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映画クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者 感想

 おまえはオラの友達で、救いのヒーローなんだ。


 本郷みつる原恵一水島努の黄金期、それを引きずって迷走し続けた中期を経て、近年の劇場版クレヨンしんちゃん(以下劇しん)は様々なチャレンジ精神を発揮し散発的に良作が見られる様になってきた。
 そんな中で現れたこの作品は、京極尚彦という演出力も狂気も足りてる監督を筆頭に、実写畑の脚本家である高田亮、近年のクレしんでセンスのあるアートワークを見せてきた久野遥子をコンセプトデザインに起用するなど、かなり攻めた布陣。一部の好評を受け、ファミリーに混じって足を運んだ劇場内で、予想を遥かに超えた衝撃を受けたので、これは記録しておかねばと筆を取った次第です。本気で『勝ち』に来てたし、めちゃくちゃ面白かった。
 クレヨンしんちゃんをオタクとしての原点に据えている自分としては、個人的な思い入れもあり、完全に涙腺が破壊された状態で帰路につく羽目になりました。

 
 まず一番に驚いたのは、社会的なメッセージ性の強さ。
 これまでも風刺描写を含む作品がないわけではなかったけれど、ここまで露骨なのはさすがに初めてだと思う。
 設定レベルでかなりエグくて、子どもたちの想像力あるいは創造力を吸い上げて大きくなっていくラクガキングダムという国が、エネルギー不足に陥って強制的に源であるラクガキを子どもたちに描かせるため春日部を襲う、という筋書き。
 子どもたちの自由を制限しておきながら、「子どもたちの自由な発想」を標榜し、求める大人たちの構図は現代日本社会に広く見られるものだ。劇中でマサオくんはラクガキングダムに落書きを強要され、意気揚々と自身が最も好きな漫画キャラクター・吹雪丸のイラストを描くが、「これは求める落書きではない」と恫喝される。不条理甚だしい話ではるが、大人が求める「自由」は自由という意味ではなく、彼らが想定する枠組みの中で、という話なのである。
 たとえば読書感想文という多分今も存在する学校での定番の宿題(まだあるよね?)があるが、これもまた感想という本来個々人の自由な気持ちを指すものが、大人が期待するフォーマットが存在する。その事を大人が思うより賢い子どもたちも気付いていて、「感動した」「自分もこのようになりたいと思った」などのお決まりの文句を主軸にして、先生の関心を得ようとする。というか私それで小学生の頃なんか賞とりました。
 社会は子どもたちを希望の象徴に仕立て、その成長と未来を願うキャッチコピーやメッセージを溢れさせているが、実際に社会が進んでる方向はほとんど真逆である。機会不平等や教育費負担の増大、奨学金制度や就活制度。先細りのレールで競争をさせられてるのが現状であり、美辞麗句による欺瞞の中を子どもたちは生きている。これ本当にクレしんの話か?
 子どもたちの自由な発想を養分に成長するラクガキングダムは現代社会のメタファーで、それを無茶なやり方で搾取しているから国が崩壊していく。
 それに対するカウンターとして機能するのもまた落書きで、実際にストリートアートが社会問題を訴えるプロテスト活動としても行われていたりする。春日部市民に落書きを求めるユウマくんや姫、かすかべ防衛隊の面々の姿は、まさにそういった政治活動を思わせる。ここで難しいのは、結局人々に落書きを強要しているかのように映ってしまうことで、あくまで呼びかけてるだけで強制ではない、という反論も出来るのだけど、実際そういう空気になってしまえば「お願い」は半ば強制力を発揮してしまうのも確か。しかし政治や社会問題について大多数の人々は無関心気取りで、そういう層を動かさないとどうにもならないのが現実なので、用いる手段としてはそれしかないんだよな~。
 そこでユウマくんが発破をかける形でアジテートする運びになるのが上手い。「子どもにばっか負債残して押し付けて、大人なにやってんだ!」というメッセージ性が切実性を持ちつつ、責任感や義務感で動く大人と正義感や衝動で動く子ども、という形で自発性を担保することに成功した。多分、それなりに。大人の描写は確かに偏ってるとは思うものの、子どもたちの物語としては個人的には許容できるリアリティライン。本作で一番のファンタジーは、防衛大臣が心の底から国を思ってやった、ということだと思うの……。
 アナログからデジタルへ変わっただけで、実際は今も子どもたちの想像力の象徴である自由な落書きはちゃんと存在するから未来はつながれた、というオチもまた示唆的で、天上の王族が下々の世界に降りることで、在り方の変わった生活の実態を知り、認知がアップデートされて国家運営が正常化する、という構図なんですよね。これ本当にクレしんの話か?


