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ユリ熊嵐

ユリ熊嵐 3話 「透明な嵐」 感想

 閉じられた世界の秩序は透明な者たちが決める。


 まだ序盤戦が終わっただけだというのになんだこの濃度は。
 何よりもまず百合園蜜子が絶好調だった今回。屋上で紅羽に自らの本性を明かすシーンの盛り上がりは凄まじかったですね。だって純花のメガネを掛けてくれるなんて思わないじゃない! 一瞬だけレンズに反射して紅羽の姿が映るカットがたまりません。
 純花の死に際を再現してみせるという行為自体も、意識があるまま喰われてたんじゃないか(実際に吉村昭『熊嵐』でも生きたまま喰われた妊婦の描写がある)と連想させる間接的なエグさがこの作品らしくていいですね。
 橋本由香利さんのBGMも素晴らしく、百合園蜜子が純花の物真似を始めた直後に流れる新規の劇伴がピンドラを思わせるコーラスの入っためっちゃシリアスなカッコイイ曲で、純花の癖である耳の髪をかき上げる仕草を繰り返す百合園蜜子に紅羽が発砲し、そこからいつものユリ裁判バンクへ突入するシーンまでの一連の流れに完璧に合った曲展開。これがどうだか知りませんが、橋本さんは確かピンドラでもシーンに合わせた曲作りを依頼されて、22話のクライマックスで流れた長尺の曲のようにそんな難しい要請にも応えられる方。何が言いたいのかというと、映像と音楽の調和による本作のアニメーション体験の快楽に多大な貢献をしている橋本由香利さんはもっと評価されるべきだということです。
 話を戻して、百合園蜜子を魅力的なキャラクター足らしめているファクターの一つとして悠木碧さんのねっとりとした演技に触れないわけにはいかないでしょう。ぶっちゃけ所々某みゆきちを思わせる節回しがあって、リスペクトしている事は知ってるけど個人的にそこはあんまりなのですが、一方で時折入り混じる低音ウィスパーボイスには否応なくゾクッとさせられます。白眉は「ねぇ……もっと怒ってよ」の所、ここは譲れません。
 また、物語上における立ち位置としても重要なポジションにいた百合園蜜子。
 彼女はクマとしては銀るると対極に位置付けられたキャラクターであり、またヒトとしては透明な嵐のシステムを利用する者としてその設定に奥行きを持たせるキャラクターでもあります。

