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映画

劇場版ガールズ&パンツァー 感想

 ガルパンはいいぞ、世界が面白くなる。


 先日立川での爆音上映を見に行きまして、それを含めるとかれこれ4回目の鑑賞。
 同じ映画作品を劇場で見た回数としては自己最高記録になります。
 こんだけ見ておいて何も感想を書かないのはどうかと思って筆を取ってみた次第ですが、何分この作品の読解に関しては余りにも他の方の考察に影響されているので、それを我が物顔で披露するのはいかがなものか、という葛藤がないでもなく、しかしながら自分なりに本編を確認して咀嚼したという感覚もあるので、とりあえず自己申告しておけばそれで良しとしておきます。

 劇場版ガルパン、分かりやすい爽快エンターテインメント作品でありながら、単なるキャラクター物としても、あるいはエンタメ活劇としても、どこかしら不満点を付けられがちな作品で、それでも長所が飛び抜けているから「50点マイナスで最終評価は4億9950点!」みたいな扱いになっている印象があります。
 一方、他人の評価に影響されまくった私の評価はどうかというと、本編におけるキャラクター描写が、少女たちが乗る戦車の挙動そのものにまで延長されていて、最大の見所である戦車そのものにテーマが凝縮されている意外と面倒な作品、というものに落ち着きました。
 戦車道は人生の大切なすべてのことが詰まってるんだよ。
 
ストーリー性が軽視されがち、という点においては同じ2015年劇場作品である『マッドマックス 怒りのデスロード』と確かに近いのかもしれません。逆に、あとは中毒患者が続出する点が似てるくらいで全く異なる方向性の作品だとも思うけれど。

 本作は映画単体としての完成度はあるいはそこまで高くないのかもしれない。というのも、あくまでTVシリーズの延長線上であり、そしてこれもまた物語の途上に過ぎない、という位置づけにある作品だから。
 一番分かりやすいのは大洗アリクイさんチームの面々で、TVシリーズの終盤に仲間入りした彼女らは、しかしろくな活躍もしないまま白旗をはためかせ、そのまま最終回を終える。
 そして劇場版、冒頭のエキシビションマッチでは記念すべき初撃破を。中盤の林間学校では貧弱な身体を鍛え上げ、大学選抜チームとの決戦ではまさかの筋肉チームとしての活躍を見せる。余談ですが、ニコニコ大百科の掲示板でたまたま見かけたんですけど、冒頭のタイトルロゴがドーンするシーンでアリクイさんチームだけもたついてたらしいですね。次見たらチェックしとこ。
 彼女らの他にも、TV版からの成長が描かれたキャラクターが多くいて、逆に言えば今回あまり活躍できなかった面々も続編ではチャンスがあるかも、と期待が持てるわけなんですよ。ケイさんとかアリサとかね。

 驚くほど大人数のキャラクターを描いている作品だけど、単に台詞だけ追っていても、あるいはドラマパートと戦車戦パートを切り離して見ていても、どこか物足りなさを感じてしまう程度には切り詰められている。
 なぜなら、本作のドラマ性は中盤のドラマパートよりもむしろ長い山場である戦車戦パートにこそ圧縮されているから。
 そして本作最大の特徴は、各キャラクターの、あえて言えば成長物語をことさらにドラマチックに描かないことにある。
 一番分かりやすい例はプラウダの隊長であるカチューシャ。彼女は試合の序盤で自らの保護者的存在でもある副官ノンナら仲間を全員失い孤立する場面が、全体から見ても明らかに浮いている悲壮感溢れる演出で描かれる。
 これは、能力的に間違いなく優秀な反面、精神面での幼さが強調されるカチューシャが壁を乗り越えて成長するための状況設定なんだけど、そこからの成長は決して『ドラマチックには』描かれない。
 遊園地での決戦で、彼女はアリクイさんチームやレオポンチームを含めた急造チームを見事にまとめ上げていたし、その傍若無人そうな性格とは裏腹に、積極的に盾となって敵をブロックする献身的なスタイルで味方をサポートする立ち回り(エキシビションマッチでもやってたけど、ダージリンは旧知の仲みたいだし)を存分に見せてくれた。
 そしてクライマックスでは、試合が佳境に差し掛かった所で隊長の元へ向かう大学選抜副官の3人が織りなすバミューダ・トライアングルの一角をレオポン・エリカと共に撃破する大金星を上げてみせた。おそらくここが終盤戦最大のターニング・ポイントであったと思います。
 本作を見てからカチューシャの株はうなぎ登り。

