その他
話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選
年末恒例この企画。
企画元は新米小僧の見習日記様。
いつもありがとうございます。
ルール
・2018年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。
ゆるキャン△ 第5話「二つのキャンプ、二人の景色」
脚本:伊藤睦美 絵コンテ:京極義昭 演出:鎌仲史陽
作画監督:大島美和、堤谷典子
野クルのグルキャン。リンのソロキャン。
並行して描かれる二つのキャンプ。「みんなとするキャンプが楽しい」「ひとりでもキャンプは楽しい」。異なる価値観、異なるペース、異なる楽しみ。そういったものを互いに尊重し、電波を通じた緩やかなつながりで、それぞれが得た大小様々な感動をささやかに共有する。本作の根幹にある、現代的なコミュニケーションと人間関係の在り方を、優しさと暖かさを以て提示した、象徴的な回。
中でもやはりなでしことリンの関係性が尊くて、軽いメッセージのやり取りから、寒くて暗い中、自分がいる場所から見える景色を見せてあげたいという積極的な想いがある。互いが見える景色は確かに違っても、その想いは同じだから、二人の景色は空間を越えてまるで一つになったように見える。きっと、そらでつながっている。
『同じ空の下』というあまりにもベタなメッセージがスッと入ってくるような、素敵なエピソードでした。
宇宙よりも遠い場所 STAGE06「ようこそドリアンショーへ」
脚本:花田十輝 絵コンテ:清水健一 演出:ながはまのりひこ
作画監督:小山知洋
5話を選ぶつもりで見返そうと録画を辿っていたら、なぜか6話を再生している自分がいた。
完全にその時の気分の問題ですが、まあこの作品は全話ベスト級みたいな所があるので不足はないでしょう。
ついに始まった南極への旅。その中継点であるシンガポールで、他人と一緒にいる事への負い目がまだ残っている日向に焦点を当てる回。道中、彼女はパスポートと紛失し、旅の途中離脱を申し出る。
すっかり仲良くなった4人組の旅が賑やかに楽しく描かれていればこそ、「そこにいる資格」としてのパスポートを失った日向の動揺は計り知れない。旅をするには許可証が必要で、他人と一緒にいるのが苦手な自分にはそれがないのだと。
そんな日向の逡巡に正面から右ストレートを叩き込むのは、やはりこの女、小淵沢報瀬。身勝手を誠実にぶつける報瀬の言葉は、花澤香菜の熱演と花田十輝氏の台詞回しが化学反応を起こして強烈なパワーを発揮する。報瀬は4人で行くためのチケットを自らの情熱の結晶であるしゃくまんえんで手に入れる。日向がそこにいる資格を、何よりも明確に示したのだ。
そしてそこから全てを台無しにしていくのもまた、小淵沢報瀬という女なのである。自分の鞄の中にしまい込まれていた日向のパスポートを見つけた報瀬のリアクションはもう笑うしかないのだが、その経緯として挟まれる回想シーンこそがこのエピソードの白眉。
解けた日向の靴紐は、対人関係に負い目を感じる原因たる陸上部での過去のメタファーであり、それを結び直すために報瀬にパスポートを預けるのである。無意識の信頼を示す寓意に富んだ一幕を、クソみたいなオチに使ってしまう大胆さには脱帽するしかない。斯くして日向の青くも切実な悩みは、ドリアンショーによって笑い話として昇華されるのである。
5話からの振り幅の大きさ、変幻自在の語り口にすっかり驚かされたエピソードでした。
刀使ノ巫女 第23話「刹那の果て」
脚本:砂山蔵澄 絵コンテ・演出:筆坂明規 総作画監督:大田謙治
作画監督:大田謙治、正金寺直子、和田賢人、寿夢龍、水野隆宏、アニタス神戸、太田慎之介
完全復活したタギツヒメによって、現世と隠世の境界は消え去ろうとしている物語終盤、主人公可奈美たちは最後の決戦に望む。描かれる7対1の殺陣は、エンタメ的にもドラマ的にも、これまでの集大成。互いの個性を存分に発揮しつつ、補い合い活かし合う可奈美たちの連携は、積み上げられてきた関係性の為せる業だ。
しかし、タギツヒメが迅移によって隠世に移動することで、状況は変わっていく。迅移の段階が上がるにつれて、隠世における時間の流れは早くなり、戦いのステージは位相を変えていく。メインキャラクターたちの間に確かに存在する実力差によって、徐々に振り落とされるものたちが出てくるのだ。早い時間の流れに向かうタギツヒメを、可奈美たちが追いかけるにつれて、一人また一人とその人数を減らしていく。