 「透明な嵐」。
 放送開始以前からキャッチフレーズとして存在感を示し続けたこの言葉。
 今回分かりやすい形で提示されたのは学校内でのいじめとも言えるハブ行為ですが、別にそれそのものというわけではないでしょう。
 百合園蜜子が螺旋階段を昇る時の語りで大体説明されてますが、人間社会のあらゆるコミュニティにおいて何よりも優先されるのはその場の空気であり、そこから逸脱する人間は排斥されます。その場のノリは時に自分のスキを否定する方向へ傾くこともある。その今を繰り返すうちに、人は自分のスキを忘れ、透明になる。それでもスキをあきらめない者は新陳代謝を行なえないものとして社会から弾かれ、すり潰される。
 この世界はきっと何者にもなれない奴等が支配していると、ピンドラで高倉剣山も言っていましたね。
 紅羽たちの教室内で行なわれた排除の儀はそれを可視化する事例のひとつ。鬼山さんが今回進行役を買って出てはいるけど、「儀式」の名を冠しているように伝統に倣っているだけで彼女が主導しているわけではない。それは百合園蜜子も同じ。
 レッツサーチイーヴルとか言って排除する人間を選抜してはいるけど、その場に紅羽がいない時点で出来レースだし、だからこそその場の全員が共犯者であり責任が分散できるため誰一人負い目を感じない、主体性無き排斥行為として「透明な嵐」が描かれてるんですよね。スマホによる選抜行為を演出しているのは、今の世代が人間関係を管理している代表的なツールだからであり、たとえばLINEなんかのアプリは簡単に誰かをハブにしたりグループを細分化できてしまったりで、「透明な嵐」を象徴するに足るモチーフとして非常に先鋭的かつ現代的だからですかね。
 で、ちらほら見たのはわざわざ排除する人間を選ぶ理由が分からないという意見。これは別に共通の敵が必要云々以前の話で、自身がマジョリティであるという実感はマイノリティがいてこその相対評価によって生まれるものだから。えげつない程よく出来てるのが、紅羽が排除対象に選ばれる過程で出来レースながらも2位以下がランキング付けにされている点で、これが本人たちに見える形で提示されるシステムなのかは分からないけど、「次は自分かもしれない」という恐怖がコミュニティ構成員を透明にするための楔になる。生け贄や見せしめとして、分かりきった排除対象をわざわざ選抜してみせる儀式を執り行うのはそういうこと。誰か個人がかける圧力ではない、「透明な嵐」そのものが形成する閉塞した空気。
 さらに面白いのが、排除の儀で表示されるクラスメイトの名前の中には百合園蜜子をはじめとしてそもそも選択肢にすら入っていない人物が複数名いること。これだけでスクールカーストに代表されるコミュニティ内のヒエラルキーを明示してくるんだから大したもので、その場の空気に支配された透明な集団の中でも確実に階層は存在する。集団の空気はトップカーストが方向性を提示し、下の者たちがそれに倣うことで全体に蔓延する。百合園蜜子はまさしくトップカーストの人間で、鬼山さんがあっさり落ちたのは透明な人間はその場の空気に敏感だからこそ自分より上の存在による承認で満たされてしまう。
 百合園蜜子が魅力的なのは、その事に非常に自覚的な立ち居振る舞いをしているからで、他者を支配できることに疑問を持たず好き放題喰い散らかしている、それを許された身であることを疑わない傲慢なケダモノとしての在り方。
 だからこそ、自分に靡かない(本人自身満々に下の名前呼んでたけど)紅羽に目を付けたわけですが。百合園蜜子は透明な嵐に混じりながらも、自らは責任を負わないままに欲望を果たせるという非常に象徴的なキャラクターとして未だ役割は残っているはず。現実にもいますでしょう、そういうズルいポジションにまんまと収まってる奴。え、いない?
 なので、出来れば後半まで生き残っていい感じにくたばってほしいですね。今回は脳天撃ち抜かれたげっ歯類と違って腕章飛んだだけだし、木に引っ掛かって地面に落ちた音まで聞こえたのでまだ生きているでしょう(願望)。

 それにしても「透明な嵐」が理解できないって人がよく理解できません。ネットやってればそこらで目に付くでしょうに。炎上騒ぎとか、相手に非があると見るや好きなだけサンドバックにして、そのくせその場のノリだけで動いているから一週間後にはその時見せた義憤(笑)はどこへやら綺麗さっぱり忘れている。新陳代謝を行えない者はやがて滅びるからね、仕方ないね。

 で、そんな「透明の嵐」に晒されつつもスキをあきらめずに踏ん張っているのが主人公の紅羽というわけですね。
 「透明な嵐」にスキをすり潰される、というのは分かりやすい例を挙げると「いい年した大人がアニメなんか見て恥ずかしくないの?」とか言われる感じのアレです。個人の趣味嗜好性癖が社会通念によって常識非常識に断絶される、その時その時代に反映されたハリボテに過ぎないものが絶対正義として扱われてしまう、人間が作り出した永遠に建設中のまま完成しない断絶の壁。
 今回は死んだ者へのスキを忘れない、という切り口で描かれていました。繰り返し紅羽の純花との思い出が回想で描かれるのは、まさに失われたものを忘れまいとする彼女の意志が重要なポイントとなっているからですね。ケダモノは過去に生きる事はない、あるのはただ今この瞬間だけ、という透明な者たちとの対比として分かりやすく強調されています。
 紅羽が教室で純花がくれた消しゴムを見つめるシーンが象徴的で、日常の何気ない場面でその人の事を思い出す。そうしている限りは忘れない、ひとりじゃない。だけど消しゴムが使うたびに磨り減っていくように、思い出もやがて磨耗して忘れ去ってしまうのではないか。紅羽の危惧は尤もだけど、一方で彼女が過去に亡くしたもう一人の大切なスキである、母親のことを忘れずにいたことも事実。それを象徴する百合の花壇を、吹き荒れる嵐の中純花と一緒に守るというエピソードはグッと来るんだけど、だからこそ「透明な嵐」の前にあえなく切り取られてしまったという事実が残酷さを増す。いくら守っても闘争は終わらず、すり減って消えるまで透明な嵐は止まらない。
 
