれるわけです。それが「人を化け物にする」悪魔的なヴァルヴレイヴのシステムにどう抗い得たのか、それはまた後で。

 話を戻して、身体的な問題だけでなく記憶からなる精神面でも人間であるショーコとの間に断絶の壁ができてしまい、それがサキがとうてい入り込めないと感じていた絆をも断ってしまったわけです。ただ、裏切りによって断たれた繋がりは修復不可能なのかと言えばそうではなく、2クール目では早々に過去の裏切りの記憶から絆を取り戻した連坊小路兄妹のエピソードが描かれています。余談ですがこの話、罪を背負ってどん底まで堕ちていくアキラを見捨てたサトミが、大気圏に堕ちていくアキラの声を掬いあげようとするシーケンスが素晴らしいんですよね。これがピングドラムだよ。
 エルエルフもまた、身に降りかかった不幸によってアードライによって裏切り認定を受けていたのだけど、誤解が解けて和解を果たすシークエンスが描かれます。精査してないからただの思いつきでしかないけど、ヴァルヴレイヴの呪いを一身に受けたハルトだけがついぞ関係の修復を果たせなかったという構図があるのかもです。
 裏切り者は殺せ、という掟を掲げるのが敵勢力であるドルシア軍なのも分かりやすいですね。最も忠実にその理念を実行し続けたのがクーフィアで、彼は恐らく仲間意識が薄いのはでなく、そのルールに則り続けることが仲間への義理だと信じていたのではないでしょうか。エルエルフもまた、実際に裏切った友を撃ち殺した過去を持つように、革命を目論みつつも思想的にはそちら寄りの人間だったわけです。
 たとえ善意に拠るものでも、背信のない人間関係はあり得ない。個と個の関係性ですらそうなのだから、国と国、種族と種族といったよりマクロな主体が共存を果たすことなど不可能。だったら、別々に暮らすことで均衡を保つしかない、というのがカインが物語上の代表となるマギウス側の理論ですね。協定や契約を破らない限り、「良い友人」でいられる。これはこれで裏切りを前提にした関わり合いではあるのですが(現にマギウスとグルで虐殺に加担までしたアルス大統領は趨勢が傾いた途端手の平を返している)、ビジネスライクで個人間の私情が挟まり辛いのである程度合理的ではありますね。
 
 それでも相手を信じ続けることを選ぶ、というテーゼが本作のダブル主人公であるハルトとエルエルフの関係性の変遷に表れています。
 エルエルフは先述した通りドルシアの価値観を持っているので、ハルトと手を結ぶに当たって互いのメリットを示した上での契約を持ちかけるんですね。一方ハルトはエルエルフの要求を呑みつつも、契約を超えた信頼をエルエルフに寄せ始めます。「僕を使え」にそれが集約されてますね。そして紆余曲折あり(本当は省くべきじゃないんですが察して)月面での喧嘩で二人は激しくぶつかり合います。ここで重要なのが、互いが互いに知りたくなかったであろう事実を暴露したこと。契約関係を履行し続けるのに必要な一線を二人は図らずも踏み越えてしまったわけです。その上で、改めてお互いの目的が一致し、契約の先にある選択肢として約束を交わすわけですね。この際、ハルトが「もう隠してることはない?」と聞くとエルエルフが「ある」と答え、それを受けてハルトが笑って「僕もだ」と返すシーン、これが全てなんですよ! 腹を割って全てを話し尽くしお互いに隠し事などない、そんな綺麗な関係性なんて二人はもう求めてなくて、たとえ裏切られても相手を信じることを手酷い裏切りにあった後で選ぶんですよ。二人同時に、というか二人だからこそ。
 ここ、本当に最高でした。こいつら大好きです。そのアンサーとして、最後の最後にあのエルエルフが「俺を使え」と首筋を差し出すんですよ。カミツキによる一方的な捕食行為が、無防備に急所を晒す信頼を示す行為に変わる。1話との対比となるこの変化に集約されている、呪いを鮮やかに塗り替えるこの作劇。こいつら大好きです。
 しかし、ルーンを消費尽くしてしまったハルトは、ショーコのことも、エルエルフのことすら忘れてしまう。そんなハルトに、エルエルフが「友達だ」と言うのが、本当に泣けるのね。記憶がなくとも、自分に友達がいたという、その事実だけでマリエのように笑うハルトの拳が、何度もいなされてきたパンチがここで初めてエルエルフにそっと当たる。こんなの泣くに決まってんだろ! ふざけんな!