 上記のシークエンスは、劇場版でも1,2を争う個人的ベストシーンなんですが、素晴らしいのがカチューシャの物語であると同時に、最近二次創作界隈で異様な人気を見せている逸見エリカ嬢の物語でもある点。
 彼女は性格もそうだけど、何より経緯が経緯だからみほに対して当たりがキツくて、作戦会議でも、遊園地での決戦に臨むみほの指示にも嘲笑で応えました。しかしながら、尊敬するまほに窘められて、結構マジで凹んで反省してたと思うんですよね彼女。その結果として、かつて自らの道を阻んだレオポンチームが切り開いた道を走り、さらにはカチューシャとの「急造チームでチームワーク」を見せて見事にルミ機を打ち取り、最高の形で敬愛する隊長のアシストをする。
 ここ、あくまでエリカが先導される形、というのがいいんですよね。
 まだ未熟で、だからこそ成長途上である彼女の物語。
 スリップストリームが分からなくて、素で「スリップするの?」と聞いちゃうシーンが一番可愛いと思います。
 
 余談ですが、あなたは正規のチームで構成されたサンダース校トリオを破ったバミューダ△が、急造チームに突き崩されることに寓意を読み取っても読み取らなくてもいい。
 内容的には激アツなんだけど、あくまで戦車の挙動のみでそれを描いてくるので、ある意味では非常にドライな作劇。たとえば、ここでエリカとカチューシャが小粋なやり取りの一つでもしてみせれば、その方がキャラクター物としての質は上がったのかもしれないのだけど、戦車道にすべてが詰まっていると豪語する作品だからこそ、これでいいのだと思います。
 ノンナ以外の子に肩車されるカチューシャと、重そうにしながらも満更でもなさ気なエリカの表情を見れば、それが彼女たちにとってただの勝利以上に意味があったことは十二分に伝わるでしょう。
 キャラクター描写を戦車戦に情報圧縮するのは、あれだけの人数を劇場版の尺に収めきるためにも必須だったと思うし、だからこそ余白の多いものになったのだけど、結果としてそれが二次創作界隈の盛り上がりに繋がったのだと思いますね。
 私にはこの辺の性質が好悪以上の問題だとはどうしても思えないので、劇場版で一気にガルパンにハマったのはきっとこういうのが好きだからだと言うに留めておきます。
 

