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ラブライブ! サンシャイン!! 感想 普通怪獣と完璧超人

友情ヨーソローであり、ふたりの距離の概算である。


 今期一番、いや、今年一番と言っていいくらいにハマっているアニメが『ラブライブ!』になるとは露ほどにも思っていなかった平成28年の夏、ついに最大の視聴モチベーションであった渡辺曜とかいう女の内面に切り込むエピソードがやってきてしまいました。
 最初はもっと負の感情が爆発するような物語を期待していたので、正直言うと若干拍子抜けしましたが、考えれば考えるほどディスコミュニケーション劇として素晴らしい出来だったように思えてきたので、ここに記録しておきます。

はじめに言っておきますが、私がAqoursの中でいわゆる推しを一人選ぶとすればダイヤ様になりますし、人間的に一番好きなのは千歌です。完全に好きなタイプの主人公なので。
 ならTwitterでやたら名前を連呼している渡辺曜はなんなのかというと、沼です。あいつは沼。
 明朗快活、眉目秀麗。国体クラスの運動能力を持ち、裁縫料理となんでもこなす。他人の機微に聡く、さりげないフォローが嫌味にならない出来過ぎた人格。そしてなんと家では眼鏡を掛けている。完璧かよ。
 およそ欠点が見当たらないような万能っぷりは、ともすればそれ自体が欠落とも取れるため、アニメにおいて内面がほとんど描写されてこなかったのもあって内に潜む闇への妄想が捗る捗る。深い闇(想像上の産物)にどんどん潜っていくにつれ、いつの間にか繰り返し本編を見返している自分がいました。一人のキャラクターについてここまで長いこと考える事はなかなかない。

 さて、この渡辺曜。スクールアイドルを目指す千歌の幼なじみで親友であり、最初にAqoursのメンバーになった人物でありますが、一方で「普通の女の子が輝くためにスクールアイドルになる」というストーリーラインにそのスペックゆえか当てはまらないため、どこか仲間になりきれていない感を漂わせてきました。他に輝ける舞台を持ちながらも(梨子にもあったけど、一度ドロップアウトしてきたという経緯がある)、千歌と一緒に何かをやりたかったがためにスクールアイドルをする、という動機からして一線を画している。
 5話で花丸が「みんな特別になりたかったはず」と語るシーンで、一人背を向けて沈黙する姿や、6話で「自分にも、この街にも、何にもない」というSOSを抱え続けていた千歌の決意表明にまるで自分の知らない幼なじみの姿を見たかのような表情を見せたのが印象的です。そもそも、6話はずっとハンディカメラを手に他のメンバーを映す立ち位置だった、というのがまた彼女の孤高性を強調しているようで、やっぱりどこか浮いているように見えたんですよね。

 そんな渡辺曜と幼なじみだった高海千歌。いつも明るく元気な姿を見せつつも、自分を「普通なの」「地味」と称する彼女のどこか卑屈なパーソナリティには、まず間違いなく隣でいつもキラキラに輝いていた「特別」な幼なじみの存在が少なからず影響を与えてきたことは想像に難くありません。
 しかしながら、そんな千歌だからこそ自分にはない「特別な何か」を持っている人間を肯定してあげられる。善子の「堕天使」をそのままがいいと受け入れ、梨子が手放そうとしたピアノに答を出してあげてと背中を押す。アイドルを通じて「普通」の女の子が輝けるようになれたらと、そう願う千歌だからこそそれぞれの「特別」を大切にして欲しいと、あるいは当人たち以上に思っている。想いを押し隠すのではなく、解き放つことで輝ける、というのは物語全体を覆うテーマでもありますね。
 とまあ、千歌はコンプレックスとそれに起因する美徳を表裏に兼ね揃えた人物であり、物語が進むにつれ地元と共に自身の可能性を肯定し、東京でぶち当たった「普通」と「特別」の壁をそんなの関係ないと悔しさと共に乗り越える、という成長過程が描かれているわけです。