 ヴァルヴレイヴの呪いによって化け物になっていく人が最後の拠り所とすべき記憶すら失われてしまう、という事象に対する唯一つの抵抗として描かれるのが、「誰かの中で生き続ける自分」なんですね。記憶を喪ったマリエやハルトが、「友達」として誰かの記憶に残っていることを救いとしたように。
 重要なのは、誰かの記憶にある「自分」が必ずしもその人物そのままの姿ではない、ともすれば都合よく歪められた虚像ですらある、という点なのです。犬塚先輩が夢想するアイナも、エルエルフがその理想の向かう先を導き出したリーゼロッテも、ハルトの背中を押した仲間たちも、主観や願望が投影された幻でしかない。けれど、喪われた人を想うには、それしか方法はないのです。
 ラストのショーコなんかがまさにそうで、人間と人外が共に歩める世界、というハルトの理想自体は受け付いでいるのだけど、彼女がカミツキになるなんて事態をハルトが望んでいたかと言えば明らかにノーですよね。それでもそれは、仲直りする機会を永遠に逸してしまったショーコがハルトの頑張りを無駄にしないために選んだ道なのです。
 理想は口にすれど、その綺麗事が通されるわけではない、というのもこの作品のシビアな所で、たとえばハルトは「共存」を謳いながら自身と真逆の思想を掲げるカインをぶち殺してますよね。ダイジェスト気味に語られる未来の過程なんかでも、多くの血が流れているわけで、掲げられた理想への背信となる行為を未来のショーコたちがしてきただろうことも示唆しています。一見すべてが上手くいっているようでいて、理想通りに物事が運ばれたかと言えば全然そうではない。そこが肝要。
 他者に、世界に、そして時に自分にすら裏切られ、その想いが報われなくても、それでも諦めずにいられるか、を問うているのがこの作品。他者の姿をどう見て、どう受け取るかは結局個人の意志に委ねられる。人は本質的に分かり合えない、けれど事実がそうだからといってそれを諦めて、表面上だけ取り繕うにはもう世界は繋がり過ぎてしまっているから。だから、悪魔のシステムは最後にこの問い掛けを登場人物ではなく視聴者に残すのです。「ニンゲンシンジマスカ?」と。
 
 ハルトの意志を受けついだショーコたちも、きっと愚かな歴史を繰り返して、それでもまだ「はんぶんこ」にしようと差し伸べる。それに対する第53生命体の反応は描かれない。
 彼らがその手を取るか、銃を撃つか。
 神様を信じるか、悪魔を見出すかはそれを見た人の判断に委ねられた。
 私は……まだ信じきれないかなー。
 「諦めなかったから報われた」ではなく、「報われなくても諦めない」を最後の最後まで徹底し続けたその作劇には感服です。


 なんか雑な総括みたいになっちゃいましたが、一度通して観ただけじゃこんなメンドクサイ作品上澄み掬うだけで精一杯ですよ!、と逃げを打っておきます。映像演出的な部分や、ロボットアニメとしての側面に全くと言っていいほど触れてないので、片手落ちどころか飛車角落ちですが、そこまで考える気力はありませんでした。
 実際のところ、対比や反復の重ね掛けによる積み上げによって物語が構築されているタイプなので、もっと個別具体的に語るべきだとは思うんですが、既に記憶が大分飛んじゃってるんですよねー。まあ深く考えずとも魅力的なキャラクターたちに起伏の激しい展開とエンターテインメント性に優れた作品なので、観てて単純に超面白かったです。ピンドラは別格としても、個人的にはここ5年の間でも指折り。ぶっちゃけBD欲しい度ではキャプテン・アースより上(あっち全話録画あるし)なんで、BOXが出るのを待つことにします。出るよね?

 
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アニバタ Vol.6アニバタ Vol.9に寄稿しました。よろしくです。


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