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戦姫絶唱シンフォギア

シンフォギアGXについてのぶっちゃけ話

 多分これがGX最後の記事です。


 2015年7月当初、シンフォギアGXの1話を見た私の感想は「最高かよ」の一言に集約されるし、続く2話では「もしかしたらシリーズ最高傑作になるやもしれん」という淡い期待が頭をもたげました。4話のラストで「これは今まで踏み込まなかった部分にいよいよメスを入れるのか」と興奮したものです。
 しかしそこからの物語、まだラスト2話を残した段階で断言するのも何ですが、私の期待はことごとく折り砕かれる展開となってしまいました。小難しい話は置いといても、見ていてほとんど心が動かない。Gも惜しい部分は多々ありましたが、ここまでの状態にはなりませんでした。何より、後半の展開でG10話に匹敵する事実上のクライマックスと呼べるようなテンション爆上げのエピソードがないのが痛い。一縷の望みを懸けていたリトルミラクルも、キャロルちゃんの歌に印象を塗り潰されてしまいました。
 というわけで、色々GXへの募った不満を語っていきますが、「どうするべきだったか、どう在るべきだったか」という論調だけはしないようにと、その一線だけは超えないようにしたいと思います。
 ここで語るのは、あくまで私がどうして欲しかったか、ただそれだけの話。


 さて、このGX、6話7話を境に二部構成になっているわけだけど、7話以降、いわゆるキャラ個別回に入ってからのエピソード郡がことごとく振るわない。これは他の人が散々言っていることなので、自分なりにもうちょい踏み込んでみます。
 Gを経て元F.I.S組が加わり、作品のメインキャラとなる装者が6人(未来さんについては後で触れるからちょっと置いとく)に増えました。きりしらはニコイチでワンセット換算としても、単純に彼女ら全員の個別回をやるには5話必要。1クール後半の尺のうち7分の5を消費、当然メインストーリーも進めなければいけない。1期の物語が装者3人に、プラスαとして未来さんとフィーネさんと考えるにしても、1クールをほぼ無駄なく使ったからこそ十分に描けた内容。うん、これ無理だわ。
 個別回を描くにあたって装者にはそれぞれ苦悩や迷いなどの障壁が用意されており、それを打ち破ると同時に今回の敵キャラオートスコアラーを撃破するという構成。
 その障壁っていうのが、特に旧2課組にとってはこれまでの問題を半ば焼き直したようなものになるわけだけど、それ自体を批判する気はあんまりありません。
 と言うのも、シンフォギアはどれだけ表面的なインフレを起こしてもあくまで主人公たちが戦うのは過去に起因する現在の自分自身で、だからこそ人の不和を象徴するノイズが雑魚敵として設定されており、GXではイグナイトモジュールというツールで自身を刺し貫き自らの闇から湧き上がる衝動に抗うという直接的なモチーフが描かれています。
 設定や展開のスケールの大きさに比べて物語のスケールが小さい、という意見も目にしましたが、シンフォギアはそれでいいのだと、私は思います。
 問題は、自分自身の内にある問題の提示と、それの解消による自身の昇華という各エピソードの核になる部分の過程の描写があまりにも唐突かつ表面的過ぎて、インスタントな印象しか受けないこと。基本的にどのキャラの問題も解決法も、アプローチの方向は概ね悪くないのだけど、それに直面する過程がすっ飛ばされていたり、長セリフで勝手に自己完結するだけだったりで、物語的な起伏に乏しい。
 加えて、主人公たちにやられるために現れる敵キャラ、というメタい設定のオートスコアラーたちが突如現れては撤退し、また現れてやられる。というパターンを作ってしまったのが物語の行き当たりばったり感に拍車をかけています。正確に言えば、最後の出撃前の様子が描かれたミカや、キャロルと共に行動し深淵の竜宮内で装者たちとの駆け引きを見せたレイアさんとの戦闘に関してはその辺の流れはスムーズに出来ていたのですが、ガリィちゃんとファラさん登場の流れは端的に言ってドイヒーでした。

