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話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選

 ブログの存在を忘れたわけではありません。今年もやりますこの企画。
 他参加者様一覧については企画元の「新米小僧の見習日記」様にて。
 毎年すごいな、本当にありがとうございます。


 ルール
・2017年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。


この素晴らしい世界に祝福を!2 3話 「この迷宮の主に安らぎを!」
脚本:上江州誠 絵コンテ:金崎貴臣 演出:吉田俊司 
総作画監督:田中紀衣 作画監督:浅井昭人、清水勝祐

 特に飛び抜けた出来というわけでもなく、6話の江原康之回とも最後まで迷ったんだけど、私がこのすばを好きなった理由が再確認できた回として選びました。
 国家転覆罪の容疑を掛けられ、莫大な借金を抱えたカズマ一行は、何よりもまず成果を出して金と実績を手に入れるのが喫緊の課題。のはずなのに、いつもの調子から抜け出せない、ダメ人間の営みが描かれる。
 原点回帰するように、ダンジョン攻略はカズマとアクア様のペアで行われる。息は合うが距離は変わらない安心感のあるふたりの珍道中は、煽り合いもあれば、意外な一面を目にしたり、出会ったリッチーとの人情劇を繰り広げたりもする。バカで、クズで、だけどそれでもやっぱり善良である彼らの日常風景。その成果として転がり込んだ一攫千金を、一晩の宴会で叩いてしまう。
 アバンの爆裂散歩でめぐみんが大空に掛けた虹と、ラストでアクア様のきらめく吐瀉物が掛ける虹、絵面に落差はあれどそこでは何度「このままじゃダメだ」と後悔しても繰り返されるダメ人間の業が反復演出によって示され、ただその一時の幻でしかない虹が、確かに彼らが積み上げていっている人望・関係性の象徴でもあることが、着実に広がっていっている人の輪によって分かる。
 上手くやり過ごしても、本当に欲しいものを抱き締めなければいつも満たされない。当面の目標より、目の前の欲望に釣られていってしまう、そんな彼らの営みが、私には共感できてしまうし、どうしようもなく好きなのだ。


リトルウィッチアカデミア 8話 「眠れる夢のスーシィ」
脚本:うえのきみこ 絵コンテ:今石洋之 演出:中園真澄 
作画監督:坂本勝、長谷川哲也

 一番好きなのはダントツでダイアナ回「知性と感性」なんだけど、あれは前後編なので話数単位ではこのエピソードに軍配が上がった。
 うえのきみこ脚本と今石洋之コンテという混ぜるな危険の組み合わせがスーシィというエッジの利いたキャタクターと化学反応を起こした結果、巨大なキノコを生やした怪作。村瀬迪与劇場であることも忘れてはいけない。
 頭のおかしい話が狂ったテンポで進んでいくドラッギーな感覚。しかしその中に確かな技巧があり、スーシィの内面世界でアッコが次々と様々なスーシィに出会うシーンで、サラッと「他人を喜ばせたいスーシィ」の歪つな喜ばせ方が描かれることによって、この話数全体はもちろんのこと、これまでスーシィがアッコにしてきた行動一つ一つが遡及的に意味を付与される。だからこそ、ただひとり明言がされなかった小さなスーシィが何の感情を司っているのかを察することができる。ワザマエ!
 「人は誰しも自分の中に生まれた小さな感情を殺しながら生きている」という普遍的なテーマが、いつも毒舌家で悪戯ばかりするスーシィの内面を掘り下げ、そしてアッコへの想いだけは断固として殺そうとするのに、彼女との出会いだけは永遠のロングランとして記録し続けているいじらしさが仄かな切なさを感じさせる。
 殺されるはずだった感情が暴走し、眠れる姫として勇者アッコに救い出され、目覚めのキス一秒前まで迫ったところで、オリジナルのスーシィが鉄の理性を発揮すると怪物が涙を流し、夢は醒める。その不思議な冒険もまた、彼女の中で何度も記念上映されることだろう。
 クレイジーでキュート、それでいて上品な、今年最強の百合回でした。


ACCA13区監察課 8話 「翼を広げた王女と友のつとめ」 
絵コンテ・演出・作画監督:小嶋慶祐

 ニーノが語る過去、オータス兄妹を取り巻く陰謀と、それを取り巻く犠牲と選択と愛の話。
 それが打算にしろ忠誠にしろ自己満足にしろ、陰ながら見守られ、あるいは監視され、外の世界へ翼を広げた王女の人生はカメラに収められてきた。使命感はいつしか自らの喜びとなり、それは確かな実を伴って親から子へ受け継がれていく。
 虚の中に真が生まれる過程が、記録されていくシュネー王女の幸せな生活風景と共に育まれていくのが分かるから、悲劇によって不意の選択を迫られたニーノの悲壮を静けさでもって描くことができる。そして監視役の彼もまた誰かの目に映る存在であり、真実を知ってもジーンは「あの時自分も辛いはずなのに、笑顔で励ましてくれた」ことを口にするし、俺たちのロッタちゃんの下には誰かさんから好物の林檎のケーキが送られる。
 監視することも見守ることも、誰かの視線の下にあるという意味では同じで、視点によってはそこに人の温もりを見出すことができる。淡々とした語り口で描かれる人間賛歌が、ここにきて初めて意味が分かるEDアニメーションによって昇華される手並みの鮮やかさに脱帽です。


