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アニメを中心に、漫画や映画、小説など創作物の感想を載せるブログです。

シャニマス

アイドルマスターシャイニーカラーズ 樋口円香『ギンコ・ビローバ』感想

もともとこれは一枚の葉が
二つに分れたものでしょうか
それとも二枚が結ぼれ合って
ひとつに見えるものなのでしょうか



 世間が配信LIVEの可能性を魅せた『MUSIC DAWN』や、現代に綴られる双子神話『流れ星が消えるまでのジャーニー』の話題で持ち切りな今、ひとつ前に実装された樋口円香限定pSSR『ギンコ・ビローバ』の感想記事を書いている周回遅れの私です。
 しょうがないじゃん、ギリギリで引いたんだから!
 どれだけ優れた物語を描こうが、限定ガチャという手法はユーザーの目に触れる機会を狭めるだけのように思えるのですが、そこのところ運営様は如何お考えでしょうか。
 全部無料で見せろと言ってるんじゃない、コミュ読み特化の有料プランを用意しろと言っているのだ!(初見バイバイ初手恨み節)


 さて、樋口円香という少女は、おそらくシャニマスの中で最もアイドルという職業に肯定的ではない存在であると言える。商品として見世物にされ、愛想を振りまいて、決して見せない舞台裏ではひたすらにその価値を試され続ける地獄で必死に足掻いている。
 円香はアイドル衣装をメタファーとして、寒空の下、薄着の無防備な姿で舞台に立たされる存在への感傷を垣間見せた。天塵でも「矢面に立つ」という表現をしていた様に、競争に晒される世界や世間からの好奇の目、勝手に作られる虚像といった『寒さ』から身を守る術を持たない世界であることを、彼女は強く意識しているように思える。だからこそ、見知らぬアイドルたちの涙や不安に、思いを馳せてしまう、寄り添ってしまう。
 そんな自身の行動にすら欺瞞を覚える、自縄自縛の不器用な優しさを円香は持っている。

 さて、アイドル衣装と対比する形で、プロデューサーのスーツにも焦点が当てられる。
 誠実で、折り目正しく、美しい。ピシッとしたスーツを身にまとう、絵に描いたような善意を振りかざすプロデューサー。その『肩書き』もまた、アイドルにおける『衣装』の言い換えで、要するに装飾や属性によって、付与されるイメージ、求められる振る舞いがある、ということ。その上で、結局のところ大事なのは何をするかだ、とプロデューサーは語る。
 円香は半ば諦念を以って、試され噂され誤解される、「アイドル」というアイコンを受け入れている。電車の中で聞いた元同級生の嘘もそうだが、WING編でファンから送られた「生命力に溢れている」といったような本人からすればまるで的外れのメッセージだって、ネガポジの差はあれど実質的には同じだ。舞台の上で見せる一挙一投足を、受容者はいいように読み取って、『アイドルの樋口円香』という偶像が作られる。
 しかし、プロデューサーはその裏にいる『人間の樋口円香』に踏み込もうとする。肩書きに左右されず、相手が何を考えて何をする人物なのかを見ようとする。そして、円香もまた、スーツに身を包んだプロデューサーの、弛緩した『人間』の部分を見てしまう。嫌でも見えてしまう。それがきっと、彼女には疎ましい。