本作において、追う者追われる者の構図は一貫して描かれており、それはどれだけ互いを知った気になっても、決して理解り合えない人と人との断絶を示すものである。しかし、理解り合えないからこそ、彼女たちは誰かの背中を追いかけるのを止めないのである。助けられておいて、犠牲になった者の望みを理解せず『後を追おうとする』高津学長の独りよがりはその裏返しか。
加速し続けるタギツヒメに、誰よりも迅移を極めた十条姫和がただ一人追い縋る。一度イチキシマヒメ≒荒魂との融合を果たした彼女が、タギツヒメの内なる孤独に気付いていた(≒理解していた)証左だ。折神紫の剣がタギツヒメに届いたのも、同じく彼女がタギツヒメと融合していたからだろう。
己に課せられた使命を果たすため、「一緒に帰ってくる」という約束を嘘にして、自分諸共タギツヒメを隠世の果てに送ろうとする姫和の耳に、追って来られるはずのない、よく響く声が届く。眼前に現れたのは、約束の相手である衞藤可奈美その人だ。
「頑張って姫和ちゃんを追いかけてきたんだよ!」
なにも今回だけの話ではない。可奈美は出会った時からずっと、どこか遠くを見ていて、途方もない重荷を抱えた、放っておくとどこまでも一人で突っ走ってしまう十条姫和という少女の背中を追いかけてきたのだ。
強者の孤独はタギツヒメを救う意志に変わり、次々と繰り出される技は出会ってきた刀使たちの生きた証となる。剣を交えることで相手の声に耳を傾け、ずっと対話を試み続けてきた可奈美は、ここでついに姫和の重荷を「半分持つ」ことに成功するのである。
衛藤可奈美が伸ばし続けてきた手がようやく届いた到達点として、終盤の傑作エピソード群からこの話数を選びました。
はねバド! #2「運動の後の肉は格別ッス!」
脚本:岸本卓 絵コンテ・演出:徳土大介 総作画監督:丸山修二
作画監督:佐野陽子、池田志乃
まだ本作の野心を信じていた序盤のエピソードから、いわゆるモブキャラに焦点を当てたこのエピソードを。
スランプに陥り苛立ちを周囲に撒き散らすなぎさと、バドミントンへの意欲をなくし無邪気の皮を被った怪物となった綾乃。どこにスマッシュを打ち込んでも返されてしまう焦燥から、なぎさはかつて自分が被っていた実力を「才能」の一言で切って捨てる理不尽を綾乃にぶつける。
スポーツにおける、勝敗が絶対の指標となる競技性と、楽しみやコミュニケーションを求める遊戯性とのアンビバレンツが、物語のテーマの一つであり、またなぎさのスランプの原因だったわけだけど、このエピソードでは主役2人を中心とした脇役未満を上手に掬い上げてみせたのが印象的。
綾乃となぎさを起点にした視線の連鎖の一番後ろ、才能ヒエラルキーの最下層にいる海老名悠の視点で以て、「帰り道に肉を食う」というワンアクションで才能がある者、才能がない者、バドミントンを続ける者、ドロップアウトした者、いずれも一様に青春を戦っている者たちとして同じ地平に立たせてしまう手並みが非常に鮮やかだった。
コンビニ横のベンチというシチュエーション作りに、原作を大幅に改変することでこんなアプローチが可能なのかと、感銘を受けたエピソードでした。
少女☆歌劇 レヴュースタァライト 第7話「大場なな」
脚本:樋口達人 絵コンテ:古川知宏 演出:塚本あかね
作画監督:河本零王、杉山有沙、櫂木沙織、清水海都、世良コータ、角谷知美、小池裕樹、錦見楽、谷紫織、小里明花、小栗寛子、林隆祥
パーソナルな部分にぶっ刺さった7話と8話、どちらを選ぶか迷ったのだけど、あの黄色い照明の眩しさが目に焼き付いて離れなかった。ブログで記事も書いてます。
同じ演目、同じスタッフ、同じキャストを揃えても、二度と同じ舞台は作れない。舞台歌劇というナマモノのただの1回に心奪われてしまった大場ななという少女の狂おしいほどの渇望が、あまりにも鮮烈。届いたはずなのに、まだ、眩しい。
統制されたレイアウトが、箱庭としての学園を強調し、それが大場ななの幼い母性によって形作られたものであることが分かる構成。再演を繰り返し続ける度に孤独を深めていく狂気の有り様には言い知れない不気味さを感じるが、それ以上に、いつか見たまぶしさに手を伸ばそうとする姿の空虚さに、強い共感を抱いてしまう自分がいた。
初めて見た景色、初めて触れた物語、初めて得た感動。