冴えない彼女の育てかた♭ Episode8 
「フラグを折らなかった彼女」

脚本:丸戸史明 絵コンテ:亀井幹太 演出:柴田彰久 
作画監督:石田一将


 「作中の登場人物が同人ギャルゲを創作する」「ヒロインの一人がそのギャルゲのメインヒロイン役を振られる」本作における入れ子構造がひとつの実を結び、加藤恵という少女の輪郭が縁取られていく。10話と迷ったけど、やはり加藤恵あっての冴えカノなので。
 安芸が企画する同人サークルblessing softwareの新作ゲームは、特別なギミックも壮大な物語もドラマチックな展開もない、ただヒロインの可愛さのみで勝負する王道にして究極のギャルゲだ。その説明がそっくりそのまま、この回に当てはまる。キャストクレジットを見れば一目瞭然、並んでいる名前は安芸倫也と加藤恵のふたりだけ、正真正銘ヒロインとのやりとりを直球勝負で見せ、そして見事にフラットで不定形な感情のある一人の少女の魅力を描ききってみせた。
 好意があるのかないのか、意識しているのかしていないのか。どちらでもなく、どちらでもある気ままな少女の感情の揺らぎ。フェティッシュな仕草や肢体(ジッパーの開いたジャージの裾から除く足首!)を映すカメラは否が応でも彼女の性を意識させ、それが彼女を生身の女の子として見始めている安芸の視点とリンクする。
 そしてそんな加藤恵が自身の振れ幅を存分に見せた夜の最後に漏らした「明日になったら、今日の私は忘れてね」という最高の殺し文句。極めつけは2月14日に渡せなかった、2時14分を待って手渡される義理チョコ。
 加藤恵という冴えないヒロインが安芸倫也の手によって誰よりも魅力的なメインヒロインになる。
 めっちゃキュンキュンしました。俺の負けです。


僕のヒーローアカデミア 第23話 「轟焦凍:オリジン」
脚本:黒田洋介 絵コンテ:サトウシンジ 演出:堂川セツム 
作画監督:馬越嘉彦 エフェクト作監:橋本敬史

 原作ファンなら誰もがここで力を入れずにどこに入れると傑作回になることを確信し、公式サイドもそれを承知して放送前から盛り上げようと色々宣伝していたのが当時は印象的でした。
 体育祭事実上のクライマックス、緑谷出久VS轟焦凍は1話丸々たっぷりと尺を使い、デクが腕手指を痛め、轟は身体に霜を降ろしていき、両者がその身体と精神を消費しながら戦っていることを馬越作監による太い線によって力強く描写していく。
 一人を救けて木偶の坊になる。かつてそう称されたデクは、自らの身体をボロボロにしなければ個性を発揮できない。しかし、だからこそこの戦いではボロボロになりながらも誰も救けられなかった轟に必死に手を伸ばす、現時点での彼の集大成が描かれていると言える。
 個性の発現したヒーロー社会においてサラブレッドである轟は、無個性だったデクとは対称的な存在でありながら、この世界における闇が煮凝りしたような家庭によって育てられたことで、忌まわしき血への憎悪を滾らせている人物。そんな彼が、忘れてしまっていた母の言葉を思い出し、ただありのままの自分を認めることで溢れ出した炎が、凍っていた心を溶かす。エンデヴァーの視点から見た轟の横顔から流れる雪解け水のような雫が、熱による汗にも、涙にも見えるカットが秀逸。
 そして正真正銘の全力をぶつけ合うデクと轟、最後の攻防はこれまでのフラストレーションを一気に開放するような圧倒的な作画で描かれる。
 氷が炎によって溶かされる、再三に渡って描かれる轟の心の変遷を表現するモチーフが、ここにきて最大の一撃を生み出すプロセスとして編み出される。このクライマックスを演出するのはこの人しかいない、俺たちの中村豊!
 全体の演出構成の緻密さから、端正で力強い作画修正に至るまで、期待に答えてくれた大満足の出来でした。