 さて、本作が凄いのは、ここまで語った社会風刺としての本作の側面から、物語の主人公である野原しんのすけがほとんど無関係すなわち自由である、という事実。「子どもの自由な想像力」そのものをしんのすけが誰よりも何よりも体現しているからこそ、この物語は強固な説得力を得るのだ。
 しんのすけ、マジでラクガキングダム側の物語とほぼ無関係を貫いているんですよ。彼は何よりも自由だから、そちら側の物語には引っ張られない、と言った方が正確か。あれだけ多様なデザインの敵キャラクター(「敵」という認識も観る側の型にはまった固定観念でしかない)ともほとんどやり合わないし、重要人物であるはずの姫とも全く言葉を交わさない、さらに言えば英雄扱いから一転戦犯扱いにされ大人たちの非難を受ける当事者なのに矢面にも立たない。それらの役割を果たすのは、もっぱら裏主人公と言っても過言ではないユウマくんだ。この映画はしんのすけとユウマくん、二人の主人公を以て初めて成立したと言える。

 宮廷画家から強引にミラクルクレヨンを託されたしんのすけは、しかし王国や春日部の未来を背負ったりはしない。自由な創造力によって産み出されたラクガキたちを愉快な仲間たちとして、マイペースに自分の冒険を始める。
 劇しんといえばロードムービー、ここでしんのすけたちが旅を通じて心の交流を果たしていく様を描いてくれたのが往年のファンとしては嬉しくてしょうがなかった。背景美術も良かったし、帰ってきたぶりぶりざえもんとしんのすけが仲良くチャンバラごっこしていたのも、ななこ(あえてニセとは言うまい)は見た目や設定もあからさまに記号的なキャラクターなのに、びわの下りで人間味を感じさせてくるのがニクい。ブリーフくんは損するタイプだけどそれ以上にボロクソにされるぶりぶりざえもんがいるのであんまり被害受けないし、一番最後に手を伸ばされる立ち位置であるのを示すのも良いんだよな。それがクライマックスにも繋がる。
 こういう描写ひとつひとつが短い尺ながらも彼らが仲間であり友達でもある事をスッと飲み込ませてくれるわけですね。正直この辺で既に泣きそうでしたが、ななこに皆が掴まって走る際に彼らが一つの影になるカットで堪えきれなくなりました。
 正直ユウマくんはもうちょっと早く合流させてあげて欲しかったという感覚はなくもない。