それらは一回こっきりのもので、いくら同じものを繰り返しても二度と触れることはできない。いくら過去の栄光に後ろ髪を引かれたって、あの日の眩しさを超えるには新しい光へ手を伸ばすしかない。しかし、その過程で生じるであろう痛みにまで目配せをする構成が、大場ななという少女のパーソナリティを如実に示していて、非常にエモーショナルなエピソードとなっていました。
ヤマノススメ サードシーズン 第10話「すれちがう季節」
脚本:ふでやすかずゆき 絵コンテ・演出:ちな 総作画監督:松尾祐輔 作画監督:今岡律之
エグいくらいに情感を切り取った空の色、殺意の籠もったレイアウトの数々、柔らかな線で心の動きをひとつも逃さない芝居作画の切れ味。すべてが自らの庇護下から離れていくあおいを見るひなたを表現するのに特化した回。
空白の使い方、間のとり方、カメラワークなどなど、駆使された技術によって先へ進んでいくあおいと、立ち止まってしまっていたひなたの対比が鮮烈なまでに描き出されていく。
かつての友達(クラスメイト)のことをすっかり忘れていて、そこからまた新たな関係を築き上げるという、あおいの一幕はあからさまにひなたとの再会を反復しており、だからこそ過去を引きずり続けるひなたの停滞が強調される。
自然と人工物、ふたつのモチーフを等価に扱い続けた本シリーズのひとつの到達点。表現の豊かさに圧倒されました。
僕のヒーローアカデミア第3期 第23話「デクVSかっちゃん2」
脚本:黒田洋介 絵コンテ:サトウシンジ 演出:阿部雅司、池野昭二 総作画監督:馬越嘉彦 作画監督:馬越嘉彦、佐倉みなみ、長谷部敦志
キャラクターに憑依しているとしか思えない、爆豪勝己役の岡本信彦氏が圧巻の演技を見せたエピソード。弱っちいのにしつこくて、卑屈なくせに上から目線で、何を考えているのか分からなくて気味が悪い、幼馴染のデクに対する巨大不明感情を爆発させ、爆豪はタイマン勝負を申し込む。
道路の中央線によって隔てられ、私闘の中でデクと爆豪はついては離れを繰り返す。それは一方的な言い合いや殴り合いでしか適わなかったふたりのコミュニケーションそのもので、しかしその中央線の先には同じ憧れであるオールマイトがいる、というシンプルな構図がバチバチに決まっていた。デクもオールマイトも、言動を見ていればなんとなく分かるように、真に爆豪を理解したわけではなく、放つ言葉はどこか的を外していて、だからこそ重なる一瞬が際立つ。画面分割されたデクと爆豪の目が合うカット、背中合わせで交わされる初めてのまともな会話。そのどれもが、少し大人になった少年たちの姿を切り取っていて、原作既読者としても満足のいく翻案になっていたと思います。
作画面でも見てもシリーズ随一の出来栄えで、立体的かつダイナミックなアクション作画は動線の流れが美しくて非常に見やすいし、爆豪の激情を切り取った芝居作画の上手さも光っていた。中でも白眉は、やはり中村豊パート。緑とオレンジ、交錯する二色の閃光が、追って追われての二人の関係性を表現していくのは、見事と言う他なかった。
やがて君になる 第2話「発熱/初恋申請」
脚本:花田十輝 絵コンテ:加藤誠、渡部周 演出:渡部周
総作画監督:合田浩章 作画監督:牧野竜一
画面に配置された十字架の数々。手を伸ばしても届かない光と、自ら望んで背負った影。
誰かを好きになったことがない小糸侑と、初めて誰かを好きなった七海燈子の、明暗を分けた最初のエピソード。
白眉はやはり踏切りのシーン。二人で踏切りを渡っているのに、小糸侑だけが境界線を越えられないでいる事を示す映像演出の巧みさ、遮断器によって時が止まり七海燈子の世界が色づくキスシーンの鮮明さ、共感からの一瞬の乖離を否応無しに分からせてくる。
そして未だ灰色の世界にいる小糸侑の、確認としてのスキンシップが、二人の間に生まれてしまった溝を白日の下に晒してしまった。しかしそれは、奇妙な共犯関係の始まりでもある。
「七海先輩(燈子)に勝手な期待を押し付けていた」小糸侑と佐伯先輩を、その言動で封じ込める七海燈子の「ズルさ」の反復が実に悪辣だった。
光と影の複雑怪奇なコントラストでサスペンスへのコペルニクス的転回を魅せた6話がシリーズ通しての傑作回としては強烈に印象に残っているけれど、私はやはり特別を知らない小糸侑が好きだったんだなと再確認する意味を込めて、最初に衝撃を受けたこの話数を選びました。