プリンセス・プリンシパル #2 
「case1 Dancy Conspiracy」

脚本:大河内一楼 絵コンテ:誌村宏明 演出:伊部勇志 
総作画監督:鶴窪久子 作画監督:大高雄太、金丸綾子、青木昭仁

 本作を振り返ってみると、一番面白かった、というか刺激的だったのがこのエピソードだったなと。
 case1と冠されたこの回こそがチーム白鳩の始まり。そしてアンジェとプリンセスが10年ぶりの再会を果たすエピソード。
 ロンドンを舞台にしたスパイ物作品、ということで今回の舞台は貴族や有力者が入り乱れる社交パーティの場。そこに紛れたスパイが、刻一刻と変わっていく状況の中で課せられた任務と懐に忍ばせた自分自身の約束を果たすために暗躍する。
 社会的身分や表裏問わない関係性が、社交場の場で目まぐるしくその立ち位置を入れ替え、駆け引きが行われていく。そんな中で、舞台の中心に立ったアンジェとプリンセスの交渉劇が、最後の最後で誰も知らない共犯関係の上に成り立っていたことが分かる構成に、初見時はグッと心を掴まされたし、8話を見た上で再見するとまた別の感慨を得ることができます。
 出会った頃の、思い出のやり取りが、あの場の全てを欺いた大嘘つき女たちふたりだけの符牒となる。最高にスリリングで、それでいてロマンチックなエピソードでした。
 

神撃のバハムート VIRGIN SOUL episode17 
「Virgin Souls」

脚本:大石静 絵コンテ:室井ふみえ、さとうけいいち、横山彰利 
演出:小坂春女 作画監督:崔ふみひで、桑原剛、安彦英二

 人、神、悪魔、そして竜。ついでにゾンビ。
 様々な種族が入り乱れ、醜い争いやなし崩しの共存関係を築き続けてきたこの作品が、一夜限りの夢としてひとつの到達を示した回。身も蓋もなく言えば異種族間セックス。
 暴君として戦争の中心に立つシャリオスが見せる、優しい好青年クリスとしての顔。どちらが本当の彼なのか、恋する乙女のニーナが問いかけると、シャリオスは揺るがない信念と揺るがされている心の内を明かす。
 惹かれ合うふたりがただその想いを一つに重ねる、そこに至るにあたって変装をするシャリオスはサングラスやターバンを取り払って素顔を見せていくし、舞い上がったニーナは竜に変身することで生まれたままの姿になる。無知と罪科の業に濡れたふたりでも、ただその時にあっては汚れのない純潔な心をさらけ出して、夜の遊覧飛行でささやかな幸せを得る。眼下では夜の街で人と悪魔が金と酒で繋がっているし、ついでに言えば上空では人と神がその手を取り合っていた。そんな光景がありえる事も、シャリオスは知っていて、それでも最後には王の顔で決意を示す。
 EDがあからまさに示唆するように、それは一夜の夢でしかないけれど、だからこそ直球のラブロマンスが突き刺さったエピソードでした。


メイドインアビス 第13話 「挑む者たち」
脚本:倉田英之 絵コンテ:小島正幸 演出:森賢 
作画監督:ぎふとアニメーション、森賢、多田靖子

 これだけ2話分の尺があるのでズルい気がしないでもない。
 深淵の穴の中、繰り広げられる生の尊厳と死の安らぎの物語は、レグとナナチ、そしてリコとミーティ、それぞれの対比構造によって重厚な生命賛歌へと昇華される。
 アビスの呪い、あるいは祝福によって死ねない生の苦しみに苛まれ続けなければないミーティ。レグの火葬砲で彼女を送り出した時、まるで入れ替わるように眠っていたリコが目を覚ます。そこから描かれるのは本来在るべきだった生の営み、美味しい食事、人肌獣肌の温もり、泣き叫びたくなるような激痛から、精通の描写に至るまで、そこには悦びも苦しみも等しく存在する。それでも彼らがさらに下層へと進むのは、胸に抱いた確かな憧れがあるから。それまでの足跡を、生きている証を乗せて、上へ上へと昇っていく希望が、壮大なテーマを物語っていく。楽曲も含めたエンドロールの叙情性が素晴らしく、また彼らの冒険が見たいと強く思わされました。
 アニメスタッフの皆さんには沢山のお礼が言いたい。
 