 肝心の各キャラについての物語についてもうちょっと言及すると、前述したように過去の悩みを蒸し返すような構図になっていること自体は悪くないと思うのですよ。
 そもそもが「壊れたモノを修復した物語」を標榜している(これまでのシリーズにも当てはまるテーゼだと思う)本作において、「分解・理解・再構築」からなる錬金術をモチーフに使用していることからも分かるように、装者たちの現状をまず解体して、そこから新たに答を掴み直す物語構造になっているからです。
 元F.I.S組に関しては分かりやすくGでの迷走の反省からの飛躍を描けばいいだけなので構造としては単純。ちょいと複雑なのは旧2課組。
 人助けの力で誰かを傷付けることが怖い響。防人として夢の舞台から離れIKUSABAに戻らなければいけない翼さん。凄惨な過去からせっかく手に入れた居場所から自分を引き剥がそうとするクリスちゃん。どれも1期2期の物語を見ていれば今更何をと思うのも無理はないでしょう。
 しかしながら、GXの物語開始当初の環境が今までと変化しているのミソ。
 響が自身の手の中にある力を意識したのは、Gで融合症例でなくなりマリアさんからガングニールのペンダントを譲り受けたからであり、それを人を傷付けるために使いたくないのは、ノイズが居なくなった世界で純粋に人助けが出来る奇跡を味わっていたから。
 翼さんについても、1期で防人であることが日常であった彼女が夢に飛び立つことを決意したその結果としていま夢の途中にいるからこそ、歌姫からまたIKUSABAに戻らなければいけないことに苦悩し、彼女が自身を剣に徹する理由となる風鳴家の問題にまで遡るわけですね。翼さんについては、同じことをやっているようで構図が逆転している。
 クリスちゃんについても、1期では響に、2期では先輩に手を差し伸べられ、そしてGXでは3年生としてリディアン内では装者最年長、きりしらという後輩を得たからこそ、今度は自分が手を差し伸べる側に立とうとして空回るわけです。
 大分雑にまとめましたが、こういった問題設定にも時間経過が反映されている点で統一されているので私はそれ自体には文句はない、という話。
 ただ、そう来るからには、問題解決の際には今までよりももっと先の答に到達してほしいという話でもありまして。
 その期待に唯一応えてもらったと感じたのが翼さんのエピソード。これまでずっと剣であろうとしていた自分自身に高らかに「否」と叫び、剣を炎に変え夢を羽撃く翼を名乗るシークエンスには感慨深いものがありました。もっとも、話運びの残念さは否めませんでしたが。ファラさんもパパさんも色々唐突過ぎんだよ!

 一方のクリスちゃんがなんとも。なんというか、やっと手に入れた彼女の世界をきりしらの2人に限定してしまうのが勿体無いというかなんというか。せっかく2期で可愛い眼鏡っ子を始めとした同級生の友人を得たのに、GXでの出番がセリフ無し回想の1カットだけってどういうことやねん!
 残酷な世界が~云々言わせるなら、クリスちゃんの居場所であるリディアンが1期みたく襲われるくらいしないと説得力が出ないし、まだ平和な日常に違和感があるってんならセリフじゃなくて日常シーンでその違和を描けよって思います。この件についてはまさかの用語解説で心情説明をやられたのでわりとマジで怒ってます。
 しらきりへの突き放しも、「後輩を守れないふがいない先輩」から飛躍し過ぎだし、そこに1期で理解したはずの両親のことまでぶち込むもんだから余計訳分からないことに。
 両親の件を持ち出すなら、それこそ夢に具体性を持たせるところまでいかないと意味がないでしょ。
 だってクリスちゃんもう高3だよ? 進路の話が出ていい時期でしょ。