ゾンビランドサガ 第8話「GOGOネバーランドSAGA」
脚本:村越繁 絵コンテ・演出:石田貴史 総作画監督:桑原幹根
作画監督:桑原剛、細田沙織、かどともあき
笑いと泣きが渾然一体となった作劇、ゾンビでアイドルだから出来る事、ステージの上で表現される物語。本作の強みが存分に発揮された傑作回は7話、12話と他にもあれど、エピソード単体での完成度という意味ではこの回が一番でしょう。
ゾンビとなった星川リリィは、アイドル活動のなかで生前の肉親と再会するが、そこで提示されるのは、生者と死者はたとえ目の前にいても触れ合えないという、作品が敷いた絶対のルール。互いに思いあっても、もう二度と『会う』ことは出来ないのか? そんな命題へに対し、出した答えが非常に真摯かつスマート。
パピィは生前の息子・まさおの面影をフランシュシュ6号に見る。リリィもそれを理解し、だからこそ「彼女」はステージの上で魔法を掛けてみせるのだ。紛れもない星川リリィ=剛まさお本人としての、溢れんばかりの想いを綴った歌をフランシュシュ6号としてファンたちに向けた体で歌う。その姿を見てパピィは、生き返るはずのない息子からのメッセージを幻視するのだ。
アイドルとは偶像。パピィがステージの上に観た幻想は、リリィが見せたかった永遠の自分だ。越えてはならないステージと客席の境界を、彼岸と此岸に見立てて、ライブやテレビといった夢の中でだけ出会える幻として、リリィはパピィにひっそりと大好きと別れを告げる。
歩み寄り、大地を踏みしめ、思いの丈を歌い、そして後ずさっていく。ゾンビだからこそ生まれ得た、純化したアイドル像を提示した圧巻のエピソード。今年度ベストです。
SSSS.GRIDMAN 第9回「夢・想」
脚本:長谷川圭一 絵コンテ:五十嵐海 演出:金子祥之
作画監督:五十嵐海、坂本勝
本作のメタフィクション性が存分に発揮された話数。
新たな怪獣によって、深い眠りに落とされてしまったグリッドマン同盟の3人。しかし、夏の太陽がギラつく彼らの夢を通して描かれるのはむしろ、夢を見せる側である新条アカネの内面である。
誰からも愛され、誰も自分の不興を買わない世界。ひとつの世界の神になってさえ、実現できない理想を、アカネは3人の夢で実現しようとする。理想の出会いをやり直し、理想の関係を作るため、アカネは都合の良い夢を見せ、甘い囁きで誘惑する。
しかし何不自由のない夢を見る3人は、どこか違和感を拭いきれないでいる。裕太にとって関わりのなかった問川の墓石がトリガーになるのが素晴らしく、居心地の良い世界に耽溺して忘れてしまっていた「喪失」の痛みが、現実にはあるのだ。内海にとっての『友達』もまさにそうで、都合の良くない、傷つけ合ったり触れられなかったりする関係性を、これまでの物語の中でグリッドマン同盟の3人は築いてきた。だから、「ここには俺の友達がいない」のだ。
夢だから覚めるのだと裕太は言う。
ずっと夢を見ていたいんだとアカネは言う。
夢でも届かないのではなく、きっと、夢だから永遠に届かないのだ。
グリッドマン同盟の目的が、夢を見続けるがゆえに救われないアカネを目覚めさせるという形に定まる、二重三重の構成美。
作中 最大のターニングポイントであるエピソードを、崩し気味な人物作画や先鋭的なレイアウト、ビビッドなグラデーションで白昼夢のような画面に演出した、非常に見応えのある回でした。
おまけ
DEVILMAN crybaby Ⅸ「地獄へ堕ちろ、人間ども」
脚本:大河内一楼 絵コンテ:湯浅政明 演出・作画監督:小島崇史
レギュレーションに適さないため選外となったこの話数も、間違いなく今年ベスト級。
SNSを通じて爆発的に感染する人間不信からの魔女狩り展開は、あまりにも救いがなく、掲げられた美樹の五体と生首は仄暗いエロスに満ちている。
しかしそれでも、次の走者へバトンを渡そうと手を伸ばす意味こそが、本作における翻案の軸であることもまた示されているのだ。演出と一人原画を努めた小島崇史というアニメーターは、芝居もアクションもこなせる人ではあるが、輪るピングドラム第20話における作画パートで氏を知った私にとっては、やはり「走り作画」の人なのだ。
たとえ無駄になったとしても、死の間際まで走り続けた美樹の姿を描かれた事に、特別な感慨を抱いてしまうのはそういう理由で、だからこそ絶望的なエピソードからも素直に希望の萌芽を感じることができたのだと思います。