 肩書きに相応しい人間であろうと務めるプロデューサーと、アイドルとしてパッケージングされた商品であることを厭う円香。
 彼女は聡いのでアイドルに求められる振る舞いを理解しているし、それを卒なくこなす能力があることは、WING編で見せたファンサや、今回の試写会関係者に対して120点の回答を返したことからも分かる。アイドルという職業に必要な社交性を、彼女はちゃんと身に着けているのだ。
 それでも彼女がプロデューサーのように愚直にアイドルを追求できないのは、ある形を志向することによってこぼれ落ちてしまうものがあるからだと私は考える。
 それが端的に現れているのが、試写会での帰路でこぼした「あの映画は、できればひとりで観たいものでした」という言葉。私もまあまあ映画を観る人間なので、勝手な共感を抱いてしまうのですが、心動く様な作品を観た時に湧いてくる感情って本当に大切なものなんですね。劇場を後にし、脳内で反芻して言葉が形作られていくまでの余韻。それに浸る時間というのが映画鑑賞の醍醐味と言ってもいい。ところが、他者に感想を求められることで、曖昧な感情が具体的な言葉に変換されてしまう。
 大切なものほど、言葉にはしない。できない。したくない。
 プロデューサーに言わせれば、円香は言葉に誠実であるという。多分、言霊の恐ろしさを円香は誰よりも知っているのだと思う。
「どうしてアイドルを始めたのか」を浅倉に聞けなかったように。幼馴染を好きか嫌いかあえて考えたりしないように。あるいはあえて強い言葉で自分に言い聞かせるように。
 口にすることによって何かが確定してしまう、形とベクトルが決定付けられてしまう。本来は矛盾して当たり前、裏腹で当たり前な感情が、外部に出力されると一面の方向性で受け取られ、それによって当人のイメージは形成される。界隈をざわつかせた「ぐちゃぐちゃに引き裂かれてしまえばいいのに」は正にその極北と言えるだろう。
 もちろん、勝手な想像を並べ立てている本記事にもそれは大いに刺さってくる。だって、それがアイドルだから。結局は、そこに行き着くのだ。

 いくら肩書きや衣装にイメージが左右されると言ったって、最終的にその人が何者になるのかは「何をするのか」を除いては語れない。プロデューサーが『プロデューサー』の身の丈に合うように頑張ると言ったって、その形に正解があるわけじゃない。ただ、自分が思う理想の姿を目指すしかなくて、それが絵に描いたような好青年像であったとしても、昼休みに鼻歌交じりでお菓子作りに興じるような個性が消えるわけじゃない。
 それと同じ様に、アイドルの形だって、商品である前に人間なのだから、一律の量産品であるはずがない。たとえ受容者の勘違いや本人にとっての欺瞞によって形成されたものであっても、樋口円香は『樋口円香というアイドル』にしか成り得ない。仮面を被ろうがファンを騙そうが、作られる偶像にはどうしようもなく演者の性根が反映されてしまうことを、既にストレイライトが証明している。

 ここまで書いて、プロデューサーと円香が水と油のような関係性に思えるかもしれないが、むしろこの二人は同根であるように私は考える。
 プロデューサーだって、ネガティブな感情への想像力がないわけじゃない。
 円香だって、アイドルとして承認されることの悦びを知らないわけじゃない。
 ただ、善意を信じるか、悪意を疑うか、少しだけ視界が違っているだけなのだと思う。他人の気遣いを慮り、あなたは優しいのだと真っ直ぐに伝えられるプロデューサーの善性が、いつも正しいとは限らない。天塵でノクチルの初仕事に浮かれる彼に対し、円香が指摘した番組への不信が的中したこともあった。
 どちらも正しいからこそ、どちらか一方ではダメなのだ。
 だからこそ二人は、アイドルとプロデューサーとして、単なる上下関係ではなく二人三脚のパートナーになれる。

スクリーンショット (330)

 半分に分けあって困難を乗り越えていくのがパートナー。矢面に立つのは決してアイドルだけじゃない。ノクチルが業界から干されかけた時に、プロデューサーが必死に駆けずり回っていたことを我々は知っている。
 光と影。あるいは太陽と月。
 アイドルが表舞台で戦っているように、プロデューサーだって裏方で戦っているのだ。
 最後にもう一つ、Trueコミュで最重要と感じた場面のスクショを載せて終わりにしよう。

スクリーンショット (309)

 何にでも寓意を読み解こうとするのは私の悪癖なので話半分に聞いてほしいのだが、善意で目の前が塞がれても円香が障害物を見つけてくれる、この二人のパートナーシップを端的に表した場面だと思うのです。
 これがあるから、いかにアイドル業界が寒風吹きすさぶ荒野であっても、理想を追うたびに躓いても、彼らは前へ進んでいける。その先に待つ車を止めないでいられるのだと信じられるのです。



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