 そして響。自身の力を行使するために結局他人を理由にする歪さ云々を以前の感想記事で語った身としては、どうやらあの問題についてはアレで解決したらしい事実に戸惑いを隠せないのですが、それはあくまで深読みが的を外しただけの話で良くもなければ悪くもありません。いや、マムの墓前でマリアさんに「答は自分で探すわ」と言わせた直後に、答を未来さんに教えてもらう響、という構図には釈然としないものがありますが。うーん、あの流れでの敗北って絶対そういう意図だと思ったんだけどなぁ……。
 まあ、その点に関しては当のマリアさんもグレーゾーンにいるんですけどね。
 で、二部から現れた父親との対面なわけですが。ぶっちゃけ立花洸の登場は3話くらいにしてもっとじっくり描いて欲しかったと思います。彼のキャラ造形自体は、都合の悪いことをへらへら笑って誤魔化すパーソナリティを始めとして、響の負の側面を前面に押し出したようなものでとても良いんだけど、等身大の人間として描くには出番が少なすぎて、11話での変化がやはり極端に振れ過ぎたように感じる。
 親子関係というのは響とキャロルの対比を始めとして、翼さんやクリスちゃん、元F.I.S組についてもマム復活はそういう意図での演出だと思うし、GXでの主要なテーマの一つと考えていいはず。
 だからこそ、擬似父親として今回存在感の薄さが否めない司令と響の関係も掘り下げて、その上で記憶の中のカッコいいお父さんとはかけ離れたカッコ悪い今の立花洸も紛れも無く自分のお父さんなんだと、そう受け入れる姿が見たかったし、そのトリガーとして「へいき、へっちゃら」という呪いの言葉が再び響を支える魔法の言葉に反転して、そこから「リトルミラクル」が流れてほしかった。うん、これは私の妄想です。妄想ついでに言うなら、最終話で満身創痍の響と苦し紛れにエルフナインの身体を乗っ取ったキャロルの一騎打ちが始まり、そこで初めて「リトルミラクル」が流れるのが理想でした。
 これはGから感じてたことですが、基本的に響の問題に関しては彼女の在り方の歪さに切り込むかに見えて、その実解決は表面的で響は響のままで終わる感じなので消化不良に終わります。もちろん、歪みを抱えているのが響だし、それは解消しなければいけないものでもない、ついでに言えばシンフォギアは意外とスッキリ爽快単純明快なエンタメ活劇でもなかったりするので、それはそれで良いんですが、結局問題放置するなら最初から掘り出すなよと思う自分もいるわけでして。特に響は、どんどんと後から重たい設定が付け足されるわけで、後付けなのは一度完結したシリーズの続編なので全然構わないんですが、それで彼女から受ける印象まで変質してしまうのはどうなのよと。いや、響はもともと危うい子ではあるんですが、歪さの根の部分にある2年前の事件に新事実が加えられるにつれ焦点がボヤけて微妙に質まで変わってきてしまうんですよ。
 一言で言えば、響をどうしたいわけ?


 一方で、今回の新キャラであるキャロルとエルフナインの描写については、わりと不足感は感じていません。
 キャロルは父イザークから託された命題を解き明かすことだけが至上目的であり、世界を「知る」ために錬金術の法則に則って世界を分解する(ただし再構成はしない)という狂気に侵されている人物。
 自身の想い出を焼却して力へと変換錬成するキャロルと、忘れていた記憶を思い出してそれを打ち破るパワーを発揮する響の対比は明確で良いと思います。響が父から託された言葉を自身を苛む呪いから小さな奇跡へと反転させたように、キャロルも最後には託された命題の真意を正しく理解することでしょう。
 さらには、自身の複製であるエルフナインがおそらく今の彼女自身よりもかつてのキャロルに近いパーソナリティを持ち、今S.O.N.Gの面々と新たな絆を構成しているという皮肉な構図もキマってて、計画のため次々と破壊されるオートスコアラーも相まって、キャロルの悲哀混じりの孤独感が強調されていくのもいい。
 水瀬いのりさんのパワフルな歌声は嬉しいサプライズでした。

 一方で、イグナイトモジュールによって集められる呪いの歌が世界を壊す、という展開にはやはり設定以上の物語性が欲しかった所で、パワーアップツールとしてのイグナイトモジュールと、キャロルが歌う絶唱によるワールドデストラクションとがそれぞれ分離したギミックにしか見えないのがネック。強調して描かれてきた力の希求とそれの行使が、世界の破壊を招くという構図の連続性が欲しかった。
 でもまあ、キャロルは今の所これでいいと思います。