企画元は新米小僧の見習日記様。
いつもありがとうございます。
ルール
・2018年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。
ゆるキャン△ 第5話「二つのキャンプ、二人の景色」
脚本:伊藤睦美 絵コンテ:京極義昭 演出:鎌仲史陽
作画監督:大島美和、堤谷典子
野クルのグルキャン。リンのソロキャン。
並行して描かれる二つのキャンプ。「みんなとするキャンプが楽しい」「ひとりでもキャンプは楽しい」。異なる価値観、異なるペース、異なる楽しみ。そういったものを互いに尊重し、電波を通じた緩やかなつながりで、それぞれが得た大小様々な感動をささやかに共有する。本作の根幹にある、現代的なコミュニケーションと人間関係の在り方を、優しさと暖かさを以て提示した、象徴的な回。
中でもやはりなでしことリンの関係性が尊くて、軽いメッセージのやり取りから、寒くて暗い中、自分がいる場所から見える景色を見せてあげたいという積極的な想いがある。互いが見える景色は確かに違っても、その想いは同じだから、二人の景色は空間を越えてまるで一つになったように見える。きっと、そらでつながっている。
『同じ空の下』というあまりにもベタなメッセージがスッと入ってくるような、素敵なエピソードでした。
宇宙よりも遠い場所 STAGE06「ようこそドリアンショーへ」
脚本:花田十輝 絵コンテ:清水健一 演出:ながはまのりひこ
作画監督:小山知洋
5話を選ぶつもりで見返そうと録画を辿っていたら、なぜか6話を再生している自分がいた。
完全にその時の気分の問題ですが、まあこの作品は全話ベスト級みたいな所があるので不足はないでしょう。
ついに始まった南極への旅。その中継点であるシンガポールで、他人と一緒にいる事への負い目がまだ残っている日向に焦点を当てる回。道中、彼女はパスポートと紛失し、旅の途中離脱を申し出る。
すっかり仲良くなった4人組の旅が賑やかに楽しく描かれていればこそ、「そこにいる資格」としてのパスポートを失った日向の動揺は計り知れない。旅をするには許可証が必要で、他人と一緒にいるのが苦手な自分にはそれがないのだと。
そんな日向の逡巡に正面から右ストレートを叩き込むのは、やはりこの女、小淵沢報瀬。身勝手を誠実にぶつける報瀬の言葉は、花澤香菜の熱演と花田十輝氏の台詞回しが化学反応を起こして強烈なパワーを発揮する。報瀬は4人で行くためのチケットを自らの情熱の結晶であるしゃくまんえんで手に入れる。日向がそこにいる資格を、何よりも明確に示したのだ。
そしてそこから全てを台無しにしていくのもまた、小淵沢報瀬という女なのである。自分の鞄の中にしまい込まれていた日向のパスポートを見つけた報瀬のリアクションはもう笑うしかないのだが、その経緯として挟まれる回想シーンこそがこのエピソードの白眉。
解けた日向の靴紐は、対人関係に負い目を感じる原因たる陸上部での過去のメタファーであり、それを結び直すために報瀬にパスポートを預けるのである。無意識の信頼を示す寓意に富んだ一幕を、クソみたいなオチに使ってしまう大胆さには脱帽するしかない。斯くして日向の青くも切実な悩みは、ドリアンショーによって笑い話として昇華されるのである。
5話からの振り幅の大きさ、変幻自在の語り口にすっかり驚かされたエピソードでした。
刀使ノ巫女 第23話「刹那の果て」
脚本:砂山蔵澄 絵コンテ・演出:筆坂明規 総作画監督:大田謙治
作画監督:大田謙治、正金寺直子、和田賢人、寿夢龍、水野隆宏、アニタス神戸、太田慎之介
完全復活したタギツヒメによって、現世と隠世の境界は消え去ろうとしている物語終盤、主人公可奈美たちは最後の決戦に望む。描かれる7対1の殺陣は、エンタメ的にもドラマ的にも、これまでの集大成。互いの個性を存分に発揮しつつ、補い合い活かし合う可奈美たちの連携は、積み上げられてきた関係性の為せる業だ。
しかし、タギツヒメが迅移によって隠世に移動することで、状況は変わっていく。迅移の段階が上がるにつれて、隠世における時間の流れは早くなり、戦いのステージは位相を変えていく。メインキャラクターたちの間に確かに存在する実力差によって、徐々に振り落とされるものたちが出てくるのだ。早い時間の流れに向かうタギツヒメを、可奈美たちが追いかけるにつれて、一人また一人とその人数を減らしていく。