 紅羽の母親と言えば、今回初めてと言っていいと思いますが主要人物の一人である嵐が丘学園の教師・箱仲ユリーカがようやくまともに描かれましたね。名前に「百合」が入っていることから彼女もクマなのではないか、というのは容易に思い付くし、彼女がただ一人の友達と呼ぶ澪愛が死んだのって自分が喰べたからなんじゃという可能性も普通にあります。ただ、名前からして「箱の中で見付けた(ユリイーカ!)」なのでそう単純に悪人とも思えないんですよね。
 それとは別に、彼女が冒頭の演説で言っていた「隣の友達が大事。お互いを守りましょう」という台詞自体はその隣人がヒトの皮を被ったクマであるという物語性を鑑みると、友達面してる奴でも一皮向けばその本性なんて知れたもんじゃないという皮肉にしか聞こえません。だからこそ、わざわざ本作は「本当の友達」という言い回しを用いているんでしょうし。

 過去を忘れて今に生きるのがケダモノの生き方なら、明らかに過去の出来事を胸にスキな相手のスキを守ろうとしているるるは(そしておそらくは銀子も)本来あるべきクマの在り方に反する存在なんでしょうね。罪クマとは多分そんな感じのアレなんじゃないでしょうか。クマがヒトを食べること自体はクマがそういう生き物である以上罪ではない。じゃあ何が罪なのかって言ったら、空きでも好きでもなく「スキ」を守るために人間を喰らうこととかそんなニュアンスのアレなんだと思います。
 今回のユリ裁判、銀子が明らかにいつもと違う様子で紅羽を守るためにユリ承認が必要だと言っていました。裁判の内容もいつも通りに見えて、今まではクールの主張からビューティの異議、それを受けてのセクシーの判決という流れだったのが、今回に限っては銀子の主張を直接セクシーが受け入れてるんですね。だからクールとビューティは驚いてたわけで。
 そしてユリ承認後のいつものバンクも様子が違う。正直ここだけがいくら考えてもまだまだ良く分からないんだけど、重要なのは「スキだけが世界を変えられる」という言葉と、銀るるに身を委ねたことでスキが承認され百合園蜜子に弾丸(LOVE BULLET?)を当てることができたということ。
 なぜ紅羽はクマを撃てなかったのか。多分だけど、単なる怒りや憎しみによる弾丸じゃクマを撃てないんじゃないかと思います。今回は百合園蜜子が紅羽の怒りを煽りつつ「あなたに私は撃てない」と発言してたし。
本物のスキによって生まれる感情がクマにとってのごちそうになるけど、それが承認されて「愛の弾丸」になると逆にクマを打ち抜くシルバーブレットになるとかそんなノリかな。で、そのスキが承認されるにはクマに身を委ねる必要があるという何だかやたら捩じくれた構造に。

 身を委ねるべきクマとは、もちろん百合園蜜子みたいなクマではなくユリ裁判に(おそらくは自らの意志で)かけられている銀るるな訳です。彼女たちは、これまたおそらくだけど紅羽を守るために彼女のスキを邪魔する「透明な嵐」を食べている。今回鬼山さんが食われたのは当然彼女が排除の儀を取り仕切ってたからだけど(もしかしたらこのみの前は赤江カチューシャがその役割を担ってたのかもしれない)、もちろん「透明な嵐」は特定の個人が起こしているわけではないので、進行役を食べてもそれこそクラスの半数を食いでもしない限りはならないんだよなぁ。その場凌ぎにはなっても、「透明な嵐」を止めるには至らない。でもそれって根本的な解決になりませんよね?
 だからこそ、ヒトとクマ、というか紅羽と銀子が手を取り合ってこれから何を為すのかに期待が高まるわけですね。一体どんな景色を見せてくれるのか。それまでに何回撃ち殺されるのか。まだ3話の感想なのにこの分量になってしまっている私の明日はどっちだ。

 本当は百合の花がユリカモメになる騙し絵風意匠デザイン(越坂部さん、だよね?)良いよねとかそういう話もしたいんだけど、カモメと聞いてもジョナサンしか思い付かないしそこから先の閃きも降りてこないので断念するしかないんだよなぁ。
 まあ全体の2割も拾えてたら上出来なんじゃないですかね。これ以上は私にはむーりぃー。
 

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アニバタ Vol.6アニバタ Vol.9に寄稿しました。よろしくです。


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