 俗に本作のドラマパートとされている林間学校のシーンについて。
 この辺は、廃校問題の蒸し返しによって大洗の面々がバレーだの一年生だの風紀委員だの、各々のアイデンティティを失う不安に襲われる様が描かれる。そんな中で、生徒会チームだけがあるいはTVシリーズ以上にその本分を存分に発揮させているのだけど、その理由はまた後で。
 チームごとに、それぞれ一つの記号をアイデンティティとして持たされた大洗の各チーム。TVシリーズでは、彼女たちが戦車道に自らのアイデンティティを仮託し、一体となって成長していく様が描かれたり描かれなかったりしましたが、劇場版では学校という場を奪われるも戦車だけはなんとか守り通すことで、なんとか首の皮を一枚繋ぎます。
 秩序を守る意義を見失って、マサオくん並のキャラ崩壊を起こしていたそど子たちはどうなんだって感じですが、グレる一幕を挟んで「規則は守るためにある」→「規則は破るためにある」という反転を起こすキャラクターだからなぁ。
 話を戻すと、サンダースによって戦車を送り届けてもらった彼女たち。林間学校での日々を戦車と共に過ごす少女たちが描かれます。そのはずなんだけど、4回も見といてバレー部のシーンだけ戦車があったかどうか確認出来ないという痛恨のミスを犯してるんだよなぁ。
 ともかく、先に述べたアリクイさんはもちろん、不良化したそど子たちに至るまで、日常の風景に戦車が溶け込んでいるんですね。彼女たちの道は、常に戦車と共にある。だからこそ彼女たちの物語は、戦車戦と地続きに描かれ、戦車の挙動が人物の芝居になるわけです。
 たとえば一年生チーム、ボーッと釣りをしてるんですが、何を釣るのかという話題で、次々といるわけもない大物の名前を上げては、否定されるんですよね。それをエキシビションマッチでの失敗を経た地続きの物語とした上で、遊園地で囲まれた仲間たちがピンチに陥る時、ついに自分たちの役割が「重戦車キラー」であることを否定するに至るわけです。その帰結として、ジェットコースター上のカルロ・ベローチェを餌に見立てて分相応の獲物を仕留める「釣り」の芝居が活躍として描かれるわけだ。
 要は、ただ時が来ることを待つだけの期間を戦車と共に過ごすことで、自分たちの在り方を見つめ直しているのが林間学校でのシーケンス。

 さて、ただ廃校を享受し待つことしか出来なかった少女たちの裏側で、生徒会長・角谷杏の活躍が描かれます。どうでもいいけど、彼女とドゥーチェが好きなガルパンキャラの双璧です。
 会長が政治的活動をする限り、生徒会は機能し続ける(実際に桃ちゃんは会長が動いてくれていると信じていたから超頑張った)。
 これも例によって他者の考察の受け売りなんだけど、廃校蒸し返し問題はTVシリーズおそらく本気で優勝して廃校を回避しようとしていなかった会長のリベンジなんですよね。みほですらどうにも出来ない状況で、今度は会長が決して諦めずにか細い糸をたぐり寄せる。
 会長が道を付けて、みほがこじ開ける、という政治家と指揮官の理想的な役割分担は、会長が本気になって初めて対等なものとして成立する。
 それが他に隠し事はと聞かれて「ない!」と笑い壇上を降りるという芝居によって完成されるわけです。
 これは正真正銘自分で気付いたことなんですけど、廃校問題の代表者的存在として登場した文科省のメガネが投入した規定スレスレの秘密兵器・カール自走臼砲を会長がその手で撃破する、というのが彼女の物語の戦車戦における帰結ですね。美しい。


 大小様々な各キャラクターの物語が仕込まれている本作ですが、やはりメインは主役を務めるみほとその姉・まほ、西住姉妹でしょう。
 西住みほ、おとなしそうな外見で軍神扱いされる異常な能力を持っていて、おまけに内面が明快に説明されないので面倒くさい部類の主人公だと思います。その時の心情がはっきり言動に現れない。
 たとえば、会長が廃校を回避できるかもしれないとして大学選抜チームとの試合が決まった旨を告げた時、湧き上がる周囲の反応を他所に即座に厳しい表情を浮かべてるんですね(横の秋山殿は気付いてた)。作戦会議では常に前向きな言葉を発して勝ち筋を検討していましたが、内心では最初から勝ち目がないことを分かっていた。コースを下見してたシーンでの会話から、多分会長も気付いていたでしょう。それでも仲間の前では決して弱音を吐かないのが、彼女の隊長としての資質を如実に示すファクターであり、同時に彼女が黒森峰を去った要因でもあったのではないでしょうか。
 一方の姉、西住まほはTVシリーズの素っ気ない言動が誤解を産んでいただけで、相当な妹大好き系のお姉ちゃんであったわけですが、自らを西住流の体現者とすることで、みほに自分の道をを歩ませるという健気な事情を持っています。
 この、まほが思っているみほの戦車道と、みほが見付けた自分の戦車道が、微妙に食い違っている所が今回の姉妹の物語の肝になるのです。
 まほは仲間を見捨てず、各々の個性を活かして定石に囚われない戦術で相手を撹乱するやり方をみほの戦車道(というか私の認識なので、間違っているかも)と思っているので、大学選抜チームとの試合の序盤で他校の生徒を交えた大部隊を指揮しているからか、定石通りの作戦を立てたことに「これは違うんじゃないか」と違和感を覚えたんじゃないでしょうか。
 カチューシャに「ミホーシャのこと信じてないんじゃないの?」と煽られたのはつまりはそういう事で、みほを信じていないんじゃなく、信じているからこそいつもと違う行動に疑問を持った。