本作において、追う者追われる者の構図は一貫して描かれており、それはどれだけ互いを知った気になっても、決して理解り合えない人と人との断絶を示すものである。しかし、理解り合えないからこそ、彼女たちは誰かの背中を追いかけるのを止めないのである。助けられておいて、犠牲になった者の望みを理解せず『後を追おうとする』高津学長の独りよがりはその裏返しか。
加速し続けるタギツヒメに、誰よりも迅移を極めた十条姫和がただ一人追い縋る。一度イチキシマヒメ≒荒魂との融合を果たした彼女が、タギツヒメの内なる孤独に気付いていた(≒理解していた)証左だ。折神紫の剣がタギツヒメに届いたのも、同じく彼女がタギツヒメと融合していたからだろう。
己に課せられた使命を果たすため、「一緒に帰ってくる」という約束を嘘にして、自分諸共タギツヒメを隠世の果てに送ろうとする姫和の耳に、追って来られるはずのない、よく響く声が届く。眼前に現れたのは、約束の相手である衞藤可奈美その人だ。
「頑張って姫和ちゃんを追いかけてきたんだよ!」
なにも今回だけの話ではない。可奈美は出会った時からずっと、どこか遠くを見ていて、途方もない重荷を抱えた、放っておくとどこまでも一人で突っ走ってしまう十条姫和という少女の背中を追いかけてきたのだ。
強者の孤独はタギツヒメを救う意志に変わり、次々と繰り出される技は出会ってきた刀使たちの生きた証となる。剣を交えることで相手の声に耳を傾け、ずっと対話を試み続けてきた可奈美は、ここでついに姫和の重荷を「半分持つ」ことに成功するのである。
衛藤可奈美が伸ばし続けてきた手がようやく届いた到達点として、終盤の傑作エピソード群からこの話数を選びました。
はねバド! #2「運動の後の肉は格別ッス!」
脚本:岸本卓 絵コンテ・演出:徳土大介 総作画監督:丸山修二
作画監督:佐野陽子、池田志乃
まだ本作の野心を信じていた序盤のエピソードから、いわゆるモブキャラに焦点を当てたこのエピソードを。
スランプに陥り苛立ちを周囲に撒き散らすなぎさと、バドミントンへの意欲をなくし無邪気の皮を被った怪物となった綾乃。どこにスマッシュを打ち込んでも返されてしまう焦燥から、なぎさはかつて自分が被っていた実力を「才能」の一言で切って捨てる理不尽を綾乃にぶつける。
スポーツにおける、勝敗が絶対の指標となる競技性と、楽しみやコミュニケーションを求める遊戯性とのアンビバレンツが、物語のテーマの一つであり、またなぎさのスランプの原因だったわけだけど、このエピソードでは主役2人を中心とした脇役未満を上手に掬い上げてみせたのが印象的。
綾乃となぎさを起点にした視線の連鎖の一番後ろ、才能ヒエラルキーの最下層にいる海老名悠の視点で以て、「帰り道に肉を食う」というワンアクションで才能がある者、才能がない者、バドミントンを続ける者、ドロップアウトした者、いずれも一様に青春を戦っている者たちとして同じ地平に立たせてしまう手並みが非常に鮮やかだった。
コンビニ横のベンチというシチュエーション作りに、原作を大幅に改変することでこんなアプローチが可能なのかと、感銘を受けたエピソードでした。
少女☆歌劇 レヴュースタァライト 第7話「大場なな」
脚本:樋口達人 絵コンテ:古川知宏 演出:塚本あかね
作画監督:河本零王、杉山有沙、櫂木沙織、清水海都、世良コータ、角谷知美、小池裕樹、錦見楽、谷紫織、小里明花、小栗寛子、林隆祥
パーソナルな部分にぶっ刺さった7話と8話、どちらを選ぶか迷ったのだけど、あの黄色い照明の眩しさが目に焼き付いて離れなかった。ブログで記事も書いてます。
同じ演目、同じスタッフ、同じキャストを揃えても、二度と同じ舞台は作れない。舞台歌劇というナマモノのただの1回に心奪われてしまった大場ななという少女の狂おしいほどの渇望が、あまりにも鮮烈。届いたはずなのに、まだ、眩しい。
統制されたレイアウトが、箱庭としての学園を強調し、それが大場ななの幼い母性によって形作られたものであることが分かる構成。再演を繰り返し続ける度に孤独を深めていく狂気の有り様には言い知れない不気味さを感じるが、それ以上に、いつか見たまぶしさに手を伸ばそうとする姿の空虚さに、強い共感を抱いてしまう自分がいた。
初めて見た景色、初めて触れた物語、初めて得た感動。