 「普通」と「特別」という単純な対比構造に当てはめたくなるのも無理はない渡辺曜と千歌。ふたりは1話からその仲の良さを見せつける一方で、梨子の介入によりその近いようでどこか断絶を感じさせる距離感を浮き彫りにさせるのです。幼なじみでありながら家が遠いというのは絶妙な舞台設定ですね。外からやってきた梨子は千歌の向かいという......。
 自分は普通だと語る時、あるいは地味だと思っていた自分たちがそれぞれ特別なものを持っていた事に気付いた時、千歌がそれを語るのはいつだって梨子でした。
 極めつけは8話。東京のスクールアイドルイベントで惨憺たる結果を迎えた時、リーダーとして皆に不安を覚えさせないようにと空元気を振りまく千歌に、渡辺曜だけが真っ直ぐに彼女の本気を問います。
「くやしくないの?」「スクールアイドル、やめる?」
 それに対する回答ですら、受け止めるのは問いを発した渡辺曜ではなく梨子でした。
 このディスコミュニケーション構造は逆もまた然りで、11話で鞠莉から「本音をぶつけるべき」とアドバイスをもらったにも関わらず、渡辺曜はついぞ千歌に胸の内を明かすことはありませんでした。
 幼なじみのふたりは、決して互いに腹を割って全てを話し合えるような間柄ではないのです。
 それはやはり、それぞれが「普通」と「特別」であるが故の断絶が少なからず要因になっているように思えます。5話で善子の堕天使について語る花丸の言葉に一人だけ共感を示せなかったように。あるいは、6話で初めて千歌のコンプレックスの一端を聞き知って一人だけ微笑みを浮かべられなかったように、才能に恵まれた渡辺曜では「普通」である自分に思い悩む千歌に寄り添うことはできない。
 千歌も千歌で、コンプレックスの一因でもある渡辺曜本人にそれを明かせるはずもなく、ただ彼女の誘いを断ることしかできなかった「特別じゃない」自分に胸を痛めるばかりでした。
 そんなふたりの下にやってきた梨子が、どちらの本音も受け止めることが出来たのは、彼女がピアノの全国大会に出場した経験のある持てる者だからであり、そしてスランプに陥って表舞台からドロップアウトした経緯を経ている外様の人間であるから、だと思います。他ならぬ梨子だから、このふたり両方に寄り添えるのでしょう。

 さて、越えがたい断絶があるがために互いに気を使い過ぎ、踏み越えるべきでない一線を引いてしまったが故にディスコミュニケーションを繰り広げるふたりが心を通わせることは適わないのかというと、そんなことは断じてないと力強く示したのが最新話『友情ヨーソロー』なのです。
 梨子の代役を務めることになり、まるで千歌と歩幅を合わせることができない渡辺曜。その器用さゆえに、完璧に梨子のステップをトレースすることで見事に代役を果たすわけですが、それは千歌の相手が渡辺曜である意味を自ら捨て去ることを意味し、千歌と半分こするはずだったアイスを自らしまう所作によって笑顔を貼り付ける彼女のアイデンティティクライシスが演出されます。
 嫉妬ファイヤーを鞠莉に看破された渡辺曜は、しかし梨子への鬱屈した想いを吐き出すようなことはなく、ただひたすらに「要領が良いと思われている」自分を責め立てる。千歌と一緒に何かやりたいのに、自分だけが上手くできてしまうから断られる。せっかく始めたスクールアイドルも、仲間が増えていくにつれ自分がいる意味を見失ってしまう。
 渡辺曜がスクールアイドル部に名前を書いたのは、千歌に誘われたからじゃない。いつも当たり前に隣にいたから、一度も必要だと言われたことがない。
 ずっと大切な幼なじみに必要とされたくて、千歌のためにどんな役割もこなしてきた渡辺曜。
 彼女の抱える潜在的な孤独も、いつの間にか千歌のとなりにいた梨子への淡い嫉妬心も、根は同じ。特別であったがために、千歌と一緒にいられない自分という存在を肯定できないモラトリアムにある少女のごく普通の悩みだった。