 信じることと、崇拝すること。この違いは、盲目的なまでの全肯定でカチューシャの礎にならんとするノンナと、みほの信じる戦車道をすればいいと本来の彼女を呼び覚まそうとするまほの対比に見れると思っていて、きっと正しいも間違いもないのでしょう。ただ、両者の大切な相手への想いが溢れている、それだけのこと。
 そしてまほは、だからこそ愛里寿との最終決戦でみほが編み出した自らの犠牲を基に勝利を得ようとする作戦に、不安気な顔を見せるわけです。全体のために個を切り捨てるやり方は、かつて仲間の危機を優先して敗北を招き、チームを去ったその先で、それでも自分を貫いたみほの戦車道とは違うのではないかと。
 それでもみほは笑う。帰省した実家の帰り道、戦車でまほに送ってもらうみほが田園の風景によって想起した幼いころの思い出。戦車から落ちそうな自分を支えようとして一緒に泥まみれになったまほ、自分のアイスの当たり棒をみほに上げるまほ、自分の手を引っ張って走るまほ。
 この頃から、まほは妹のために自らの犠牲を厭わない人間だった。彼女が西住流の看板を一身に背負おうとするのもその一貫。
 まほはみほが西住流とは違う戦車道を見付けたのだと思っていた。
 そして妹が自分の道を歩めるように、西住流は自分が継げばいいのだと思っていた。
 だけど違った。今は違う高校に通っていて、ライバル同士であっても、同じ家に帰り、同じ道を戦車で走ることが出来る。
 みほの戦車道には、彼女が生まれ育った西住の血が確かに流れていた。
 ただ犠牲にするものが仲間か自分か、それだけの違いしかないのだと、みほは自らの道を一直線に突貫する。これこそが自分の戦車道なのだと、姉に示すように。
 島田流と西住流の相対化によって、まほとみほの間にある意識のズレを浮き出させつつ、それを解消するのが西住姉妹の物語で、あまりの美しさに自然と涙が零れます。


 それぞれの人生観を道と称し、それをどんな荒れた路でも走破する戦車に乗って突き進む、そんな彼女たちの轍が交錯し、そして各々の帰る場所へ散らばっていく。
 試合後の宴会が見たかったという意見もあり、私もあったらそりゃ見たいとは思いますが、ドリームチームでの大合戦自体がお祭りの性質を有しているし、一度交わった道が即座に分かれる方が戦車道の話として収まりがいいと思うので、不満には感じないですね。

 戦車戦全体を寓意として見ると、色々好き勝手に読み取れるし、そして一度見ただけでは到底把握しきれない、圧倒的なまでの情報密度を持った作品だからこそ、繰り返し見る度に新たな発見がある。
 そしてその度に興味のなかったキャラクターにも奥行きを感じられるから、そこにまた新たな楽しみが見いだせる。圧巻の娯楽活劇としての性質を持っていながら、主張しない余白がふんだんに盛り込まれている。
 きっと、TVシリーズも見返すことでさらに本作が好きになるでしょう。
 私にとっては間違いなく傑作です。

 ガルパンはいいぞ、心が豊かになる。

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