それらは一回こっきりのもので、いくら同じものを繰り返しても二度と触れることはできない。いくら過去の栄光に後ろ髪を引かれたって、あの日の眩しさを超えるには新しい光へ手を伸ばすしかない。しかし、その過程で生じるであろう痛みにまで目配せをする構成が、大場ななという少女のパーソナリティを如実に示していて、非常にエモーショナルなエピソードとなっていました。
ヤマノススメ サードシーズン 第10話「すれちがう季節」
脚本:ふでやすかずゆき 絵コンテ・演出:ちな 総作画監督:松尾祐輔 作画監督:今岡律之
エグいくらいに情感を切り取った空の色、殺意の籠もったレイアウトの数々、柔らかな線で心の動きをひとつも逃さない芝居作画の切れ味。すべてが自らの庇護下から離れていくあおいを見るひなたを表現するのに特化した回。
空白の使い方、間のとり方、カメラワークなどなど、駆使された技術によって先へ進んでいくあおいと、立ち止まってしまっていたひなたの対比が鮮烈なまでに描き出されていく。
かつての友達(クラスメイト)のことをすっかり忘れていて、そこからまた新たな関係を築き上げるという、あおいの一幕はあからさまにひなたとの再会を反復しており、だからこそ過去を引きずり続けるひなたの停滞が強調される。
自然と人工物、ふたつのモチーフを等価に扱い続けた本シリーズのひとつの到達点。表現の豊かさに圧倒されました。
僕のヒーローアカデミア第3期 第23話「デクVSかっちゃん2」
脚本:黒田洋介 絵コンテ:サトウシンジ 演出:阿部雅司、池野昭二 総作画監督:馬越嘉彦 作画監督:馬越嘉彦、佐倉みなみ、長谷部敦志
キャラクターに憑依しているとしか思えない、爆豪勝己役の岡本信彦氏が圧巻の演技を見せたエピソード。弱っちいのにしつこくて、卑屈なくせに上から目線で、何を考えているのか分からなくて気味が悪い、幼馴染のデクに対する巨大不明感情を爆発させ、爆豪はタイマン勝負を申し込む。
道路の中央線によって隔てられ、私闘の中でデクと爆豪はついては離れを繰り返す。それは一方的な言い合いや殴り合いでしか適わなかったふたりのコミュニケーションそのもので、しかしその中央線の先には同じ憧れであるオールマイトがいる、というシンプルな構図がバチバチに決まっていた。デクもオールマイトも、言動を見ていればなんとなく分かるように、真に爆豪を理解したわけではなく、放つ言葉はどこか的を外していて、だからこそ重なる一瞬が際立つ。画面分割されたデクと爆豪の目が合うカット、背中合わせで交わされる初めてのまともな会話。そのどれもが、少し大人になった少年たちの姿を切り取っていて、原作既読者としても満足のいく翻案になっていたと思います。
作画面でも見てもシリーズ随一の出来栄えで、立体的かつダイナミックなアクション作画は動線の流れが美しくて非常に見やすいし、爆豪の激情を切り取った芝居作画の上手さも光っていた。中でも白眉は、やはり中村豊パート。緑とオレンジ、交錯する二色の閃光が、追って追われての二人の関係性を表現していくのは、見事と言う他なかった。
やがて君になる 第2話「発熱/初恋申請」
脚本:花田十輝 絵コンテ:加藤誠、渡部周 演出:渡部周
総作画監督:合田浩章 作画監督:牧野竜一
画面に配置された十字架の数々。手を伸ばしても届かない光と、自ら望んで背負った影。
誰かを好きになったことがない小糸侑と、初めて誰かを好きなった七海燈子の、明暗を分けた最初のエピソード。
白眉はやはり踏切りのシーン。二人で踏切りを渡っているのに、小糸侑だけが境界線を越えられないでいる事を示す映像演出の巧みさ、遮断器によって時が止まり七海燈子の世界が色づくキスシーンの鮮明さ、共感からの一瞬の乖離を否応無しに分からせてくる。
そして未だ灰色の世界にいる小糸侑の、確認としてのスキンシップが、二人の間に生まれてしまった溝を白日の下に晒してしまった。しかしそれは、奇妙な共犯関係の始まりでもある。
「七海先輩(燈子)に勝手な期待を押し付けていた」小糸侑と佐伯先輩を、その言動で封じ込める七海燈子の「ズルさ」の反復が実に悪辣だった。
光と影の複雑怪奇なコントラストでサスペンスへのコペルニクス的転回を魅せた6話がシリーズ通しての傑作回としては強烈に印象に残っているけれど、私はやはり特別を知らない小糸侑が好きだったんだなと再確認する意味を込めて、最初に衝撃を受けたこの話数を選びました。
ゾンビランドサガ 第8話「GOGOネバーランドSAGA」
脚本:村越繁 絵コンテ・演出:石田貴史 総作画監督:桑原幹根