 そんな彼女を救うのは、隠していた本音を優しく受け止める梨子が語る千歌の言葉。
 ずっと誘いを断ってきたことを千歌は気にしていた。だからやっと一緒に始められたスクールアイドルは曜ちゃんと一緒にやり遂げるのだと。
 千歌と渡辺曜は互いに互いへ語れない本音を持っている。だけど間に立つ梨子が、彼女たちに必要な言葉をちゃんとくれる。ふたりの問題が顕在化したのは梨子が表れたからだけど、彼女がいなければそれを乗り越えることはできなかった。絶妙なバランスで成り立っている二年生組の良さが溢れていますね。
 「一緒に何かをやりたかった」という想いが一方通行でなかったと知った渡辺曜、そんな彼女の耳にいるはずのない千歌の声が届く。
 梨子の代役としてではなく、曜ちゃんと自分、ふたりだけのステップを一から作ろうと叫ぶ千歌の言葉に、渡辺曜は救われた。他の誰でもない、自分自身を必要とされたと感じた時、一目散に千歌の下に行きたいのに彼女は梨子から贈られたシュシュをここで初めて(練習時はさすがに着けていただろうけど、映像では描かれてない)身に着けるんですよね。最初の仲間だった渡辺曜が、本当の意味でAqoursの一員になれた証。
 たとえ距離が遠くても、千歌は自転車を漕いで近づこうとしてくれる。かつて渡辺曜の輝きに憧れるだけで近づけなかった千歌が物理的な距離を突破することができたのは、やはり自分の可能性を見出し、敗北を乗り越えた後だからこそだと思うのです。
 そんな千歌に、泣き顔を見せたくないがために後ろ向きでおずおずと手を伸ばす渡辺曜のシーンが白眉。大切なものが何も見えてなかった彼女、でも見えなくても確かに手が届く所にいつだって千歌はいたのだと。
 太陽の光を浴びて、憧れに手を伸ばし続ける少女たちの物語は、互いが互いに憧れるあまり限りなく近くにいるのに限りなく遠くにいたふたりの幼なじみの話に。これまでの道のりがあったからこそ、ようやくここまで辿り着けたと思うと感慨深くてたまりません。
 披露された新曲『想いよひとつになれ』のLIVE演出が、端的にふたりの到達点を示していて、千歌を馬跳びする渡辺曜は、彼女らしい動きを最も端的に示す振付であり、他方を他方が飛び越えるという歩幅の違いを肯定するメタファーにも取れる。極めつけは、サビに入った所で少しずつ近づいていくふたりの姿。そして1話でも描かれた、正面からぶつかれない距離感と、背中を預けあえる信頼感を両立させたこのふたりを象徴する背中合わせのポージング。
 離れた場所にいても心はひとつだと、梨子との絆を示すベタベタな演出もキマっていて、これまでで最高のLIVEシーンだったと思います。泣いちゃってもいいから。

 何が素晴らしいって、ふたりは最後まで互いが互いに抱えた想いを口にすることはなく、この先も明かすことはないだろうということです。千歌は幼なじみの涙の理由を知らないし、渡辺曜もそれで「いいの」と繰り返し口にする。その位相は違っていても、お互いに一緒に何かをやりたかったと、それだけが分かればふたりには十分なんです。
 ダイヤ様と鞠莉が語ったように、物語の起点は確かに千歌と梨子の運命の出会いなんだけれど、千歌の「誰かと一緒に輝きたい」という強い衝動、それを形にする道筋を示したμ'sに出会うその更に前、原点となる想いを育んだのは間違いなく渡辺曜その人なんですよ。Aqoursの始まりは確かにこのふたりの幼なじみであり、でも当人たちは多分ずっとそれに気付かない。最高に美しいじゃありませんか。

 『人は分かり合えないけど、分かり合いたいと思う意志は尊い』というのが私の信条のひとつとしてあり、だからこそ当初の期待からは外れた本エピソードは想像以上に刺さる出来となっていました。互いに理解できないこと、知られたくないこと、話せないことを抱えつつも、それでも一緒に何かをやりたいと想いをひとつにした『友情ヨーソロー』、今年度暫定ベストエピソードです。この作品を見ていて本当に良かった。

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Author:ぽんず
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アニバタ Vol.6アニバタ Vol.9に寄稿しました。よろしくです。


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