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「黄金の王 白銀の王」 沢村凛 感想

全力でオススメします! 

これが傑作でなくて何が傑作なのか。俺が読んだ日本ファンタジーでも最高峰の作品。

剣も魔法もないポリティカルファンタジー、と言っていいのかな。
とにかく国を治めるとはこういうことなのだと、その重みを鮮明に描いた作品。
穭と薫衣、鳳穐と旺廈、決して交わらないはずだったそれまでの両陣営。それをより大粋な目的のために繋ぎ合わせる。
茨の道とは良く言われるが、この作品のそれは本当に壮絶で、王である事は即ち自己の私欲を徹底的に排斥することであることを執拗なまでに描いていく。

二つの敵対陣営を和解させ、一つにしようとするストーリーは「まおゆう」を思い出す。しかし、あちらと比べてもこの作品の世界は残酷で厳しい。結局二人にお互い以外には自分達の行いを完全に理解してくれる人が現れることはない。いや、厳密には一人いるんだけどあんま口出さないし。
彼らは鳳穐のために、旺廈のために、尽くしてくれる人々を裏切り、騙しながら突き進んでいく。
もちろん「まおゆう」にはまた別の面白さがあるからどっちが上という話じゃないですよ。

旺廈の、そして翠の未来のために、親の言葉に背き、誇りや名誉を踏みにじられても、生き恥を晒し続けても、ひたすら耐え忍ぶ若き王。名前を失っても、敵の軍門に下っても、旺廈としての誇りを胸に抱き続ける薫衣の姿に心を打たれた。
自分を敬い、慕ってくれるはずの人々から受ける非難の数々。鳳穐の人間から受ける侮蔑と嘲りの視線。
いくら大人しくしていても、戦果を挙げても決して認められることがない。
ただ一人。共犯者であり不倶戴天の宿敵である穭だけが彼を認め、真正面から向き合ってくれる相手なのだ。

一方で、現在翠を治めている鳳穐の頭領である穭もまた、王の座にいながら孤独な人間として描かれている。決して本心を明かすことなく、体裁を取り繕い、水面下で目的遂行のための手を打っていく。真の愛国者達をも、場合によっては処分しなければならない。手を汚し、血にまみれ、何度も揺れながら彼の元に下る民や臣下達を欺いていく。

二人がやっていることは果たして本当に正しい事なのか? その問に答えはなく、ただそれが己の「なすべきこと」なのだと信じるしかない。彼らの寄る辺はあまりに頼りなく、しかしだからこそ彼らは強く在らなければならなかった。

薫衣はある事件で今まで背負ってきた罪の重さに耐え切れず、すり潰されかける。そんな彼を救ったのは、妻であり穭の妹である稲積だった。
本来ならば互いに最も連れ添いたくない相手であるはずのこの夫婦。しかし実際には、民族間の垣根を超えた相性の良さを見せる。
だが、壁はやはり厚く二人が互いに気を遣い、遠慮をしていたために真に心を通わせてはいなかった。
そんな二人が、薫衣との永遠の別れが来るか来ないかという瀬戸際に、お互いの気持ちに気付き、ピンg……愛の絆を見出すシーンは感動的だ。
たとえ全てを理解できなくても、相手を受け入れ、慈しむ心。それが人の支えになる。
たった一言、「愛してる」という言葉があれば、それだけで人は生きていけるのだ。


さらに、この作品は「継承」の話でもある。

鳳穐の人間と旺廈の人間はその歴史上、ずっと憎しみあってきた仇敵同士である。
前世代の禍根が次世代に受け継がれ、そうしている内にいつしか彼らの血と肉体には相手部族への憎しみが染み込んで行った。

身体に深く刻み込まれたこのスティグマは、共存の道を行く穭と薫衣さえも苦しめる。それほど根の深い憎しみ。これはまさに「呪い」だろう。

丁度ONE PIECEでも、魚人島編でこのテーマを扱ってたよね。幼い頃から絶えず大人たちによって刷り込まれてきた憎しみの記憶が、実体験を伴わないまま膨れ上がり、一種の狂気となる。
家族、ひいては一族という大きなコミュニティは、一種の呪いとなり得る。
大人たちの言葉が、行動が、子供たちにあらゆる先入観や偏見を植え付け、彼らの思考を止めて意志を縛り付けていく。その象徴として描かれたのが、河鹿と鵤の母子であろう。

穭と薫衣は、両親を亡くしている。彼らの両親の最期の言葉は、それぞれ「旺廈を殺せ」「鳳穐を殺せ」だった。今までの王族もそうだったのだろう。憎しみを、恨みを、子どもに押し付けて晴らさせようとする負のループ。
これを止めるために戦い続けるというのが、この二人の主人公の物語なのだ。

そのために、薫衣が出した答えが素晴らしい。
中盤で一度彼が死を覚悟するシーンがある。そこで彼は「どんなことばも遺さない」と宣言するのだ。

「生者のいる世は移り変わる。もはや変えることのできない死者のことばが、それを縛ってはいけないのだ。死者のことばに縛られず、生者がなすべきことをなしていけば、何ごとも、きっと悪いようにはならない」

薫衣は、その言葉の内容の是非を問わず、後の世に生きる者を縛ること事体を否定した。
自らの息子に共存の道を説くことさえしない。それは一種の放任であるが、その人がなすべきことを全てやりつくした場合、実はそれが真の教育の姿になる。

「人間は自分の生き様を見せること以外に、他人に教えることなど、なにもないのだ。一般に使われている教育という言葉は、ありもしない幻想でしかない」 
――「笑わない数学者」 森博嗣――


薫衣は誰にも自らの目的を説くことをせず、ただひたすらに歩を進めてきた。それが必ずしも良い結果をもたらしたとは言えない。しかし、彼と稲積の息子である鶲は選択の自由を与えられた。

鳳穐と旺廈、両方の血を併せ持つ彼は、その出自ゆえ自らの存在について悩むことになるが、だからこそ自分で考え、判断し、自分が何者であるのか、その答えを模索することができた。
そんな鶲が、父親の背中を追い続け、自分なりの生き方を見つけ出すシーンは涙が止まらなかった。
薫衣の生き様が川の流れを変え、歴史を変えていく。一つの強い意志がまさに受け継がれる瞬間をクライマックスに持ってきた、その構成力には脱帽するしかない。

大人たちが、言葉で子どもたちを縛り付けるのではなく、正しい方向へ進む様を見せることで、良い影響を与えて次の世代が育っていく。
本来「教育」とはこういうものであるはずなんだよ! しかし現実は泣きたくなるほど残酷だ…。


徳の道に進むことはすなわち私欲を極力排除すること。この作品が示すメッセージは正しいが、人にはあまりにも厳しい。だからこそ、これは「理想」の物語なのだ。夢物語じゃない、泥臭い理想論。この作品の魅力は、そんな理想を追い求めた二人の主人公の生き様にある。

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