作画監督:桑原剛、細田沙織、かどともあき
笑いと泣きが渾然一体となった作劇、ゾンビでアイドルだから出来る事、ステージの上で表現される物語。本作の強みが存分に発揮された傑作回は7話、12話と他にもあれど、エピソード単体での完成度という意味ではこの回が一番でしょう。
ゾンビとなった星川リリィは、アイドル活動のなかで生前の肉親と再会するが、そこで提示されるのは、生者と死者はたとえ目の前にいても触れ合えないという、作品が敷いた絶対のルール。互いに思いあっても、もう二度と『会う』ことは出来ないのか? そんな命題へに対し、出した答えが非常に真摯かつスマート。
パピィは生前の息子・まさおの面影をフランシュシュ6号に見る。リリィもそれを理解し、だからこそ「彼女」はステージの上で魔法を掛けてみせるのだ。紛れもない星川リリィ=剛まさお本人としての、溢れんばかりの想いを綴った歌をフランシュシュ6号としてファンたちに向けた体で歌う。その姿を見てパピィは、生き返るはずのない息子からのメッセージを幻視するのだ。
アイドルとは偶像。パピィがステージの上に観た幻想は、リリィが見せたかった永遠の自分だ。越えてはならないステージと客席の境界を、彼岸と此岸に見立てて、ライブやテレビといった夢の中でだけ出会える幻として、リリィはパピィにひっそりと大好きと別れを告げる。
歩み寄り、大地を踏みしめ、思いの丈を歌い、そして後ずさっていく。ゾンビだからこそ生まれ得た、純化したアイドル像を提示した圧巻のエピソード。今年度ベストです。
SSSS.GRIDMAN 第9回「夢・想」
脚本:長谷川圭一 絵コンテ:五十嵐海 演出:金子祥之
作画監督:五十嵐海、坂本勝
本作のメタフィクション性が存分に発揮された話数。
新たな怪獣によって、深い眠りに落とされてしまったグリッドマン同盟の3人。しかし、夏の太陽がギラつく彼らの夢を通して描かれるのはむしろ、夢を見せる側である新条アカネの内面である。
誰からも愛され、誰も自分の不興を買わない世界。ひとつの世界の神になってさえ、実現できない理想を、アカネは3人の夢で実現しようとする。理想の出会いをやり直し、理想の関係を作るため、アカネは都合の良い夢を見せ、甘い囁きで誘惑する。
しかし何不自由のない夢を見る3人は、どこか違和感を拭いきれないでいる。裕太にとって関わりのなかった問川の墓石がトリガーになるのが素晴らしく、居心地の良い世界に耽溺して忘れてしまっていた「喪失」の痛みが、現実にはあるのだ。内海にとっての『友達』もまさにそうで、都合の良くない、傷つけ合ったり触れられなかったりする関係性を、これまでの物語の中でグリッドマン同盟の3人は築いてきた。だから、「ここには俺の友達がいない」のだ。
夢だから覚めるのだと裕太は言う。
ずっと夢を見ていたいんだとアカネは言う。
夢でも届かないのではなく、きっと、夢だから永遠に届かないのだ。
グリッドマン同盟の目的が、夢を見続けるがゆえに救われないアカネを目覚めさせるという形に定まる、二重三重の構成美。
作中 最大のターニングポイントであるエピソードを、崩し気味な人物作画や先鋭的なレイアウト、ビビッドなグラデーションで白昼夢のような画面に演出した、非常に見応えのある回でした。
おまけ
DEVILMAN crybaby Ⅸ「地獄へ堕ちろ、人間ども」
脚本:大河内一楼 絵コンテ:湯浅政明 演出・作画監督:小島崇史
レギュレーションに適さないため選外となったこの話数も、間違いなく今年ベスト級。
SNSを通じて爆発的に感染する人間不信からの魔女狩り展開は、あまりにも救いがなく、掲げられた美樹の五体と生首は仄暗いエロスに満ちている。
しかしそれでも、次の走者へバトンを渡そうと手を伸ばす意味こそが、本作における翻案の軸であることもまた示されているのだ。演出と一人原画を努めた小島崇史というアニメーターは、芝居もアクションもこなせる人ではあるが、輪るピングドラム第20話における作画パートで氏を知った私にとっては、やはり「走り作画」の人なのだ。
たとえ無駄になったとしても、死の間際まで走り続けた美樹の姿を描かれた事に、特別な感慨を抱いてしまうのはそういう理由で、だからこそ絶望的なエピソードからも素直に希望の萌芽を感じることができたのだと思います。
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