宝石の国 10話 「しろ」
脚本:ふでやすかずゆき 絵コンテ・演出:武藤健司 
CGディレクター:越田祐史 プリビジュアライゼーション:小林直樹

 革新的な映像世界を見せ続けてきたこの作品。
 中でもこのエピソードはCGアニメの可能性を思い知らされたという意味で、手書きアニメ至上主義だった私にとっては衝撃的でした。
 新たにコンビを組んだフォスとボルツの前に表れたのは新型の月人。
 これまでの月人とは随分と違う、多腕の獣のような造形が四方八方から手が伸びてくる立体的なアクションを際立たせます。しかしそれ以上に凄いのが、校内で月人に見つかったダイヤとのかくれんぼパート。自在なカメラワークが否応無しに緊張感を高め、宇宙戦争もかくやというスリルを演出してくれました。
 物語面としてもいつも当然のように面白いのですが、この回は可愛すぎ大問題なダイヤさんの笑顔の裏に隠された生々しい感情の発露が一際際立っていました。
 ボルツへの強い愛情が、自らの足りない能力へのコンプレックスを増長させ、そしていつの間にか大きな変貌を遂げ強くなっていたフォスに相棒の座を取られそうになる。どこまでも合理的な判断をするボルツへの愛憎ごたまぜな感情が、強い反動を生んで恐ろしい月人へとひとり立ち向かう力となる。
 見事に月人を討ったダイヤの顔は割れて鏡面を晒し、そこにボルツの像が逆さまになって映る。不器用な兄弟の絆を描いた、美しいエピソードでした。


Fate/Apocrypha 第22話 「再会と別離」
脚本:三輪清宗 絵コンテ・演出:伍柏輸 
作画監督:伍柏輸、浜友里恵、りお

 CGアニメだから出来ること、手書きアニメにしか出来ないこと。
 宝石の国10話とFate/Apocrypha22話が同じ夜に放映されたことが、2017年TVアニメ界最大の事件だったと思います。

 最初のワンカットからしていつもとは明らかに違う作画、もたらされる予感はそのままに、そして想像を遥かに越えるクオリティで1話丸々走り抜けた超絶作画回。有望な若手アニメーターたちの才能が爆発しました。
 アクション、芝居、表情、エフェクト、構図、色彩、音響、熱演、そして物語、すべてが尋常ならざるクオリティで絡み合い、ひとつの英雄譚にまで昇華された奇跡のようなエピソード。そう、ただ動きまくるだけじゃない、表現のための表現ではなく、キャタクターに息吹を与え、物語を紡ぐための作画演出。それが徹底されていればこそ、不安を煽る影なし作画でのスピードバトルが展開されたアタランテ戦と、神話級のスケールが壮大なスペクタクルを産むカルナ戦の画の違いも許容される。

「こんな世界を作るために、私は戦ったんじゃない!」
「未来に生きるお前達は、誰であれ英霊にとっては宝だ。我々はお前達という未来のために走ったのだから」

 アタランテとカルナ、相反する英霊たちの言葉が象徴するように、怒りと哀しみに濡れた前者と英雄の誇りを重んずる後者の戦いはその性質からして対比されている。
 両者の違いは生来の性質の差はもちろんあれど、それ以上に物語文脈上明確に対比されている、彼らが出会った子どもたちの在り方の違いが大きい。
 社会システムに消費され犠牲となった子どもたちが怨霊となった集合体ジャック・ザ・リッパーと、消費されるために造られたホムンクルスであるジーク。物語構成上このふたりは光と陰であり、ジャックちゃんは救われぬ存在として切り捨てられ、一方で英雄たちに命を救われたジークは他のホムンクルスたちを救い出し、今彼らは人間に庇護され名前すら与えられている。
 救われなかった子どもたちがいれば、救われた子どもたちもいる。
 だからアタランテは絶望し、カルナはそこに希望を見た。しかし、英霊たちに、すべての出会いに救われ、今ひとりの戦士として生きる意味を見出すに至ったジークを見送ったカルナと同じ様に、ただ堕ちていくだけだったアタランテにもその道を肯定してくれる存在が居る。
 彼女を認め、憧れていたアキレウスが、同じく大切な者を救えなかった後悔を抱えつつも、全速全霊で暴走する彼女を止める。道を踏み外したと言いつつも、理想を追い求め、そして溺れてしまったアタランテの在り方を、それでも美しいと語るアキレウスが抱き締め、見送る所作のすべてがため息の出るような美しさ。
 明暗こそ別れたものの、しかしどちらもまた英雄の最期に相応しいものであり、散り際の彼らはただただ美しく描かれる。最期まで高潔で在り続けたカルナ。叶わぬ夢を追い続けたアタランテ。英霊たちの儚くも美しい生き様を表現しきった珠玉のエピソード。
 今年ベスト、というかオールタイムベストの一角に収めるべき器だったと思います。




 他、『ボールルームへようこそ』『少女終末旅行』『Just Because!』などの佳作群からも選出しようか迷いましたが、どれも突出してどれか1話、という感じではなかったので。
 今年最大のヒット作『けものフレンズ』をまだ見ていないというのが片手落ちどころじゃなく締まらないところだけど、毎年この企画に参加できる程度にはアニメを見続けられる生活が送れればそれで十分じゃないかという気持ちです。
 その意味で、年末恒例となったこの企画はひとつの指標であると感じます。


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Author:ぽんず
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アニバタ Vol.6アニバタ Vol.9に寄稿しました。よろしくです。


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