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ユリ熊嵐

ユリ熊嵐 2話 「このみが尽きても許さない」 感想

 るる、かしこい!


 今回はなんと言っても百合園蜜子嬢ですよ!
 紅羽の傷心に付け込んで優しくしつつ、心の隙間に入り込んでいく。
 ライフルを手に窓枠に足を掛けて飛び出していく、そのワイルドさ。そして獲物に近付く者には容赦しない獰猛かつ狡猾な本性。
 純花を喰べたのも彼女というのなら、まだ確証はないですが、純花と紅羽が育てた百合の花を刈り取ったのもこの子である可能性が俄然高くなってきたと思います。自分で庭を荒らしつつ、理解者のふりをして二人に近付き、約束を取り付けてまずは純花を。そして今、自分で喰い殺した純花の死に悲しむ紅羽にいけしゃあしゃあと同情してみせ、邪魔者を排除しつつ美味しく熟れるのを待っているとか、最高じゃないですか。なかなか肉食獣っぽい立ち回りなのでは(適当)。
 最初は「透明な嵐」に抗ってスキをあきらめない少女たち、という単純な構図を見せといて、実はその「透明な嵐」を都合のいい隠れ蓑にして好き勝手やっている捕食者がいる、という二重構造が発覚したような気がしないでもない。まあこの予想は外れていても、るる銀子とはおそらく異なる行動理念を持った対比軸としての百合園蜜子という存在を語ることはできるのではないでしょうか。


 実際に、繰り返されるユリ裁判のシークエンスと、百合園蜜子の言動を並行して描くことで提示された前回との差異に目を向けることでなんとなく見えてくるものがあると思うんですよね。一応「可能性」の範囲内に留めていく方が、今後の話数を見るに当たって無難な態度かと思いますが。
 Bパートで繰り返されるユリ裁判とラストの捕食シーンですが、今回ヒトを食べるシーンが描かれているのは裁きを受けたるる銀子ではなく百合園蜜子です。この事から、おそらくこれらのシークエンスは全くの別物でミスリードであったと考えることができます。
 で、重要なのが最後の百合園蜜子の台詞。

 「透明な娘は透明な味しかしない」「スキをあきらめない子の肉だけがザクロと密の味がする」

 ひとまず後者に目を向けると、まあザクロがストレートに人肉や心臓のことだとして、じゃあ蜜とは一体なんなのか。
 例のバンクシーン、ユリ承認後ではるる銀子が紅羽の胸に咲いた百合の花の蜜を舐めるシークエンスが描かれています。また、銀子曰く「本当のスキを知っている人の悲しい、さみしい涙はごちそうの味がする」らしく、これが「人の不幸は蜜の味」的なアレと掛かっているのかは知りませんが、とにかくるる銀子たちについては紅羽のザクロを食べる描写は今の所ないと言っていいのでは。まとめると、るる銀子と百合園蜜子の大まかな差異は、ユリ裁判を受けているか否か、ザクロを食べているか否か、の二点。
 以上のことを踏まえて考えてみると、少なくともるる銀子は紅羽に対してデリシャスメルを感じつつもその命まで奪おうとは思っていなくて、ただ「蜜」だけを食べるためにユリ裁判を受けているのではないでしょうか。そもそも、テキトーに見えてライフ・セクシーは「クマとヒトのために」と口にしていますし、クールとビューティがそれぞれヒト・クマの側に立っているのならその中心にいるセクシーは本当に両者が共にあるための手段を提供しているのではないでしょうか。それがあのユリ承認による「蜜」だけを食べる行為に繋がっていると。もちろん、彼女たちは純花ではないにしても別の生徒を捕食していたのは多分確か(どっちだ)ですし、純花に対してデリシャスメルを嗅ぎ取ってなかったということは百合園蜜子が言うように単に排除された個体として紅羽を特別視しているわけではないのでしょう。
 まあEDの歌詞によると「牙で絹を裂きたくて」「純真を噛み殺したい」と根源的な欲望として獰猛な捕食衝動があり、そこから「甘く香る愛の弾丸〈バレット〉で 心臓を ねぇ 撃ち抜いて」と繋がるので、単に「好き」と「空き」のコンフリクトがクマ→ヒトのラインに限らないというのは留意しておきます。「溢れるHoney&Soul」というフレーズを、Honeyはそのまま「蜜」だから「ザクロ」はSoulになるのでは、というのはさすがに短絡的過ぎるか。

 
 現時点で私が考えていることをぼんやりとまとめると、まず人間の欲望と理性を分かつものとして「断絶の壁」があります。ただ、この「断絶の壁」は映像を見る限りまだ建設途中であり、今回メタ言及があったようにクマはそれをすり抜けてこっそりと侵入してきている。るる曰く「人間の作ったルールなんて、通用しないんだからねっ!」
 つまり「断絶の壁」とは人々の理性や欲望を無理矢理に引き剥がす社会的規範やらモラルやら法規範やらそんなノリのアレコレであり、しかし現実問題として一個の存在にある理性や欲望が分かたれるはずもなく、人々は隠れて壁を乗り越え自らの飢えを満たしている。
 そんな世界で抑圧された空気がコミュニティの中で「透明な嵐」を形成し、動物の群れが捕食者から逃げるために群れの一匹を犠牲にするように、集団から逸脱した誰かを弾き出してしまう。その誰かは、ルールの裏で隠れて捕食活動をするクマに狙われ食べられてしまう。
 「透明な嵐」の標的になるのは、スキをあきらめない人間。紅羽の純花に対する想いは「本当のスキ」だから、彼女のために流すのは本気の涙、本物の感情。それが「蜜」の味を産む。透明な存在は周囲に同調し溶け込んでいくから、嵐の中で個としての「スキ」を見失い本物の感情を劣化させてしまう。この辺は、眞悧先生の世界はいくつもの箱理論に通ずるものがありますね。人は世界という箱の形に合わせて身体を折り曲げていくうちに、何が好きだったのか忘れていってしまう。その延長戦上にあるのがこの物語なんでしょう。
 前回の感想でも述べたように、「スキ」は「好き」であると同時に「空き」でもあるから。透明な嵐に負けずにスキをあきらめない紅羽は純粋な想いだけでなく、その内に潜むであろう欲望にも身を委ねなくてはならない。一方、るる銀子の2人は自らの欲望に忠実なようでいて、百合(=純粋さ)を承認してもらうことで「好き」と「空き」を両立した「スキ」を成し遂げようとしているのではないでしょうか。断絶の壁のある世界でスキをあきらめない存在は透明な嵐に狙われる。主体なき悪意に見舞われもするし、百合園蜜子のように良い顔をして近付いて食い物にされもする。しかし、るると銀子はまた違うスタンスで、もしかしたら友好的な態度で、紅羽に近付いているのかもしれない。
 ぶっちゃけユリ裁判の一連に関してはまるで自信ないですけど、現時点ではこんな感じです。

 まあ余計なこと考えなくとも、Aパートは不意打ちクマショックやるるの開脚で笑わせられたり、Bパートは紅羽が学校に向かう場面での橋本由香利さんのBGMと挟まれる回想、そしてこのみの謎の笑い声の親和性による音と映像の気持ち良さに酔いしれたりと純粋に面白かったです。特に百合園蜜子が本性を表してからラストまでの怒涛の流れは悠木さんの素晴らしい演技も相まって最高の一言でした。


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