 さて、ななこおねえさんを救うため、あるいはユウマくんママの無事を確かめるため、ラクガキングダムに占拠された春日部へ突入する彼ら。日常から非日常へ。現実から地続きの場所に異界が広がっている独特の感覚もまた、劇しんに欠かせなかった要素でありますが、その演出のために監修まで入れて自衛隊を描写してくるのは温泉わくわく大決戦のオマージュにしても贅沢に思える。
 ミラクルクレヨンでとりあえず目に付いた人々をお助けしていくしんのすけ。目の前に困っている人がいるから助ける。本当にそれだけなのに、助けられた側からすればまるで救世主に見える。この認識のギャップがミソでもある。
 ただの善意に、人々は便乗して責任と義務を勝手に付与していく。その振る舞いに潔癖さと清廉さを求め、一度そこから外れれば応援する声は容易に糾弾へと変わる。一個の人格の都合の良いキャラクター化が、大衆の醜悪でさえある浅薄さをあぶり出してしまうことを否定できないのは、つい先日Twitter上でも某プロテニス選手周りの出来事で目の当たりにしたからですね。
 しんのすけはただちょっと嵐を呼ぶだけの幼稚園児で、勝手に押し付けられた使命を果たす責任もなければ春日部を救う義務もない。それでも、人々の勝手な自己同一化のターゲットになった人物は、容易にその人格を無視されてしまう。
 それに対する回答として、ぶりぶりざえもんも配置したのがもう本当に最高で限界になるしかないわけですが、奴は本当に責任や義務とはしんのすけ以上に無縁で、卑怯で臆病でその癖プライドだけはいっちょ前のブタなんだけど、それでもしんのすけが込めた『救いのヒーロー』という願いが根底にあるから、自分の欲望を最後の最後で投げ出して、目の前の誰かに手を差し伸べるんですね。ユウマくんにミラクルクレヨンを渡し自らは囮になる、その彼の活躍は全然劇的でもカッコよくもない。だからこそ、英雄的では決してなく小市民的であるからこそ、誰にでも持ち得る勇気の在り方を示してくれる。
 ななこも、ブリーフくんも、ぶりぶりざえもんも。決して世界のために自分を犠牲にしたわけでなく、ただ仲間を助けるための個人的な理由でその身を差し出した。しかしそんな小さな勇気の積み重ねこそが、英雄不在の物語でも世界を変えていく力となるのだ。

 しんのすけが描く、春日部という町そのものをキャンバスにした大きな大きな絵。一人では到底描ききれないその絵を完成させるため、人々が次々と手を加えていく圧巻のクライマックス。近年様々な意欲を見せてきた劇しんに決定的に足りていなかった、劇場を満たす映像のパワー。それが、長い歴史の中でも屈指のクオリティを以って描かれたことが、まず何よりも嬉しかった。
 シンエイ動画のお家芸である背景動画に、京極尚彦監督がキャリアの中で培ったミュージカル演出、懐かしの面々も顔を出し春日部オールスターが躍動する多幸感、そして『線を引いて絵を描く』というただそれだけでメタ・アニメーションとなる芝居性。それら全てが完璧に融合して熱狂的なまでのフィルムに仕上がっていた。そこに至るまでの展開もあるけど、完全に圧倒されてマスクの中が涙と鼻水で悲惨なことになりました。
 そしてブリーフくんを最後のピースに、完成した地上絵。顕現するのは、もちろん我らがぶりぶりざえもん! 分かってても泣くわこんなん!
 ウテナさながらに落ちてくる逆さまの城を押し上げる構図は、当然ながらブタのヒヅメのオマージュでもありますが(ついでに言えばラクガキを映して語りで終わるのも一緒)、百回くらい言われているようにあの時はしんのすけにだけ見えた幻だったのが、今回はその場の全員が目にした奇跡として描かれたという違いがある。
 この差に何を見出すか、解釈は分かれると思うけど、私はここにこそ、この作品が描いた『救いのヒーロー』というテーマの肝があると考える。

 春日部市民やラクガキングダムの民にとって、ぶりぶりざえもんは所謂デウス・エクス・マキナであり、規模は違えど認識としてはしんのすけたちを救世主とした事と大差はない。しかし、春日部を救ってくれたからぶりぶりざえもんはヒーローであるわけではないのだ。役立たずのブタだった時からぶりぶりざえもんは『救いのヒーロー』だった事を、しんのすけは知っている。だからこそ、あの場で必要な存在の象徴として、しんのすけは再びアイツを描こうと走り出したのだ。
 春日部を救ったのはぶりぶりざえもんではなく、社会のために些細なことでも何かしようとその手を伸ばした市民の僅かな勇気や善意、あるいは意地でも何でもいいいが、とにかく一人ひとりの自発的な意志が集まった、その結果だ。しかし、その事に彼らは多分、気付かない。何か大きな力が働いて、自分たちを助けてくれたと思い込む。そこに当然、個への感謝は起こり得ない。
 ただしんのすけだけが、『救いのヒーロー』の本当の姿を認識しているから、救い料ひゃくおく円を空に浮かべるのだ。