 もうちょっと言いたいことがあって、それが各キャラクター同士の関係性。
 GX、これも良く言われているように、本作では所々の小ネタがキレていて、7話の水着回に代表される日常描写がかなり面白い。もともと金子氏の様子のおかしいセリフ回しはシンフォギアの大きな武器だし、キャラクターも個性豊かだから登場人物たちが喋ってるだけでも一定以上の面白さはある。しないフォギアの人気も当然だと思う。
 一方で惜しいと感じるのが、絡みのある組み合わせがほとんど固定されてしまっていること。しらきりとクリスちゃん、翼さんとマリアさん、響と未来さん。あえて言えばカップリングが決まっていて、Gからの広がりはあってもGX内での広がりが薄い。特にヒドいのは未来さんで、これはGからのことなんだけど、本当に響としか絡まない。厳密には他のキャラと話すシーンはあるんだけど、響の話しかしてませんからね。それはわりと元からだったかもしれないな、うん。
 で、響のケアは未来さんに任せればいいと思われているのか、父親の件で凹んでる響をS.O.N.Gの面々、まさかの放置。いや、任務があったからね、しょうがないね。でもさあ、せっかく翼さんクリスちゃんが響に呼びかけるような歌詞のデュエットソングまであるんだからさぁ、心配してる素振りくらい見せても良かったんじゃない?
 響への過剰な信頼と、自分の悩みを誤魔化す響とが描かれたまま、特に進展もなく先へ進んじゃうと彼女らの絆まで疑わしくなっちゃうよ。

 まあ散々言い様をしているGXだけど、いい部分ももちろんあって。
 まずはオートスコアラーのキャラ造形が個人的に近年稀に見るレベルで神懸っていること。
 多重に練りこまれたモチーフと、画面映えするデザインに動き、個性的なセリフの数々、
人形という設定ゆえ余計なドラマ性が入り込む隙間がないがゆえの、純粋な敵キャラとして完成されていると思います。
 もう一つが、1話2話の完成度で、これはもうそこからの物語は切り離しても問題ない出来だと思います。特に1話アバンの6分間はシンフォギアとしてあまりにも完璧過ぎたし、これがあるからこそ、GXを作った価値は絶対に否定しません。

 素材はいいのに料理ガー方式の戯れ言は嫌いなので言いませんが、やっぱりどうしてこうなったのかというのは考えてしまって、それだけが原因という訳ではないにしろやはり最大の要因は尺不足、というのに尽きるのではないでしょうか。
 正確に言えば、1クールという尺の中にあまりにも多くの要素を詰め込み過ぎた。というか、詰め込めてないし。こぼれ落ちてるし。
 上松さんがBGMよりも多い新キャラソンの数を誇っていましたが、歌いながら戦うという作品の性質上新曲を披露するには基本的にバトルシーンの導入が必要で、必然ただでさえ毎回戦闘シーンを入れるという謎の制約を課しているシンフォギアで自由にドラマを描ける隙間が更に狭まってしまう事になります。
 結局、どれだけ曲が多くても劇中で効果的に使われないと印象には残らないし、特に今回は歌を途中でキャンセルするという演出が多様されていたため、きちんと歌と物語や映像のシンクロが描かれた曲が合った一方で、ただBGMとして流れてるだけ(ただでさえその性質が強いのに)で歌うことに設定以上の意義がないシーンが多過ぎた嫌いがあります。
 2クールあったらあったで、また別の問題点が出てくるでしょうが、これまで描かれたことをきちんとやり切るならやはり1クールという尺は短すぎたように思います。
 
 好きだったシリーズで、こういうケースを目の当たりにすると、尺に厳密な制限のない漫画や小説って最高やん、という気分にもなるのですが、一方で決められた尺をピッタリと使いきった作品の美しさ、というのもあるわけで。というかシンフォギア1期がまさにそれ。
 今はもう、綺麗に作品が完結してくれるかどうかと一喜一憂するのもままならない状態なので、どうしたもんかとぼんやりと考えています。いや、別にどうもしないですけど。

 私にとってのシンフォギアGXはここから奇跡の逆転ホームランをかまさない限りは好きな作品とは成り得ないでしょうが、たとえどうなってもシンフォギア1期が大切な作品であることは変わらないし、今は毎回続きが心底楽しみでしょうがない生きがいと言える物語が他にあるから大丈夫。
 へいき、へっちゃらです。

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