 ラクガキという、ただの絵、ただの記号。たとえばそれを、社会において安易にアイコン化され、消費されていく誰かのメタファーとする。
 けれどしんのすけにとっては、彼らはただのラクガキなんかじゃない。冒険を共にした友達で、自分を助けてくれた救いのヒーローたちだ。そしてただ一人、ユウマくんだけがその事を共有している。あの日あの時あの場所にいたたヘンテコな連中が、救いのヒーローだったことを、ユウマくんも知っている。そして、自分もまた確かにその一員だったことを、しんのすけが残したラクガキを見て知るのだ。
 誰もが誰かのヒーローになれるのなら、自分だって誰かのヒーローになっているのかもしれない。それはほんの些細な勇気があればいつでも誰でも成し得る事で、次の人へ次の人へと、その意志が伝播していけばきっと社会を良い方向へ変えていけるのだと、この作品が示した希望はそういう形だったのではないか。
 大きな何かを成し遂げる英雄じゃない、小さな勇気を示す者としての『勇者』を、少年たちの心に残る思い出として描ききったことで、強烈な社会風刺を挟みながらも子どもたちのための活劇として本作は完成されたように思う。黄金期に勝るとも劣らない大ケッ作でした。来年もまた新しい挑戦をする気満々だし、マジで確変くるかもしれんぞ!


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Comment

No title

どもです。
映画未視聴で恐縮ですが、感想がとても素敵で見入ってしまいました。
現実と照応して提示される示される構図や希望にひとつひとつ頷いてしまうというか。
良いものを読ませてもらいました、ありがとうございます。

Re: No title

はにわさん!コメントありがとうございます。

個人的な思い入れが強過ぎて正直どこまで冷静に観られたかは定かではありませんが、とても熱量のある作品だったので、是非視聴してみてください。
最近ラブライブを観られていたと思いますが、京極監督がその経験を存分に活かしたであろうシーンもあったりで、クレしんに明るくなくてもオススメです。
劇場で体感するのが一番ですが、レンタルショップに並んだ時にでも手を取っていただければ幸いです。

> どもです。
> 映画未視聴で恐縮ですが、感想がとても素敵で見入ってしまいました。
> 現実と照応して提示される示される構図や希望にひとつひとつ頷いてしまうというか。
> 良いものを読ませてもらいました、ありがとうございます。

No title

こんにちは、せっかくなので見てきました。
改めて拝読すると、ラストのぶりぶりざえもんの意義やそれをしんのすけとユウマが共有していることの尊さが感じられます。
ラクガキをアイコン化されるもののメタファーとして見るところも、自分でまとめてみた部分と並べてみて面白いなと。普段はあまりスタッフに注目しない方なので、ラブライブの京極監督作品なのを事前に教えてもらえたのも助かりました。

おかげさまで良い機会をもらいました、ありがとうございました。

Re: No title

>はにわさん

コメントありがとうございます。まさか本当に観てくださるとは! 自分のことのように嬉しいです。

自分の生を貫き全うすることがラクガキである彼らの矜持であり、それが人生であるというのも熱い視点ですね。
その文脈からすると、ぶりぶりざえもんというラクガキはやはりしんのすけが空に投げたひゃくおくまんえんで完成する、ということで、またこみ上げるものが……。

劇しんシリーズは、特に初期の黄金期の作品はどれも非常に完成度の高いエンタメとしてまとまっていますので、なんとなく間違いないのが観たいな―、という気分になった時にでも観ていただければ幸いです。
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